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AI時代を制するのは「テクノロジー」と「人間力」の絶妙な融合力!〜吉藤健太郎『「孤独」は消せる。』を読んで〜


タイトル画像は、てんとう虫コミックス・ドラえもん第3巻・「ミチビキエンゼル」より ©藤子・F・不二雄

 

こんにちは、森田です。

今回はいきなりの「AI」と「テクノロジー」と「人間力」で、画像が「ドラえもん」(^_^;)…ワケわからなくてすみません。

 

 僕はこれらに大いなる関連性があると思ってるんですね。で、今回はそれらについて考えながら、『AI時代を制するのは「テクノロジー」と「人間力」の絶妙な融合力』だということについて僕なりの意見を書きたいと思います。

 

 というのも、タイトルにある吉藤健太郎さんの名著

 

『「孤独」は消せる。〜私が分身ロボットでかなえたいこと〜』

 

を読んで、まさに今自分が思っていることとドンピシャだったわけで、そのドンピシャ感をなんとか文章にしたいなんとか〜、と試行錯誤しているうちに2ヶ月くらい経ってまして、やっと最近頭が整理できてきたので、文章に落とし込もうということなのです。

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で、この吉藤健太郎さんですが、なんと1987年生まれ!…まだ30歳になったばっかという、40半ば過ぎのおじさんからするとなんかもう、

 

「こないだ生まれたばっかやんけ!」

 

と突っ込みたくなるくらい若い研究者なんですね。

 

とはいえ彼、青年版国民栄誉賞と言われる「人間力大賞」を取ってたり、国内最大の科学コンテストJSECで文部科学大臣賞(優勝)してたり、世界最大の科学大会 Intel-ISEFでGrand Award で3位を受賞してたりと、科学とか技術とかそっちの方面でなんか想像もつかないくらいどえらい活躍をしてまして、それくらい凄い「テクノロジー」の世界の人なのに、そこから一転して

「僕、本当にやりたいのは『孤独を解消すること』って気づいたから、これからは人と人をつなぐことにする!」

と言って勝手に「ロボットコミュニケーター」という職業を作って、一見AIロボットに見えるこのロボ(でも実はAIでも何でもなく遠隔で人が操作しているロボ)
↓↓

 の開発に余念がないという変な人なのです。

 

この分身ロボ、簡単に説明しますと……

高齢や病気などでなかなか病院や自宅から外に出られない方々がおられますが、そんな方々でも、学校・仕事場・会議など、さらには野外や海外の結婚式まで、どこからでもロボを通して遠隔で現場の人と会話したり、首を動かして相手を見たり景色を見たり、ロボの手で拍手や合図も出来て、つまりその場に参加できちゃうロボットなんですね。

スマホやパソコンで簡単に操作が出来るので、病院に長期入院中の子供が「分身ロボ」を使って、両親兄弟と一緒に自宅の食卓を囲むということだってできちゃう!スマホのテレビ電話などと比較してその場へ「参加してる感」は圧倒的で、食卓のロボがだんだんその子に見えてくるそうです。

分身ロボ「orihime」について詳しくはこちらを御覧ください。
http://orihime.orylab.com/

 

 

そもそもなんで今回こんな話をするのかと言うと、僕もこれまでの医者人生のなかで数々の黒歴史を刻んできたのですが、その黒歴史の一つに

 

「医療の知識を勉強し技術を追求するうちにその価値観に溺れてしまい、患者さんがそれぞれ違う個性を持った『人間』であるということにあまり注意を払わなくなってしまっていた」

 

というとても恥ずかしい時期があり、それゆえの数多の地雷を踏み、数えきれない失敗の黒歴史を塗りかえながらここまでやってきて、で、そこから得られた教訓が、

『医療の知識・技術』と患者さんの『人間』の部分をどう融合させていくか』

ということなんですね。このことを、勝手ながら吉藤健太郎さんのストーリーに重ねてしまったのです。

 

あ…多分何言ってるのかわからないと思うので、具体例で話します(^_^;)。

 

例えば、研修医時代に僕は糖尿病の勉強をしました。

そこには「科学的根拠に基づいた医学的知識」がありました。それは、

 

