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高校野球を見て思い出す、10代の頃。

毎年、“夏の甲子園”を見ていると自分の高校時代を少しばかり思い出す。

 京都府の中学校を卒業しながら、高校は瀬戸大橋を渡り、香川県の尽誠学園へ進学した。一番大きかった理由は甲子園出場という目標。正直なところ、香川県は参加校数も少なかったのでチャンスがあるのではないかと思った。行ったこともない場所だったけど、誘ってもらったことがきっかけで進学を決めた。


 入学すると早速、セカンドで試合に出させてもらった。当時、尽誠学園は夏の甲子園出場から5年ほど遠ざかっていたので、チーム内にはどこか「簡単にはいかないぞ」という雰囲気を感じた。
 そんな中、1年夏の県大会ではスタメンに抜擢された。たしか背番号は16だったと思うけど、守備には自信があったのでわりとスムーズに対応できた。一方で打撃はまだまだ力不足。でも当時は相当強力なメンバーが揃っていたので、本当にチームメイトに恵まれたなと思う。


 チームはあれよあれよと勝ち進み、決勝でも勝って甲子園出場を決めた。学校はあの空海(弘法大師)ゆかりの善通寺市にあるのだけど、学校内だけでなく地域の方々も盛り上がってくれて、町をあげて応援してくれる感じがあったのをよく覚えている。
1年生の夏にいきなり甲子園に出られたことは、自分の中でターニング・ポイントの1つ。3年間、高い目標を持って野球ができた一番の要因になったと思う。


“夏の甲子園”はとても環境が良かった。開会式や甲子園練習など貴重な経験をさせてもらったし、練習時間も短く、宿舎の大阪のホテルでは一人部屋。まだ高校生活を4か月ほどしか送っていない中でいろいろな環境の変化に戸惑う部分もあったけど、快適に過ごすことができたのは印象に残っている。
 初めて甲子園球場に足を踏み入れると、まずは芝生がフカフカだなと思った。そして、驚いたのはスタンドの広さ。テレビで見ていた憧れの場所にいるんだと思うと、とにかく感激だった。
 

ただ、試合になると一転して、時間の短さを感じた。大会の係の方々や審判員の方々がテキパキと運営していて、こちらも忙しなく動いていく。夏の暑さとスピーディーさをよく覚えていて、試合は本当に一瞬。あっという間に終わっていた。
 幸い、2年夏にも甲子園に出ることができたのだけど、そのときは一度経験したことが生きて、あのスピーディーな雰囲気にも対応できていたと思う。

 2度の甲子園ではともに初戦を勝ったものの、2戦目で敗れてしまった。
 特に印象強かったのが1年夏。負けた相手は大阪の関大一高で、当時のエースは現在メキシカンリーグで活躍している久保康友さんだった。超高校級の投手の前に、たしか3三振したと思う。決め球は全部スライダー。バットに当てることもできなかった。大舞台で“全国レベル”を肌で感じ、また1つ大きな目標ができた。この経験もその後に大きくつながったと思う。
 

ターニング・ポイントはもう1つある。
 2年秋、推薦で国体に出場した。そこでチームが3位になったことにより、個人としても大学の推薦入試制度の資格を得ることができた。その実績がなければ、大学で野球を続けられたかどうかも分からない。大学進学のきっかけとなったのも、高校野球だった。
 

 3年夏は主将もさせてもらったけど、県大会で早々に敗れて甲子園には出られなかった。
あのときの喪失感は今でも忘れない。3年間、誰よりも練習してきたという自信があったし、多くの経験もさせてもらっていたけど、高校野球の最後はあっけない終わり方だった。
 ただ、今振り返れば、その悔しさがその後、野球を頑張るためのきっかけになったのかなと思う。
 最後の試合に負けた次の日、同期の仲間たちと海に行った。兵庫県にある「舞子浜海水浴場」。そんな出来事もあったから意外とパッと切り替えられて、すぐ受験の準備に取り掛かることができたのかもしれない。普段はテレビや携帯電話は禁止(ラジオはOK)、外出も自由にできないという厳しい環境だったけど、メリハリよくやれていたのかな。
そんな高校時代の経験があって、今があるのだなとつくづく思う。



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