堀 裕嗣

「研究集団ことのは」代表。公立中学校教員。 新著『道徳授業で「深い学び」を創る』(明治…

堀 裕嗣

「研究集団ことのは」代表。公立中学校教員。 新著『道徳授業で「深い学び」を創る』(明治図書)/『アクティブ・ラーニングの条件』(小学館)

最近の記事

大切なもの

大切なものがずいぶん前に失われていたことに気づくことがあります。大切なものがずっと前にどこか別の場所に去ってしまったことに気づくこともあります。そんな失われてしまったり去ってしまったりしていることが既に自分の一部になってしまっていることに気づき、茫然と立ちすくむことがあります。 そんなとき、自分の胸に手をあててよく考えてみると、そのきっかけが自分のエゴであることに気づきます。これでいいや、これ以上は面倒だ、これだけやっておけばいいだろう……そう考えてしまった瞬間に、「これ」

    • 〈今後の予定〉

      御依頼は下記日程以外でお願いします。 【定員30/残席7】 EDGE at 稚内/大野さんが立ち上げた新しい研究会です/2024年5月25日(土)/稚内ポートサービスセンター/参加費3,000円/大野睦仁・宇野弘恵・太田充紀・堀裕嗣 https://www.kokuchpro.com/event/ae9f6ded150988bd91e0b95882ed3533/ 【定員16/残席5】 THE 教材研究・イロハのイ~国語科授業改革セミナー2024水無月in札幌/「教材研究」

      • 人は他人の誠実さに惹かれる?

        誠実な人と淫らな人。あなたはどちらが好きだろうか。 一緒に仕事をするならとか一緒にいて安心するとか、よけいなことを考えてはいけない。単純にどちらが好きかという問題だ。どちらに惹かれるかと言い換えてもよい。多くの人が淫らな人であるはずだ。無能な淫らさはみんな嫌いだが、有能な淫らさはだれもが好む。 人は有能な人間の「淫らさ」に惹かれる。 誠実な人、一緒にいて安心する人、確かに大切かもしれない。しかし、誠実も安心もただそれだけである。それ以上にはならない。誠実と安心を掛け合わ

        • 負のスパイラル

          若い頃は、何か教職にマニュアルがあって、そのマニュアルに沿って動いていればなんとか生徒たちを動かせる、そんな気になるものです。授業でも学級経営でも確かにマニュアルに沿っていれば、大失敗をすることは避けられますし、責任をとらなければならないような大きなクレームに晒されることもないような気もします。若い教師の学年主任や管理職への相談は、そのマニュアル主義がもたらすものです。こんなときどうすればいいのか、その判断を仰いでいるわけですから。 しかし、こうしたマニュアル主義は具体的な

        大切なもの

          マイナスをなくせばプラスが生まれる?

          いじめのない学校、不登校のいない学校、非行のない学校……。「○○のない学校」「○○のない学級」が目指される。いじめも不登校も非行もあるよりない方がいい。それは確かだ。でも、「○○がない」ことはマイナスをゼロにすることであって、決して子どもたちの精神状態がそれによってプラスに転化するわけではない。満足度が上がるわけではない。 マイナスがなくなれることとプラスになることとの間には大きな距離がある。教師が忘れてはならないテーゼの一つだと感じている。 例えば、新しくもった学級にい

          マイナスをなくせばプラスが生まれる?

          教師にふさわしいリーダーシップがある?

          テレビ・新聞の報道もインターネット上の報道も複雑な事象や複合的な要因を一つの単純な物語に落とし込む。メディアとはそういうものだ。人々はシンプルでわかりやすい情報を求める。消費とはそういうものだ。だからメディァは顧客満足を優先して、わかりにくく複合的な情報の複雑さを切り落とし、できるだけシンプルなパッケージにして商品化する。そして、そういう商品化された情報だけを日常的に浴びている子どもたちや保護者は、無意識に学校教育にもそれを求める。説明責任とか結果責任とかいう言葉はそうして生

          教師にふさわしいリーダーシップがある?

          若者は指導の対象?

          僕はかなりの大規模校に勤めているので、三月になると毎年のように定年退職者をみんなで送り出している。いわゆる「団塊の世代」のほぼ全員が職員室から姿を消し、これからかつて「新人類」と呼ばれた世代を見送ろうとしている。さまざまな軋轢もあったけれど、いざ彼らを見送るとなるとあまりに寂しい。いまから十年ほど経つと、次は僕らの世代になる。そんなに遠い話ではない。 ある世代が社会から退場していく。それをすぐ下の世代、もう一つ下の世代くらいまでがしみじみとした思いで見送る。ある一定の年齢に

          若者は指導の対象?

          打たれないほどの出過ぎた杭になる力

          この力はすべての教師に必要とされるものではありません。人の上に立とうなどとは思わず、誠実に、小さくまとまりながら生きていく道というものも断固としてあります。そういう生き方が向いている人たちが一定数いるものです。私もそのことを否定しません。しかし、あなたはまだ若いはずです。「健全な野心」をもつことは正しいことです。 野心には「健全な野心」と「不健全な野心」とがあります。後者が〈位置エネルギー〉を志向するのに対し、前者は〈運動エネルギー〉を志向します。つまり「不健全な野心」とは

          打たれないほどの出過ぎた杭になる力

          さぼる人ほど優しい?

