素人が通の俳句に喧嘩売る

素人が通の俳句に喧嘩売る

私の句は、俳諧の座の俳句でもなく、発句でもなく、単なる「五七五遊び」の「五七五句」です。あえて「俳句」と言わなくてもよい、素人の遊びに過ぎません。
にもかかわらず、あえて「自由季」という修飾語を付けて「自由季俳句」と称するのは、「季語」を始めとするさまざまな約束事を教室で教えてテストしたり、子どもが作った俳句に順位を付けようとしたりする俳句教育に対して異議申し立てをするためです。
私は、俳句の「通人」が五七五の楽しみを独占して、その楽しみから素人を追い出していることに反発して、五七五表現の楽しみを取り返そうとしているのです。
五七五ならばどんな表現でも楽しんでやるぞと宣言して、それを実行しているのが、私の「五七五遊び」であり、「自由季俳句」です。
しかし、それは、何でもかでも自由というわけではありません。私には自分に課しているいくつかの制約があります。その制約を他の人に求める気はありませんが、それらの制約を列挙すると次のようになります。

①五七五の音律で作る。
②季語の有無および数にこだわらない。(季重なり・季違いをチェックしない)
③季節分類にしばられない。
④できるだけ平易な言葉で表現する。
⑤「や、かな、けり」は極力避ける。
⑥「五月雨(さみだれ)が「梅雨」を表す季語だという知識などのような季語知識は、古文(擬古文を含む)を解釈・鑑賞するために役立てるが、その知識を現代作句に必須の条件とはしない。
⑦使い古された季節表現の語句(「柿食えば」「こぞことし」など)の使用を極力避ける。
⑧同一語句を複数回使用することを禁止しない。
  例えば、「流されて流れ流れて流れゆく」など。
⑨句会に参加する際には、季節を表す表現を含む句を作る。
⑩ほかの人が作った句をけなさない。

等々です。
これらの制約が私に不自由をもたらし、その不自由が却って私に自由をもたらしてくれているように感じています。

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