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素朴な授業

 国語科の読みの授業時間が、教材の文章を、たっぷり時間をかけて音読し、途中でわかりにくい文字や語句や表現が出てきたときは立ち止まって、生徒と先生が語り合いながら協力して読み方や意味を考え合いながら、最後まで音読するというような時間になるとよい。
 とは言っても、ここにかける時間は長すぎないほうがよい。この段階ですべてを解決しようとはしないで、軽く理解しながら、まずはざっと読み通したほうが良い。この通読を私は「語り合い音読」と呼ぶ。ここにかける時間は、教材文の長さにもよるけれど、教科書教材ならば、たいてい1授業時間内で終わる程度にする。
 そのあとに、朗読劇や紙芝居や絵本や新聞やクイズ遊びなどの表現活動をすると、先ほど読んだ文章を丁寧に読み直すことになる。これが、表現活動を通した精読になる。
 最初の教材がすんだあと、時間が余ったら、それ以外の文章作品(文学も説明的文章も)を子供一人一人やグループで選んで、読んでいくとよい。そうする経験を通して、文字・語句・文章・文体・表現になじみが深まり、親近度が深まる。そうして深まった親近度が、次に読む際にも、次に書く際にも役立つ。その繰り返しで、読み書く力が伸びていく。
 国語科の読みの授業は、そういう素朴なものがよい。そういう素朴な授業は、活発に議論する授業を演出する技術を競いたい教師には、好まれないだろう。
 しかし、本当に学習の実が上がる授業は、音読したり、調べたり、表現したりしながら、文字・語句・文章・表現への親しみが深まっていくという、素朴で地道な授業なのだと思う。
 表現も見栄えを優先すると、学びが犠牲になる。表現も素朴がよい。私は、素朴の味わいが好きだ。
 華々しく表現したい人を止めようとは思わない。したい人はすればよいと思う。しかし、子供を手足のように使って見事な演出をするのは、筋が違うと思う。

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