          人に優しく──だれもがそう思う。 他人を肯定的に見たい──だれもがそう思う。 しかし、なかなかできることではない。ついつい他人を批判してしまう。ダメだなあと思いながら反省する。ときには軋轢に落ち込む。僕らはいつもそんなことを繰り返している。 他人を批判する悪癖はどこから生まれるか。それはおそらく、自分のやっていることは正しい、自分たちのやっていることは確かに正しい、間違っているはずがない、そういう揺るぎない自己肯定から生まれる。自分を正しいと肯定しているから、他人の小さ

          さぼる人ほど優しい?

          子どもや保護者を批判する資格がある?

          人は自分に都合の悪いことは見ようとしない。意図的・意識的に見ようとしないのではなく、無意識のうちに視界から排除する。その方が人間が生存するためには都合が良いのだから仕方ない。これは人間の本質とかいうよりも、むしろ生物学的な問題ではないかとさえ思う。例えば、教師は自分がそれほどの教師でないことを絶対に見ようとしない。それどころかたいして自慢できることもない、ありふれた人間であることさえ認めようとしない。それを認めてしまったら、子どもたちに人間いかに生きるべきかを語る資格がなくな

          子どもや保護者を批判する資格がある?

          言葉は意味よりも比喩?

          世の中には「木を見て森を見ず」の人が八割を占める。「森を見て木を見ず」の人が二割。この二割はとても生きづらい日常を送っている。 「森を見て木を見ず」の人たちの何割かは「森を見て木も見る」人たちになっていく。経験を重ねることでさまざまな木が自らの森に結びつき、それを意識しながら生きることで成熟を示す。この人たちは他人に優しくなり、さまざまな業界で一流に昇っていく。こうして少数の〈森先行型の一流〉が生まれる。 「木を見て森を見ず」の人たちの何割かは「木を見て森も見る」に移行と

          言葉は意味よりも比喩?

          チューニングを合わせる力

          だれもがこれからの時代に必要とされるのは〈コミュニケーション能力〉だと主張します。しかし、〈コミュニケーション能力〉の内実はあまりにも複雑で、しかもその人の性格や人間性と切り離して考えられないものです。「はい、そうですか」と簡単に身につけられるものではありません。 ただし、すべての教師が身につけなければならない〈コミュニケーション能力〉があります。これが身についていないと仕事にならない、これが身についていないと教師失格である、それが「チューニングを合わせる力」です。 子ども

          チューニングを合わせる力

          先の見える方を選ぶ?見えない方を選ぶ?

          人生の岐路に立つことがある。そのとき、先を見通せる方を選ぶのが成功のコツで、先を見通せない方を選ぶのが成長のコツだ。僕の経験から言って間違いない。 例えば数ヶ月後に芝居を上演するとしよう。過去にやった演目を上演すればそれなりの成功を収めることができる。完成度が高くなるから評判を呼び、観客も動員できるかもしれない。しかし、演技する者はもちろん、演出する者にも裏方を担う者にも大きな成長は見込めない。過去に上演した演目はそれに関わった人たちのなかである程度の固定イメージが出来上が

          先の見える方を選ぶ?見えない方を選ぶ?

          足許をすくわれる力

          他人の足許をすくうことを「いじる」と言います。他人に足許をすくわれることを「いじられる」と言います。他人をいじる人は、適切にいじられる術を身につけていなければなりません。一方的にいじるだけでは、或いは一方的にいじられるだけでは、「いじりいじられる関係」が潤滑油として機能しません。そういう状態は「いじられる」側が我慢していることを意味しています。もはや「いじめ」です。 他人をいじる人は、須く適切にいじられなければなりません。足許をすくわれても笑っていられる度量をもたなければな

          足許をすくわれる力

          勝利者は勝利者たることを意識しない?

          「負けたくない」という言葉を聞くことがある。 教師の口からである。しかも研究会で出会った人たちの口から、直接・間接にこの言葉が出てくるのだ。ときには研究会の休憩時間にひたむきな表情で。ときには研究会の後日僕に対する質問のメールで。ときには僕の編著の原稿を依頼した際の原稿のなかで。この言葉を聞くと僕は戸惑ってしまう。いったいこの人はだれに負けたくないのか。だれと勝負しているのか。それが皆目わからないのだ。僕には見当もつかないのだ。 部活動を指導していてライバル校との対戦を控

          勝利者は勝利者たることを意識しない?

          一人で思索にふけられる場所がある?

          一人になりたいことがある。どうしても一人になって考えたいときがある。どうしても一人でなければ考えられないことがある。そんなとき、一人になれる場所が必要である。 物理的的に一人である必要はない。要するに、周りに人がいても構わない。だれにも話しかけられることがなく、だれにも邪魔されることもなく、周りに不愉快なノイズがない。それが条件だ。要するにだれにも煩わされることなく、一人で思索にふけられる場所である。何ものにも邪魔されずに一人で心ゆくまで考えられるのならどこでもいい。 近

          一人で思索にふけられる場所がある?