首藤久義

言語(国語)教育研究者です。千葉大名誉教授です。楽しく実りある学びと、そのサポートのあ…

首藤久義

言語(国語)教育研究者です。千葉大名誉教授です。楽しく実りある学びと、そのサポートのあり方を、探究しております。「自由短句」を、日々、自由に書いて発信しています。

最近の記事

「ねがいごと短冊作り」という遊び

幼児期から小学2年の間に毎年行う七夕飾りの願い事短冊を作る経験を通して、読み書きに親しむ遊びを思い付きました。 その短冊の表には願い事を書き、裏に自分の氏名を書きます。 短冊に文字を書く場合は、自分の氏名や願い事を書く場合は、 ①自分で書ける子の場合は初めから自分で書きます。 ②自分で書けなくても、絵入り平仮名表(筆順数字の順番と各方向の矢印が添えられている)を参照しながら、自分が書こうとする音節の文字を見つけられる子の場合は、絵入り平仮名表の中から目的の文字を見つけて、それ

    • 「汚れ無き」って大事なの?

      「マリア・インマクラダ(María inmaculada)」とは、「汚れ無きマリア」という意味だそうです。処女懐胎して神の子を産んだ人です。つまり、○○することなく神の子を宿した人です。 カタカナで見ると似ていると感じられる呼び名に、「マグダラのマリア(Maria Magdalena)」があります。が、その人と「マリア・インマクラダ(María inmaculada)」は別人だそうです。 「マグラダのマリア」は元娼婦と言われていますが、その説には確かな根拠がないと、あるお方か

      • 楽しい国語教室実現の道 ―大村はま実践に学ぶ-

        楽しい国語教室実現の道 ―大村はま実践に学ぶ- という演題で講演します。 半年後に千葉大で開催される 大村はま記念国語教育の会千葉大会での講演です。 大会テーマ:国語教室におけるウェルビーイングの実現―大村はま実践に学ぶ- 日時:202411月30日(土) 9:00~16:40  終了後には懇親会も計画されています。 大会参加費:一般:2,000円 会員:1,000円 学生:500円  懇親会参加費:5,000円 内容は、基調提案・実践発表と協議・対談と協議・講演・展望です。

        • 発想の種である。指導方式ではない

          私が拙著『国語を楽しく』で提供しているのは、指導方式ではない。発想の種であり、発想の知恵である。 私の願いは、教師が学習サポーターになることである。 私の願いは、教師がロボットであることから解放されることである。 私の願いは、教師が人間として働くことができるようになることである。 それが、拙著『国語を楽しく』の趣旨である。 https://qr.paps.jp/n9KTm

        「ねがいごと短冊作り」という遊び

          旧暦と新暦―季節の実感により近いのはどちら?

           旧暦の元旦は、太陰暦(月の満ち欠け基準にした暦)によるので、それを太陽暦(太陽の巡りを基準にした暦)である新暦に当てはめると、毎年日付がずれることになる。2024年の旧暦元旦は2月10日、2023年の元旦は1月22日となる。新暦に当てはめると、旧暦の元旦の日付にはかなりのずれが出る。  旧暦では、元旦は1月1日に決まっている。そしてこの日から春になる。が、それを新暦に当てはめる際には、1月の下旬から2月上旬にかけて揺れ動くということになる。  新暦でも、元旦は1月1日に

          旧暦と新暦―季節の実感により近いのはどちら?

          自分の読みは成長

          自分の解釈は、自分の中であたためられて成長する。 人から押し付けられた解釈は忘れる。  たとえ幼くても、たとえ拙くても、自分の力を精一杯発揮して、自分流に、自由に解釈するのが、楽しい。  教師が正しい解釈を教えてそれを覚えたかどうかを教師がテストするというようなことは、あってはならない。それは、自分流に解釈する楽しみを子供から奪うことになるからだ。

          自分の読みは成長

          自分の性格で行く

          性格は根本的には直らない。直さない。 せっかちで、おっちょこちょいで、あまのじゃくで、へそまがり。幼いころからそう言われて生きてきた。時々は反省して、その度合いを少しは減らそうとはしている。が、この性格は死ぬまで続くだろう。短所を気にして生きるより、長所を生かして生きたほうが楽しい。と思う。

          自分の性格で行く

          質問に答えない自由

          質問に答えない自由 ―「主体的に学習に取り組む態度」のランク付けをやめよう― 人が質問に答えるかどうかは、その質問による。 秘密にしたい事柄は答えたくない。 本当のことを答えると不都合が生じる場合は、その質問には答えたくない。 では、本当のことを言わないで嘘を言えばよいだろうか? でも、嘘は言いたくない。だから答えたくない。 そういう時、どうすればよいか。 その質問に答えなければよい。 でも、質問に答えなければ、相手が不快になる。 場合によっては叱られたり、侮辱されたり、

