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記憶の旅日記3 パリ

パリは名古屋、デュッセルドルフに次ぐ3番目の故郷のような街で、毎年少なくとも2回、多い時には4回か5回は色々な用事で行っている。パリに行けば必ず誰かに会う。家族のような人、親友、お客さん。ファッションウィークの時には世界中から集まってくる友達のデザイナーやジャーナリストの人たちにも会える。仕事が終わり、ご飯を食べに行って、マレではフレンチ、オペラ界隈では和食や韓国、他にもベトナムやインドなどおいしいところがたくさんあるのも楽しい。3月にパリに行った時には6時以降の外出禁止が出ていて、普段は朝まで賑やかな街角のバーに誰も人がいなくて、一緒にご飯を食べにいく友人もいないパリは本当に寂しかった。

初めてパリに行った時にはまだ仕事はしていなかった時で、フラットメイトだったフランス人の友人が住むナントに遊びに行き、その帰りに今の妻、当時の彼女の妹がパリに住んでいたのでそこで数日お世話になった。パリはデュッセルドルフからすると大都市でたくさん散歩をした。カタコンベに行き、長い通路に骨が延々と並ぶ暗い地下道で、華やかなパリの地下にひっそりとこんな場所があると知り時は驚いた。

パリのインテリアの展示会の時、彼女に一緒に来てもらった。確か2010年の9月の時だったと思う。その時はスイスの照明のディストリビューターと一緒にランプのコレクションを出していた。その会社はもうないけれど、その時は結構な賑わいだった。ゲイのスイス人の二人のおじさんが社長で、ギルバートアンドジョージのような、オーダーメイドの三揃えのスーツを二人とも着ていて、小柄の方のおじさんは眼鏡の端を口に咥えるのが癖だった。

彼女は昼間のあいだは美術館に行っていて、僕の展示会が終わって、待ち合わせをしてご飯に行った。モンマルトルの丘の途中にある小さな中華のお店で、店に黒い猫がいて、テーブルの上に上がってきたり、膝の上に乗っかったりしていた。長髪で、髪の毛と同じように長い髭が生えた中国人のウエイターがいつもニコニコして、同じく長髪で長い髭のこっちは無口の彼のお兄さんがキッチンで作るご飯も美味しかった。

ご飯を食べ終わってもパリの9時ぐらいはまだ明るく、丘の上まで登って寺院の前の街が見渡せる階段のあたりで腰を下ろした。カゴにビールを持った小柄な男がやってきて、どうですかというので一本ビールを買った。どこからきたの?と聞いたらすごく早口で「バングラディッシュ」と言った。すごくいい天気の日で、街が少しずつ暗くなってきて、眼下の建物の窓に少しずつ明かりが灯されていくのが見えた。世界が遠くまで見えてすごく幸せな気分だった。彼女に「結婚してくれますか?」と聞いた。彼女は驚いていたが、しばらくして「前向きに考えます」と言った。「はい」ではなかったけれど、前向きに考えてくれるのならまあ、いいかと思った。特に悪い気はしなかったし、暗くなり、手すりのある長い階段を降りて二人で北駅の方に歩いて行きホテルに帰った。それから1年半ぐらいして結婚できた。

パリにはデュッセルドルフからは電車で行くのが好きだ。電車は朝5時58分のタリスに乗って、10時前に着く。帰りは17時58分のタリスで、22時前に着く。この電車はベルギーを超えて行くルートで、リールの駅で途中停まる。サンチアゴ・カラトラヴァの作ったこの駅は夜にかけてが本当に美しい。大きな鯨の中にいるような気持ちになる。電車が動くと、流線型の構造が光と一緒に流れていき、暗い外の景色を眺めて、もう少しで家だな、と思う。

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