インド文学研究家への手紙


ガンジーとネリー
美わしのベンガル (入手困難)
大観とタゴール

MU様

誠実な返信に心から感謝申し上げます。貴重なジボナンド・ダーシュの訳詩もありがとございます。詩誌
「SM」のご縁、ファウンダーであるSK氏が残してくださった温かいつながりを感じ、嬉しく思います。彼は「人間を書く」ことを何より大切にされていたと聞きます。

MU様が、繊細な感覚でロマンティックな思いを大切にする詩人であることを理解しました。ダーシュの詩は常に女性への思いが語られ、それが世界への思いと自然につながっています。

私は20歳の頃、恥ずかしながら、恋愛至上主義者でありました。加えて強い希死念慮に囚われていました。私の中の観念の女は現実と折り合いがつけられなくなりました。
私は女性に対し、絶望と怒りがあります。
加えて、究極の恋愛に対する過剰なロマンティシズムがあります。両極に分裂しています。

ダーシュの詩に共感する部分が多々ありました。MU様の表現には権威主義やマッチョイズムに対する反抗とを感じます。ベンガル語を専門にされた理由は、想像するしかありませんが、非暴力、そして反植民地主義を想像します。MU様の青年期は冷戦のピークでした。

真昼 空に感電死する工夫あれ 吾(あ)はその汗の塩をも愛さん

この歌に私は全く共感できません。『藍を走るべし』に掲載されてる下記の歌にも同様の粗暴さ、鈍感さが感じられます。

ひそやかにあけがたの野を走りゆく熱情のあるカタピラーのうえ
汗ながす緑のボンベ遠き世は吾が憎しみのうらがわの牡蠣

塚本邦雄氏の影響で、観念の形象化を採用したようですが、人気を獲得するためにO氏は作風を器用に変えます。

生き方を問われていたる青年のコーラを一気にのみほせる見ゆ
捨てられし子猫が濡れて寄りくるをエセヒューマニズムの眼もて見おろす

これらの歌にも全く共感できません。

そういうわけで、不遜ながら、MU様のような方に、私を論じてもらいたいと思います。

ほそやかの命は透けり篠懸の素肌の腕のほの白き朝

私はこちらの歌が数倍いいと思います。私の詩をよく読んでいただければ、私がMU様側であることを理解していただけると思います。

暴力的な母方の祖父の妻、祖母は、北原白秋に関係のある歌人でした。満州から苦労して帰国し、高校教師をしながら、患難辛苦を創作で乗り越えたことを知っています。祖父は、ソ連に抑留され政治を志し、議員から会社役員になりましたが、磯崎家を嫌っていました。憎しみが父と母を結びつけていました。こうした出自だけでなく、私は阪神淡路大震災、東日本大震災、リーマンショック、コロナパンデミック、それぞれ実害を被りました。その度に、人生の舵取りも変更を余儀なくされました。52歳で、脊椎に穴が空いた時、一度人生を諦めましたが、生き残りました。肉体の痛みを紛らわすために、ベッドで呟きをメモに書き続けました。退院した私は、これまでの苦痛を詩にできることに気づきました。詩情とは、言葉にできない尋常ならざるものであり、書くことは、自分の中の他者との邂逅なのです。
書くことで孤独から救われました。

昨年、夏、私は覚悟を決めて、お遍路を断行しました。自分の肉体の限界を知りたかったのです。歩いている間、不動明王のマントラを唱え、中村元先生訳の「スッタニパータ」をAudible聞き続けました。

犀の角のようにただ独り歩め

この度、MU様がベンガル文学研究家と知りタゴールの詩を思い出しました。

君の呼びかけに誰も答えないならば、
君よ、我が道を一人征(ゆ)け。

タゴールは仏陀と同じことを言っています。ジボナノンド・ダーシュの詩集『美わしのベンガル』を読みたいと思いましたが、手に入れることはできませんでした。

MU様の添付資料を読み謎解きを楽しみました。この詩集は「詩人が最後の詩集で辿り着いた世界」と紹介されています。病気をきっかけに詩人になった私の詩に、ある種の詩の可能性を見つけていただけたなら、それはとてもうれしいことです。

 
//////////////////

道すがら
不吉な時、
わたしに一つの言葉をおくれ

人間より
太陽、風、女を
先に知る

静かな恋人のかたわら
閉塞する私
まるでご婦人のフリルのよう

歴史の始まりを知らないのに
分別のある仕草をしていたら
行く先は死しかない

血の努力で
無垢の地球を
つくりだそう

////////////

わたしのこのメールが『ピルグリム』の理解につながることを祈ります。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?