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より良い人生を歩みたい|パステル画家|詩人|シナリオライター|フリーランス|30代|独…

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より良い人生を歩みたい|パステル画家|詩人|シナリオライター|フリーランス|30代|独身|地方在住|読書好き

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    塀の向こうの花壇

    塀の向こうに見える花壇を描いたものです。 光が差し、影となる部分とのコントラストが気に入っている作品です。 原画1点物です。 コピーではないので、本物のパステル画の筆致をご覧いただけます。 写真ですので、現物と若干色合いが異なる場合もございます。 サイズはA4(210mm×297mm)。 キャンソン・ミ・タント紙にパステルで描いています。 額縁はボックスフォトフレームを利用し、紐も付属していますので、壁掛けでも、スタンドでも、両方に対応しています。 注文から発送まで約2週間ほどいただきます。 ご理解のほどよろしくお願いします。
    12,000円
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    故郷の海が見せてくれる波を描きました。 穏やかさと荒々しさ、どちらも感じ取れる絵に仕上がっていたら嬉しいです。 原画1点物です。 コピーではないので、本物のパステル画の筆致をご覧いただけます。 写真ですので、現物と若干色合いが異なる場合もございます。 サイズはA5(148mm×210mm)。 キャンソン・ミ・タント紙にパステルで描いています。 額縁はボックスフォトフレームを利用し、紐も付属していますので、壁掛けでも、スタンドでも、両方に対応しています。 注文から発送まで約2週間ほどいただきます。 ご理解のほどよろしくお願いします。
    10,000円
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    塀の向こうの花壇

    塀の向こうに見える花壇を描いたものです。 光が差し、影となる部分とのコントラストが気に入っている作品です。 原画1点物です。 コピーではないので、本物のパステル画の筆致をご覧いただけます。 写真ですので、現物と若干色合いが異なる場合もございます。 サイズはA4(210mm×297mm)。 キャンソン・ミ・タント紙にパステルで描いています。 額縁はボックスフォトフレームを利用し、紐も付属していますので、壁掛けでも、スタンドでも、両方に対応しています。 注文から発送まで約2週間ほどいただきます。 ご理解のほどよろしくお願いします。
    12,000円
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    故郷の海が見せてくれる波を描きました。 穏やかさと荒々しさ、どちらも感じ取れる絵に仕上がっていたら嬉しいです。 原画1点物です。 コピーではないので、本物のパステル画の筆致をご覧いただけます。 写真ですので、現物と若干色合いが異なる場合もございます。 サイズはA5(148mm×210mm)。 キャンソン・ミ・タント紙にパステルで描いています。 額縁はボックスフォトフレームを利用し、紐も付属していますので、壁掛けでも、スタンドでも、両方に対応しています。 注文から発送まで約2週間ほどいただきます。 ご理解のほどよろしくお願いします。
    10,000円
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    母島の港

    小笠原諸島の母島から見える港を描きました。 空や海の移ろいなど、個人的にも気に入っている作品です。 原画1点物です。 コピーではないので、本物のパステル画の筆致をご覧いただけます。 サイズはA5(148mm×210mm)。 キャンソン・ミ・タント紙にパステルで描いています。 額縁はボックスフォトフレームを利用し、紐も付属していますので、壁掛けでも、スタンドでも、両方に対応しています。 注文から発送まで約2週間ほどいただきます。 ご理解のほどよろしくお願いします。
    10,000円
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私の作品紹介「紫陽花」

 これは僕の描いたパステル画である。  その中でも出来のよいものの一つで、お客さんが本来買う予定だった絵のほかに「これもいいね」といって買っていってくれた。  自分でも気に入っている。  題材は「紫陽花(アジサイ)」。  つまり梅雨時期に描いた絵なのだけれど、もう梅雨も終わりに近づこうとしているころだった。  僕はよく散歩する。  その散歩道で見つけたこれは、ガードレールの向こうにあった。梅雨が終わりに近づいていたから、他の紫陽花は少し枯れていた。それでもこの紫陽花は、異彩を

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      なにげない日々の幸せ

      • 自分の弱さを守りたい

         もう二十年以上前になるだろうか。僕はミニバスケットチームに所属していた。小学生たちが集うチームだ。今でいうところの、サークルや部活である。  うちのチームのコーチは、元々プロバスケを目指していた(あるいは、元選手だった? その辺は記憶が曖昧だ)経歴もあって、結構厳しかった。  勝つことが、その人にとって至上命題だった。練習試合を何回も組まされた。その度に、僕は嫌ぁな気持ちになったものだ。もちろん、最初のうちは、スタメンになれるはずもないので、ベンチや、応援席で仲間を叱咤

