久しぶりの更新

本業のNOTEを別に作っていて、そちらに時間を割いてしまっているのでこちらのアカウントが滞っているのが悔しい。

本当はこちらに描きたいことの方が多いのだけれども。

さしあたりストレンジジャーニーは供養のために今年中に脱稿したい。というか、欲を言えば命日に最後の話が描きあがるようにしたい。
そして副業についても(こちらか本業かで)ちょっとした講釈を垂れていきたい。

そんなことを思いつつ今回は話を逸らす。この「話を逸らす」というのが今日の更新の主題だ。

今日は国外にルーツを持つ親子が君が代斉唱を拒否したという話を読んだ。

正直なんかもう味の抜けたガムみたいな話題なわけだが、まぁそれだけ人が食いつくわけだな。私も含めて。

個人的な考えを書くと、こういった記事に一貫しているのは、「君が代」をダシにしつつも実際は「日本の国家を全員で起立して歌う」っていうフォーマットを拒否してるんであってそもそもの焦点がずれてんだよね。常に。

外国にルーツがあるというけれども、例えばアメリカでも思想・心情に関わらず式典では国家斉唱はするよね。少なくとも国家と国旗に敬意を表するというのはアメリカにいる人にとって当然で、なんなら法律で国家と国旗に対して不敬・汚損を行うのは違反とされている分日本よりシビアだ。

記事にもあるけれど、
>キャロラインさんも「嫌やと思いながら立つ子、口パクの子もいる。歌うか歌わないか選べない。その時点で内心に踏み込んでいる」と指摘した。

つまりこれ歌うか歌わないか選んでるよね。「全員で立って」「国家を歌わされる」のが苦痛。最初からそう言えばいいのに君が代が‐とか言い始めるのはやはり仲介してんのが共産党だからなのか。

そもそもだけどそんなに「君が代」が嫌だってんならそれとは別に国家なり式典用の国民唱歌みたいなもんでも作ればいいのだ。
戦後何十年も立ってんだから一曲くらいは「君が代」よりも良い曲作れたはず。それをできていない、というかやらないで批判ばっかしてる時点でつまりは「そういう事」なのだ。

長々と書いたが、社会問題における「論点ずらし」は問題のコアに対しての議論を泥沼化し、それ自体の解決から遠ざけてしまう。本当に困っている人がより不幸になるという面で一番の愚策であると考えている。

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