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記憶に残すということ

記憶に残らないと寂しいというのを最近考えることが多々ある。
別に記憶に残らなくてもいいという考え方もある。
僕は、やっぱり記憶に残っていた方が楽しいのではないかと思う。

僕は本屋をやっているから、そっちのバイアスもあると思うが、物理本と電子書籍で、記憶に残る度合いはかなり差があると感じている。
もちろん、海外に住んでいて、日本の漫画を読みたいという時には電子書籍は大いに助けてくれるし、そういうケースは一旦置いておく。

物理本 vs 電子書籍

こすられまくっている話題かもしれない。
物理本と電子書籍、どっちの方が "いい" のか。
そんなのは、どっちもいいに決まっている。適材適所だ。
問題は、記憶に残る度合いだ。
僕は、数年前から完全に物理本にまた振り切っているが、電子書籍しかない本は電子書籍で読んでいる。
物理本の場合は、なるべく本屋さんまで行って、物理本を買っている。

本屋さんに行って、そこで欲しい本が見つかって、見つからないときはどうしようとなり別の本屋さんに行ったりするが、やっとこさ買えて、喫茶店に入り、パラパラとめくる。
その後電車に乗り、別の場所に移動しながら読み、またどっかのカフェでパラパラと。
家に着いたごろには、なんとなく半分くらい読み進めていて、そこからは数日かけて読む。

こうなると、どこで読んだとかどこで買ったとかが、紙のページをめくる動作に Add されて、より記憶に定着していく気がする。
牛丼を食べながら読んだよなとか。そういうのもある。

物理本でも結局 Amazon で買うと、家には誰かが届けてくれて、あれだけ欲しい読みたいと思っていたにも関わらず積読本になるケースがある。
これがお店に買いにいくとそうはならない。
その本が読みたいし、誰かに話したいし、記憶にも残したいし、より楽しみたいと思ったのなら、やはり買いに行き、なるべくそのあしでどっか喫茶店で読むのが "いい" 気がする。

映画館 vs Netflix

これも毎度難しいテーマだなと思っている。
家でポップコーンを食べながら Netflix を観るのもいいし、映画館でポップコーンを食べながら映画を観るのもいい。
まただが、問題は記憶に残るかだ。

もう本のところであらかた書いてしまったが、つい最近観た役所広司主演の「PERFECT DAYS」観た時の話と「コーダ あいのうた」を観た時の話を書くとしよう。

「PERFECT DAYS」
錦糸町オリナスに朝から向かった。なんでかは知らないが夜の部が全くやっていなく、なので、朝8時ごろに起きて、9時半ぐらい開始の回に向かった。なんとこんな朝早くなのにも関わらず9割ぐらいが埋まっている。隣の肘置きは僕のなのか横の人のものなのかを考えるぐらいぎゅうぎゅうだった。割と年配の方が多かった。映画の話は書かないが、とにかく最高だった。終わってからふわふわした感覚がありつつ、映画の中で掛かる曲がバチバチに最高だったので、それを iPhone で調べたらそのためのサイトを「PERFECT DAYS」側が用意していて、さすがだなと思った。その曲を iPhone で聴きながらスカイツリーが見える場所でぼーっとしていた。曲をすぐに聴ける時代は狂っているし最高すぎる。あまりにも気持ちが良かったので、そのまま午後は、お買い物に出かけた。ずっと「PERFECT DAYS」の曲を聴きながら。

「コーダ あいのうた」
友人から教えてもらって翌日すぐに錦糸町オリナスに向かった。聾者の話だということだけを知っていた。映画館はなかなか人が入っていて、レイトショーだったが、7割が埋まっていた。映画の話は書かないが、とにかく最高だった。映画の後半で、30秒ほど音が全くない感動的なシーンがあるが、その時点で映画館にいる人は僕も含め、みなさん泣いており、30秒間、いかに自分の啜り泣くのを押し殺そうと努力しているかが伺えた。ある意味放送事故クラスの無音のシーンが実に大事なシーンなのだが、そういうのはアマプラにその後追加されたこの映画を家で観た時には特に感じなかった。あれはあの空気感を共にした人たちがいたからこそ良さが数十倍になった気がする。あまりにもいい映画だったので、帰りの電車では YouTube で調べたりして、余韻に浸っていた。曲もいい。

今こうして映画館に行った映画の場合、そのディテールはかなり細かく記憶している。そして人にも説明できる。
これが家での Netflix の場合は、観たというのは覚えているが、どう感じたかや内容の細かい部分などは割とすっ飛んでいるケースがある。ただそれもまぁそれで良しだとも思っている。

なので、僕は映画館に行くのも大事にしている。そして日々 Netflix や u-next などでも映画は観る。このときは iPhone を見ないというルールを設けたり、一時停止をしないようにもしている。これでだいぶ気がちらなく、観たという記憶以上の記憶が残るようになっている気がする。

ライブに行く vs ライブ中継

言わずもがな。

失敗する vs 失敗しない

失敗すると記憶に残るというのがある。チャレンジしようと思っていたのに二の足を踏んで、その隙にチャンスが逃げてしまった、というような悪い意味での失敗ではなく、いい意味での失敗の場合だ。

いい意味での失敗は、そもそも失敗ではない。そのルートはダメだったという知見なので、次からはそのルートはいかないという話だ。スーパーマリオでそっちに行くと死ぬ場合は、次回からはただそっちにいかないだけだ。それと全く同じだ。

小さく失敗することで、知見にもなり失敗することでより脳みそは記憶に残そうとする。小さく失敗することで、心理的なダメージも少ない。
これを日々チャレンジすることで、どんどんと成長していくことになる。
この時にも大事なのは、記憶に残っていることだ。
人に「あのときはコレコレをこうしたらこうなったんだよねー」のように話すこともできるし、忘れないので、そのパターンを踏まないのもでかい

なんとなく

結局体験をするというのが大事なのだろうなと思う。
人はページをめくる時に一瞬文字が見えなくなる瞬間がある。この時に記憶をしているというのをカズレーザーが言っていた、というのを誰かから聞いた気がする。瞬きの瞬間に何かしているというのも最近少しずつ明らかになってきている。

紙の質感で記憶、匂い、音楽、状況、居心地、色々なものが相まって記憶に残り、それがそれが血肉になって行く。記憶に残っていないと、その時間はなんとなく楽しかったのであろうという記憶しかない。

それだけだとなんだか寂しくて、こういう記事も書いてしまっている。
昔はそんなこと気にせずいろんなことにチャレンジしていたなとふと、子供の頃を思い出す。
雨が降っていようが、遠かろうが楽しそうであれば、なんでもするというマインドセットは逆にここ最近少し回復してきた。
雨が降っていたらラッキーだと思うし、遠ければたくさん歩けるなと思う。

記憶ってなんだろうな。えへへ。

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