        • 【詩】くらげのゆりかご

          くらげはずっと、くらげらしくあるのを、 私は望んでいる。くらげとして生きたいの ではなくて、私として生きたいのに、くら げはどうしてもくらげでしかない。 プカプカ浮かぶあの発光体が光っていると 気づいたのは、いつの、誰だったんだろう。 息をしているのか、言葉を発しているのか、 誰にもわからなかったはずなのに、いつも、 暴かれてしまう。 私もずっと、くらげのままだったらといいの にと望むけど、どうもそうはいかないみたい。 植物なのか、動物なのか、わからないまま、 でも誰かが

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        私の作品紹介「紫陽花」

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          心の余白が、大事なものを際立たせる

           日々生きていると、色んなことに忙殺されませんか?  たとえば、仕事。無数のタスクがあって、終わる気配がまったくない。というか、タスクというのは日々積み重なっていくから、きっと終わるという瞬間がない。  日常の雑事だってそうです。掃除、洗濯、調理。様々なことで、僕らは時間を使っています。そうしたとき、頭の中はごちゃごちゃになっています。まるで余白のない引き出しのようです。頭の中の箪笥には、もう入るすき間がない。キャパシティオーバーとは、こういうことを言うのでしょう。  けど

          心の余白が、大事なものを際立たせる

          自分だけの10冊の本の見つけ方

          はじめに  2024年になってから、一日一冊は本を読む生活を続けた。  100冊を越えたあたりから、何かが変わってきた。  具体的に言うと、言葉が頭に入ってこない。読んでも読んでも、どれも似たり寄ったりに感じられる。  これはどうしたことだろうか?  不安を覚え、いったん、読書をやめてみた。その代わりに、散歩をしている最中、いろんなことを考えた。自分の読書に対する姿勢。なぜつまらないと思うようになったのか。何が変わってしまったのか。  そこではたと、思いつきが浮かぶ。

          自分だけの10冊の本の見つけ方

          【詩】言ってしまえば、最愛の人

          彼女はきっと、これからも、 僕のことを抱きしめて、いろんな悪と呼ばれるものから、 救ってくれるだろう、 そうと知りながらも、 僕は彼女を裏切り、 だまし、 この世界からいなくなればいいと、 囁き続ける、 ねえ、いつか、 子犬を二人で飼ったとしたら、 どんな名前を付けようかと、 相談し合った朝があったね、 朝焼けは、僕らの影を、 フローリングに落としてた、 それがひどく不快で、 僕はなんだか、今すぐ散歩に行くべきだと思って、 君を忘れて、そっと玄関を出て行った、 あのとき二

          【詩】言ってしまえば、最愛の人

          何のためでもないことをする時間

           幸せだと感じるのはどんな瞬間でしょうか?  僕自身でいえば、3つほど挙げられます。  1つは、パステル画を描いている時間。  2つめに、家族と談笑している時間。  3つめは、好きな本を読んでいる時間です。  もちろん、他にも色々あります。散歩だって幸せを実感できる時間ですし、カメラで写真を撮っている瞬間もそうです。ただ挙げればキリがないので、大まかには前述した3つくらいだとして話を進めます。  そうしたとき、ふと気づきます。  すべてに共通しているのは、「無為性」だと。

          何のためでもないことをする時間

          「憧れ」ではなく「好き」を見つめる

          「好き」と「憧れ」は違うんじゃないか。最近ふと思うようになりました。というのも、「憧れ」というのはあまりにも漠然とした言葉だからです。いわばイメージです。抽象です。皆さんが思う「憧れ」というのは、姿や、風景を見ているようなものです。でも、「好き」は違います。より具体的で、細分化されています。 書くのが好き。アニメを観るのが好き。ゲームをプレイするのが好き。このように、ほとんどは動詞で表せますし、さらにより深く見ていけば、細かく分かれていきます。書くといっても、小説を書くのが

