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打たれないほどの出過ぎた杭になる力

この力はすべての教師に必要とされるものではありません。人の上に立とうなどとは思わず、誠実に、小さくまとまりながら生きていく道というものも断固としてあります。そういう生き方が向いている人たちが一定数いるものです。私もそのことを否定しません。しかし、あなたはまだ若いはずです。「健全な野心」をもつことは正しいことです。

野心には「健全な野心」と「不健全な野心」とがあります。後者が〈位置エネルギー〉を志向するのに対し、前者は〈運動エネルギー〉を志向します。つまり「不健全な野心」とは、出世したいとか人を意のままに動かしたいとか、要するに自分の地位の高さ、立場の高さを志向するタイプの野心です。これを「〈位置エネルギー〉をもつ」と言います。これに対し、「健全な野心」とは、いつかあの人の見ているものを自分も見てみたいとか、いつかいま見えていない世界を見られる自分になりたいとか、常に「いまの自分」を〈過程〉のなかに位置づけているタイプの野心のことです。自分を動的な存在として位置づけるタイプの野心ですね。これを私は「〈運動エネルギー〉をもつ」と言っています。

〈運動エネルギー〉で動くと、様々な思いつきを具現化しようとしたり、様々な引っかかりにこだわってみたりということが日常になります。学校というところは〈位置エネルギー〉で動く人も決して少なくありませんから、周りの〈位置エネルギー〉派からは「出る杭」と見られます。〈位置エネルギー〉派の多くは、自分が〈位置エネルギー〉をもつために自分を殺し、自分を抑えてきた経験をもっていますから、基本的に「出る杭」を嫌います。

〈運動エネルギー〉で生きていこうと決めたら、これを跳ね返さなければなりません。しかも「出過ぎる杭」として十年程度は戦い続けなければなりません。「打たれないほどの出過ぎた杭」になれるのはそこに到達したときなのです。正直に言えば、長く辛い闘いを経なければ、「出過ぎた杭」にはなれないというのが、この国の普遍真理なのです。

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