大川久乃
大川久乃が月に2回配信する暮らしのエッセイ。40代を折り返し、小2から続けてきた絵本のおはなしを書くことを仕事にし継続中。すくすく成長する二人の子どもと、出逢って20年になる夫と揃って自営の暮らし。芯があると言われても、それが時にひっかかるようになったら。夢があると言われても、ますますそれがひっかるなら。あらゆる暮らしの同士たちへ。
とても大事なイメージがうかんでいます。 それはね、ちいさなタネみたいな粒が 自分の胸やおなかのなかに蒔かれ ほんの数秒ですくすく育ち からだのなか、おなかのあたりで まあるいボールみたいになったとこ。 こころやからだは いろいろな感覚を感じているけど その、ボールのなかは ほわほわでふかふかであったかくって 誰も入れないし 何も感じない。 ただボールが発する そのあたたかみみたいなものを、 わたしは体内に実感している。 体内に、ボールがあることを 実感している。
昨年末から始めた隔週更新の本エッセイ。 12という数字には一巡りという意味を感じますが ⑫話目の今回でいったん終えることにしました。 5月はわたしの誕生月です。 毎年のことですが 新年度に慣れた頃に もう5月か~とカレンダーをめくったとたん 誕生日が来る(2日なので) そんな感覚が、年々、強まります。 今年は娘が入学という節目もあったので いつにもまして、あたらしさが極まって 意識的に日々や子どもに気持ちを向けられるよう スケジュールなども調整していました。 おそるお
三面鏡のむこう 5/5 こどもの日 28日間の感謝ワークラスト2days 鏡のなかの自分に感謝するという実践の今日にはからずも実家帰省。母の三面鏡に顔をつっこむのは、幼い頃によくやったひとり遊び。自分に感謝するワークのために再現すると、わあ、面白い!ただただ、どきどきするような不思議さがあってわたしはこれが好きな感覚だったことを思い出した。 娘の卒園したようじえんで、先生とお話ししたときに「(子どもにとって)つまらない日があってもいいじゃない」と言われたことがあり共感!と感
今あたらしく書いている 絵本の企画は、歓喜がテーマです。 ふれた歓喜を、そのまま描きたいのです。 歓喜って、なんだろう。 歓喜って、いのち なんじゃないかなと思います。 オージャスは、可視化するとしたら ギーによく似ているんだそうです。 そんなふうに、もし いのちを実感するとしたら 歓喜にふれるときの わきあがる感じ それなんじゃないかと思います。 いのちを 歓喜と呼び 歓喜を いのちと呼ぶとして それは、絵本においてもう たくさんの作家や詩人が 表現してきたと思い
今年もこの季節が巡ってきました。 石神井公園にある氷川神社で開かれる イイコトだらけのおまつり「井のいち」 2024年5月19日(日) 10:00-16:00 雨天決行 石神井氷川神社 練馬区石神井台1-18-24 わたしは、何回目から参加させてもらってきたかな? もう分からなくなっちゃいましたが今年も こもれびの庭のおはなし会に出演します。 15:00~の回「おはなし人形劇」と題して 人形劇サークルわくわくmamaさんとコラボします。 ミーティングに参加してきてまさ
今「28日間の感謝ワーク」を実践中です。 これを公開する日は9日目かな✒ 参加しているオンラインヨガスクール prana forest lifeの先生の呼びかけで、 希望者でやっている試みです。 日々実践するワークからの気づきと 入学&始業式の晩から始まった 子の胃腸炎、続いてわたしにもきたそれの💦 体調芳しくない中での気づき (もうだいじょうぶでーす) わたしにとっては2回目となる ”子の入学”というタームからの気づき いろいろ複合的なのでしょうが まあ今回も「まだ
新年度。 下の子が小学校に入学しました。 上の子は6年生となり ランドセルを背負ったふたりが 並んで登校していく背中は 見ると感慨深いものがあります。 先日instagramでこんな記事を投稿しました。 この記事には続きがあって。 入学式前も、たとえば 「式ってなあに?」と聞いてきた娘。 卒園したようちえんには 行事というものがなかったからね、と 説明しながら思ったのです。 一般的に、にゅうえんしきや そつえんしきを経験してきた 子どもにとっても、そして 経験してい
つらい経験もした たくさん努力もした いっぱい逃げもして 逃避する苦しみも味わったし 向き合うことの痛みもしった それはね こころの光線になるよ 宇宙が放ついくつもの光線 それを真似てつくりだす人工の光 速度が違うから屈折の角度が変わる? それで到達できるところが変わる? それによって目に見えるよう映し出せる そんなものがあるっていうはなし 聞かせてくれたね むずかしくって いまだに「???」がたくさんだけど 人がそれぞれみんな違う顔をして みんな違う毎日をすごして