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          言葉という暴れ馬を捕らえる

          言葉を扱う、というのはどういう気分だろうと考える。たしかに僕らは、言葉を扱っているかもしれない。誰の言葉かは、わからないまま。自分の言葉のように考える。頭の中は見通せないというのに。この世に生まれ、生きてゆくなかで、言葉は覚えてゆく。逆に言えばそれは、自分が見聞きしていない言葉は、操れないということだ。 よく言語は思考と直結していると言われる。英語圏の人は、英語で考えるし、日本語圏の人は、日本語で考える。別の言語を覚えるとは、別の思考体系をその身に宿すということだ。別言語圏

          言葉という暴れ馬を捕らえる

          散歩を長くしたら眠れるようになった

          しばらく不眠が続いていたのですが、ここ最近、散歩をまた再開しました。それも今度は、2時間から3時間ほど。するとぐっすり眠れます。要するに身体を心地よく、疲れさせるわけです。人が眠れないというのは、当然、不安やストレスのせいもあるかと思いますけど、そうではなくて、単に身体がきちんと使われていないだけ。十分なほどの疲れが、身体にはないだけかもしれません。 時々思うのですが、人は、ある程度は身体を動かすことをしなければならないのではないでしょうか。車と同じです。整備するということ

          散歩を長くしたら眠れるようになった

          曖昧な自分で生きてゆく

          夜更かしをしてしまう。時々、こうして眠れない日々が続く。毎日じゃない。ただ一日、二日だけ、ぽつぽつと、まるで忘れるのを脅かすように、朝まで起きている。今日もそんな日だ。何か不安があって眠れないのかな、と思って、書く瞑想もしてみた。ジャーナリングと呼ばれるものである。ひたすら、手が止まらないように、10分間だけ、ノートに書き続ける。浮かんでくる思い、不安、全て。書き終えたとき、満足感はある。すっきりした感じはあった。眠れなかったけど。 起きていても暇だから、日記を書いている。

          曖昧な自分で生きてゆく

          先延ばししても物事は前に進んでる

          生活の指針になっている考えはいくつかある。その一つが「構造化された先延ばし」だ。スタンフォード大学の哲学者ジョン・ペリーがエッセイで提唱した概念である。たいそうな名称だけれど、別に論文かなにかで発表されたわけでもない。要するに「人は先延ばししている間も何かしている」という考え方を指している。 たとえば、掃除。よく物事を先延ばしにしている例として、試験勉強が近づくと、むしょうに掃除をしたくなる現象が挙げられる。これは試験勉強を先延ばしにするために、別の些末なこと、つまり掃除を

          先延ばししても物事は前に進んでる

          あまのじゃくだっていう自覚はあるさ

          久しぶりにぐっすりと寝た。すると頭もすっきり。やっぱり人間にとって睡眠は大事なんだな、と再認識する。けどまた、僕はきっと、寝不足になってしまうだろう。いつも同じことの繰り返しなんだ。学習しない。でも、それでいい。もし自分が常に学習して、身につけ、同じ過ちを繰り返さないと想像したら、少し怖い。完全無欠の人に近づいてしまう。それはそれで、何だか恐ろしく思えてしまうのだ。 友人でもそうである。完璧な人間に近づくほど、恐ろしくなる。僕が傷のなめ合いをしているだけかもしれないけど、ま

          あまのじゃくだっていう自覚はあるさ

          時間から自由になる

          時間というものを意識したのは、いつ頃だっただろうか? 考えてみれば、僕らは生きているときから、時間に支配されている。生まれた瞬間、いついつ、何時何分に生まれたとか、生後何ヶ月とか、何歳から歩き始めるとか。 僕らは「時間」とか「日付」から逃れられない。 そう思うと、何だか時間っていう鎖に自分の身体が縛られているような気がして、ひどく億劫で、苦しいような気分になった。 デジタル表示の置き時計を使っていたのだけれど、気づいたら、そっちをちらっと見て、時間を確認する癖がついてい

          時間から自由になる

          『ダンジョン飯』から学ぶ人生哲学

          はじめに  『ダンジョン飯』という漫画が大好きです。今はアニメ放送もしています。ついこの間、第11話が放送されました。2クール放送らしいので、まだ半分以上内容を残しています。評判もよく、続きを期待しています。  そんな『ダンジョン飯』を観ていて気づいたのですが、これはけっこう人生で大切なことがたっぷりと詰まっているな、と。僕の生き方そのものと共鳴するところも多いからか、ついメモを書くと、学びになりそうなところがいくつもピックアップできました。  今回はその中でも大切な3つの

          『ダンジョン飯』から学ぶ人生哲学