          質問に答えない自由

          主体的に生きるとは

          人はそれぞれ自分を生きてる。 主体的に!なんて言う必要がないほど、みんな自分を生きてる。 それが主体的でないわけがない。 能動的に動くのを選択するのも主体。 受動的に動くのを選択するのも主体。 積極的に動くのを選択するのも主体。 消極的に動くのを選択するのも主体。 勤勉を選ぶのも主体。 怠惰を選ぶのも主体。 命じることを選択するのも主体。 命じられて動くのを選択するのも主体。 支配するのも主体。 従属するもの主体。 お追従を言うのも主体。 忖度するのも主体。 威張るのも主体。

          主体的に生きるとは

          授業で読まされる小説は小説じゃない

          小説はこっそり読んで密かに楽しむもの。教室で、教師の監視下で、公ごととして読むものじゃない。授業で読まされる小説は別物。小説じゃない何か。 小説は自分勝手に読んでこそ面白い。

          授業で読まされる小説は小説じゃない

          無限動因の全方位交響作用

          信仰を持たない私が阿弥陀仏を語る資格はありません。 が、私は、宇宙の無限作用を想ったとたんに、自分の微小さが見え、目の前に展開する現実が地獄即浄土に見えます。 そう感じる私に引き戻してくれる大切な窓の一つが、連日声を出して読み続けている英訳仏典です。 私にこう言う視野を広げてくれるもう一つの窓は、無限動因観です。「無限動因論」あるいは「無限動因の全方位交響作用」とも呼んでいますが、それは私が勝手に名付けた見方のことです。 その見方とは、個人の心身の内部から全宇宙に及ぶ無限時空

          無限動因の全方位交響作用

          侮辱

          侮辱は怒りの最大の原因。 とは言えないかもしれないが、 侮辱されて怒らない人は少ないだろう。 侮辱されることは大多数の人にとって、 怒り、反発、嫌悪、発奮の大きな原因と言えるだろう。 ただし、侮辱した人がそれに気づいているとは限らない。 私は学部生時代、 進路を語り合っている場で、 大学院生として着々と研究者への道を歩んでいるM先輩から、 君は研究者に向いていないというようなことを言われた。 言われたことを、半世紀余り経った今も、忘れない。 それが発奮のエネルギーになったので

          つらかったなあ

          半世紀余り前のこと。 学部四年の年度末。 ぼくは卒業できなかった。 膨大な単位不足だ。 留年した。 同級生が旅立った。 旅立つ同級生たちの背中が見えた。 取り残されて、情け無かった。 情け無いとは言えなかった。 情け無いとは思えなかった。 つらすぎるから。 身から出たさび。 自分のせい。 我がしわざ。 身の報い。 つらかったなあ。 一からやり直した。 じっと我慢して少しずつ。 少しずつ。 やり直した。 時間がかかった。 つらかったなあ。 半世紀以上経って今、やっと、そう思えた

          つらかったなあ

          出会いこそ学びの機会

          出会いこそ学びの機会。 経験が学びの方法。 発見が認識の方法。 発明が思考の方法。 いじっていると見えてくる。 いじっていると生まれてくる。 なんやかんや言わないで、いじる。 そうすると見えてくる。 そうすると生まれてくる。 それが面白い。 それが楽しい。

          出会いこそ学びの機会

          まあ、こんなもんだろうなあ。カフカの「変身」

          カフカの「変身」(原田義人訳)の朗読を家事をしながら聴いた。始めはおもしろい趣向だと思いながら聴いた。途中までは、生活現実や人間をよく描いているなあと感心した。中ごろから退屈し始めた。やりきれない思いがした。もう聴きたくなくなった。が、どんな終わり方をするのかが気になった。そこからは、青空文庫の文章を自分で読んだ。そして読み終えた。まあ、こんなものなのだろうなあ。現実はそうなんだろうなあ。でも、人に勧めたいとは思えない。まあ、こんなもんだろうなあ。いい気分ではないけれど、現実

          まあ、こんなもんだろうなあ。カフカの「変身」

          書くことへのいざないー澤田英輔著『君の物語が君らしく』を読む

          書くことへのいざないー自己発見の楽しさ  「あすこま」さんこと、 澤田 英輔氏の近著『君の物語が君らしく~自分をつくるライティング入門』を読んだ。  本書は、経験と感想を正直に書かせようとする作文指導論ではない。原稿用紙に鉛筆で書かせて評価する作文指導論でもない。自立した一人の書き手(ライター)として書くことへのいざないの書である。深い意味が分かりやすい表現で語られている。  本書は、7章+終章の次の8つの章からなる。 1 他者の視線から遠く離れて 2 書くことは発

          書くことへのいざないー澤田英輔著『君の物語が君らしく』を読む