※本記事には前編・中編があります。 子どもは大人に比べて この世に誕生してからの時間は短い分、 いのちや宇宙の大きな巡りの時から 分離されていないだけ 潜在的に繋がり 知っているのだろうと思います。 けっきょくは、ちいさな世界なんだよ ということを。 そのように感じられるからこそ 胸が痛む現実が、 この世界には 残念だけども溢れてる。 とるにたらない日常こそ それぞれに違うからこそ ひとりひとりのせまさで響く それを奪わせてはいけないし 差し出してもいけない。 それが
※前編はこちらからご覧いただけます。 『中学生から知りたいウクライナのこと』 (2022年/ミシマ社)の 共著者であるおふたりによるトーク ”小山哲・藤原辰史 「中学生から知りたいウクライナのこと ――侵攻から2年が経って」” に参加し視聴したのは2月の終り。 それで一番思うのは、 ウクライナやパレスチナのこと以前に、 テレビで見た飢えでやせ細った子どもと 自分の暮らしが 無関係ではないことを 子どもの頃こそ知っていたもの ではないだろうか、ということ。 胸の痛みがず
「小さな世界」という歌。 2月おわりの頃からか うちの娘も園でならったこれを よく口ずさむようになった。 きっかけは灯油屋さんのトラック 音楽をならし町を巡回しているあれから 日々みんなで歌うようになったとか。 卒園の日の歌の発表でも聴けて 思い出の曲となりました。 遡ること3月中旬、 うち+姉とその子ら(もう大人!)で ディズニーランドへ行ってきました。 わたし自身はたぶん20年ぶり位。 イッツ・ア・スモールワールド というアトラクション、 わたしは子どもの頃から
2月だったか3月あたまか ずんずん暖かくなったとき この調子じゃあ今年は 入学式どころか卒業シーズン前に さくら咲いちゃうんじゃ、 なーんて会話を交わしたもの。 でも季節の巡りは たくみに時計合わせをしたようで まだまだ春らんまんということには なりませんでしたね。 「やよい」という音は やわらかくひろがる感じがして むかしからなんとなくすき。 弥生3月。 いかがお過ごしですか。 2月は3度も発熱をしたと 以前の投稿で書いたと思うのですが 3月にもまた一度ありました💦
8回目となる今日は タイトル「階下から聴こえる~」 の名づけを振り返ってみたいと思った。 まずは①で綴った通り、 わが家の住居環境にゆえんする。 1階がギター教室で 主な居住空間は2階なのだ。 でもこれは象徴的な表現でもあり 階下、足元、土台、基礎。 そこにあるもの、ということ。 次に「ギター」「音色」には 特定のそれ以上に、 暮らしの相棒、パートナー あとは「人」に限らず 好きな本や、趣味とか 自分を支える記憶、思い出、 知識、習慣なんかも含めたつもり。 そこには、
弥生、3月。年度末がきた。 2月は3度も風邪をひき 熱を出したり寝込んだり。 こんなことは生まれて初めてだった。 そんな不調の前後では、 ふたりの子どもがそれぞれ風邪をひいたりで 気がつけば本当にずいぶん久しぶりの ふだんどおりの月曜を迎えている。 (3/4(月)朝に執筆してます) このまま健やかな日常を つつがなく過ごせたらいいなあと つくづく思ってしまう今日。 2週に一度のエッセイ更新も今回7話目 さて、と今、書こうとしていて 頭に何も浮かんでこない。 なんだかめずらし
そう。 あえて、言葉にしてみれば ということではあるけど たぶんその方が思考につかまらず 自分の意図を超えやすい。 慣れてないからこそ。 たとえばそのひとつの気づき、 というか体感の記録が 前編冒頭で引用したメモなんだ。 そのようなことを、考えさせられたのです。 さて、見開きで進む本、書物は テキストが横書きならば 右に頁をめくる方向へ 時も進んで行きます。基本的に。 絵本は特に視覚的にも そう設定されることが多く自然です。 で、わたしは書き手としても そういう世界に
今現在つかっているネタ帳ノートをひらくと さいしょのページにこうあって、 なんとなく最近のわたしが体感していることを 言葉にできそうな気がしたので書いてみよう。 1月の終わり ことばのワークショップを ある場でやらせてもらい 「もりのまなざしをうちに見るワーク」 なるものを考えました。 森にいる「わたし」を見つめる、 森や木々の視点を ひしひしと内側に実感する そういうことがひとつの狙い。 グループでのWSだったので ひとりひとりが自分を感じる、 それとおなじくらい