『糖尿病は、一部に遺伝性のものがあるものの、殆どが2型糖尿病といういわゆる「長期にわたる肥満や生活習慣の乱れ」の結果としての病態である』

 

ということ。そして、その治療の第一は「食事療法・運動療法」、つまり「生活習慣の改善」ということ。

 

え〜、誤解を恐れずにはっきり言ってしまえば、結局のところ、

 

「痩せろや! m9(-д-メ)」

 

ということですよね。

で、それでもダメなら「薬」となっております。

しかし、外来に薬をもらいに来る人来る人、もう何年も何十年も薬飲んでるといいながら、それでもみんな

 

太ってる(≧∇≦)!

 

わけですよ。

 

(あ、この辺、かなりみなさんの反感を買うと思うのですが…ごめんなさい、この後で自分の至らなさも吐露しますので許してください。)

 

そんな方々に対して研修医の僕は言います。

「そんなことではダメですよ。」とか

「薬で血糖値をコントロールしても、肥満のままでは血圧やコレステロールも問題になってきますよ。」とか、

「この状態が何十年も続くとどんどん血管が傷んで、その結果脳の血管が詰まると脳梗塞、心臓の血管が詰まると心筋梗塞になるんですよ」とか。

 

医学的エビデンスに基づいた、科学的にまっとうなアドバイスを、医学的・科学的な背景をもってるだけにもう反論の余地はない感じで、バシッと言うわけですね。

 

でも結局は、「そんなこと言われても誰も変わらない(^_^;)」…どんなに医学的に正しい正論を伝えてもやっぱり何も変わらないんですよね。

 

これ、『風邪に抗生剤は(ほとんど)効かない』という根拠に基づいた医学的真実を何度伝えてもやはり『森田先生は抗生剤くれないから他の医師の時に来て抗生剤をもらいたがる』とか、もっと言えばタバコも。タバコが医学的に体に悪いってことはもう火を見るより明らかで、医学的には「禁煙」こそが完全なる大正解なのですが、でも僕が外来でいくら「医学的正解=禁煙しなさい!」とまくしたてたところで、ほとんどの人は禁煙できない(いや、そもそもするつもりもない)んですよね。

あれ?この世界観、なんかどっかで見覚えあるな〜、なんかこの感じデジャブ感あるな〜…と記憶をたどって、思い出したのがタイトル画像のこちら。

てんとう虫コミックス「ドラえもん第3巻」©藤子・F・不二雄 

こちらはドラえもんの「ミチビキエンゼル」と言うお話で、選択に迷ったときに必ず「あなたのためになる正解」を教えてくれて正しい道に導いてくれるという秘密道具です。で、当初は楽しく正解に導かれていたのび太ですが、「宿題は早くやったほうがいい」とか「鼻くそはほじらないほうがいい」とか「病気のドラえもんなんてほっておいて勉強するのがあなたのため」などと言われ続け、「ミチビキエンゼル」の示す正解に縛られるのがどんどん苦痛になっていきます。そんな折、ちょうどジャイアンに「ミチビキエンゼル」を取り上げられたのですが、案の定、翌日のジャイアンは画像のコマ(この話の最終コマ)のように「助けてくれ〜」状態になっていた(自分ではエンゼルを取れない)というお話です。

 

これ、まさにその人の事情なんか聞きもせずに「医学的正解」を上から目線で押し付けていた僕の診療にソックリではないですか!!(TдT)

 

もしかしたらかつての糖尿病患者さんの中にも、金銭的に新鮮な野菜や果物を買う余裕がなくどうしても炭水化物中心の食事やマックなどのファーストフードに偏ってしまう患者さんがいたかもしれない。また仕事や育児でどうしても運動する時間が取れない患者さんだっていたのかもしれない。もっと言えば、すでに運動も食事も十分改善しているけどそれでもやっぱり「痩せない」人だっていたかも知れない。

そんな個々人の事情に配慮することなく、上から目線で

 

「痩せろや m9(-д-メ)」

 

なんて言ってしまう研修医森田のなんと愚かしいこと!まさに「ミチビキエンゼル」ソックリ!!(ノД`)シクシク。


これは糖尿病に限らずとも同じです。

「抗生剤は意味ないから出しません」

とか

「点滴は意味ないからしません」

とか

「まだタバコやめられないんですか?」

とか

患者さんの生活や事情も考慮せず、ただただ『患者さんに医学的な正解・エビデンスの世界を当てはめていく』僕は、あの「ミチビキエンゼル」のようにジャイアンからケムタがられて当然だったのです。

あぁ…(TдT) なんということでしょう。

そんなある日、僕はEBMという言葉の本当の意味を先輩から教えてもらいました。

 

今の医学界では当然のようにEBM (Evidence Based Medicine)が語られ、「Evidence」=科学的な手法で証明された医学的根拠、がなければ価値がないくらいに「Evidence」が重視されていますが、でもこれ、本来はEvidenceに基づいたMedicine(=現場の診療)と言う意味でありまして、Evidenceだけを祀り上げたものではなかったらしいんです。

以下のリンクにはこう書いてあります

 

「EBMで最も重要な位置づけは、情報収集・情報の批判的吟味にもまして、そのあとの段階、すなわち『その情報を患者に適用する』段階で、その際は『エビデンス・患者の病状と周囲を取り巻く環境・患者の意向と行動・医療者の臨床経験』の4つを考慮すべき」

 

と。

 

詳しくはこちらのリンクの「step4:情報の患者への適用」をご覧ください。
 ↓↓
http://spell.umin.jp/EBM.htm#EBMmisunderstandin

 

そうなのです。患者さんの訴えや症状、検査画像や検査値から、エビデンス通りの答えを導き出す。ここまではAIやミチビキエンゼルでも出来る。いや、この段階までならそのうち僕らはAIに叶わなくなるでしょう。

 

だからこそ、その次の段階、つまり『そのエビデンスを患者さんの生活や思いや環境にあわせてどう適用するか』と言うところが大事であり、そこにこそ僕ら人間の強みがあるわけですね。

 

遅まきながらそのことに気づいた僕ですが、なかなかすぐには癖も治らず(いまでも治ってないかもですが・・)引き続き失敗の黒歴史を重ねていくのですが…(^_^;)。ま、そうは言っても少しずつは進歩したかな?そのうち「患者さんの味方になる」という地域医療独特の荒業を身に着けるようになったのですが、ま、それは自己流なのでおいといて、、

その辺の機微はこちらの記事に載っています。(偉そうに研修医に上から目線で教えています(^_^;))


え〜、結局のところ何がいいたいのかと言うと、

 

科学とかデータも大事だけど、それを『現場で適用する』ということは、想像を絶するくらい広い『人間性』という新たな地平にあった!

 

ということで、

 

その地平にこそAIには出来ない僕ら人間が活躍の場があるのでは!?
AI時代を制するのはやはり「エビデンス」や「テクノロジー」を理解した上でそれと「人間力」を絶妙に融合させることなのでは!?

 

ということ。当たり前かもですけどね。

で、吉藤さんみたいな「科学・技術の世界で実績を持ってるすごい人」が若くして「本当にやりたいのは孤独を解消すること」って気づいて、その技術を現場の患者さんや高齢者のみなさんの「人間性」に着目して柔軟に「適用」していく姿を見て、

 

「あ〜、分かる人って若いうちに、こういうことが分かっちゃうんだな〜。」

 

といたく感心した、という……。

ま、結局のところ今回の話は、40半ば過ぎてやっとその部分がなんとなく分かってきたおじさんが、なんとも自分の不甲斐なさを痛感させられた、という、実に情けない話、ということですね(笑)。

 

ま。いいか(^_^;)

で、この本の感想はもう一つ『孤独』という深いテーマがありまして、実は彼、中学時代に「引きこもり&不登校」を何年か経験していて、その時の辛い体験がこうした行動の源泉になっているのだそうです。そこについても熱く語りたいのですが、ちょっと長くなったので、今回は、これくらいにします。

 

続きはまた別の機会に。

 

 

最期に、もう一度こちらをご紹介!
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(再掲)

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夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)