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アイドンノー展 プライマルとは一体何だったのか?

こんにちは、あなたのココロのスキマ♡、写真と展示でお埋めします、hirotographerです。

さて、自分の展示の説明は現場で散々したのと、独特のインターフェースゲームコントローラーありきなのでこの場では展示それ自体を私の目線で振り返ってみたい。

私の作品「Home Sweet Home」/実家のデジタルアーカイブ

アイドンノー展 に声をかけてもらったのは4月くらいだっただろうか?
ケンタ・ソーヤング氏から突然の長い長いDMが来た。血で血を洗う展示バトル、地獄の召集令状である。
ちょうど海外出張直後の展示スケジュールになることと、出展者のキャラが濃過ぎるので正直辞退しようかとも思った。

しかしながら、「誘われたら予定が合わない限り断らない」の行動原理に乗っ取り、あまりよく考えないまま参加を決意した。

「アイドンノー」を直訳すると「知らないよ」になるのだが、おそらく言いたいのは「誰が何と言おうが知ったことか!」という感じだと思うので本来は「Don't give a fxxk/damn」とか「I don't Care」とか「Who Cares?」みたいな言い方になるのだけど、そういう細かいことを言い出すとモテないのでやめておくことにする。(ちなみになぜかよく喋る年上の男性と60歳以上の女性にモテる)

で、参加することにしたらしたで、出展メンバーのプロフィールが頭がおかしくて、一癖も二癖もあるメンバーが多すぎて困る。

例を挙げると、

赤外線おバズり士、肺に穴空いたけどスケジュールの穴がない人、麻辣緊縛士、水族神(かん)、紙ときどき人体書道家、ビジュ爆発キャラ爆散雨下、北欧白夜行撮像士(FPGA)、ヴェネチアンヤンキーオタク、チョコとパンのかほり、蔵王は宮城のモノ、琵琶湖の写畜、未来予想図が一人カンヌ映画祭、黄金比嫁グラフィー、陸前高田Ittoko!?、風雲タシロ城(シロ)、温泉の女神。ついに女神まで召喚する写真展って一体なんですか?
※全員2つ名つけたいけど、ここまででギブアップ

もはや意味が分からない。ある日、誰かが異種格闘技戦とか言い出した。そうだ、これはストリートファイターなのだ。様々な戦闘スタイルの奴らが写真と展示で殴り合う肉弾戦。

アイドンノー展 参加者イメージ図(参考)

SNS上で「承認欲求」が揶揄されがちな昨今、そんな雑音を気にもせず、

"Witness, Me!!"

とマッドマックスのニュークスよろしく、みな展示で作品で自分を主張する。主張が強い。キャラが強い。写真が強い。
「プライマル」というテーマ設定をしたことでより濃縮され、純度が増した個性が発揮されていたように思う。

ニュークスぱいせん

今まで見た展示や展示経験の中で比較をしてみるのであれば、個人的なアイドンノー展の特徴は

・お客さん一人当たりの在廊時間が長い(展示側も話したいことがいっぱいある)

・写真そのものだけでなく展示方法の主張が強い

・世代・性別・ジャンルのダイバーシティ(カメコの夢から震災ドキュメントまで)
・毎日23時までの長時間展示

という感じだろう。思いの強さ故に伝えることも増えてしまう。
「写真展なら写真で説明しろよ」と主張するクソリプ野郎方もいるだろう。
個展であれば、写真だけで説明する十分な量があるがグループ展であればスペースや作品も限られるので言葉の配分は必然的に増える。でも熱量は減らない。つまり熱量保存の法則により指数関数的にお客さんの滞在時間が増えていく、という寸法だ。

ほぼ毎日在廊したが、濃密な時間だった。
来場者のダイレクトな反応、興味→驚き→納得→共感という感情の動きを会話しながら感じることも多く、4月の展示の際でもそうだったがコロナ禍で失われていた対話することの価値をただただ体感するだけだった。

そして熱い時間でもあった。
入って左側の展示部屋のクーラーが暑さの中で自らがクーラーであることをすら忘れてしまい、搬入の際から地獄だった。9月というのに外は35℃近い猛暑日、汗だくになりながら設営を行っていると意識が朦朧とする。しょうがないので同時期にルデコ開催されていたS10展にゆーいさんと往復タクシーで涼みに行ってしまった
なおギャラリー・コンシールはカフェでもあるのでお客さんに飲み物を飲んでもらうと嬉しい設計(ギャラリー側が)なのだが、展示メンバーだけでアホほど水分摂取に利用させてもらったこともこの熱量の影響であることを記載しておく。特に肺に穴が空いた人はその穴から酒が抜けていくのだろうか・・・とにかくとんでもない摂取量だった。

最後に、
主催した昭和産まれ、オルタナ育ちのケンタ・ソーヤング氏。
終ぞ社会に場を与えられなかった氷河期世代が場を誰かのための場を作り、提供するというのが個人的には同世代としてぶっささる。
(これは尊敬する何人かの写真家の方々にも通底する部分だ。)

レッチリ、Radio Head, Green Day, Oasis、Blur、etc. 会場に鳴り響く音楽はそのアティチュードを讃える世代のアンセムだ。
若い世代にとっては「知らんがなアイドンノー」だろうけど、きっとお互いにそれでいい。

一方で「仲が良い者同士でやる展示」とは少し異なるので、「主催すること」の労力とストレスはなかなかのものだと思う。
会場の確保と企画、メンバーの収集(断られることも多数。)、諸々の内外の不満への対応、展示の評判へのプレッシャー・・・それに伴う様々な判断。

企画に乗っかるだけだった自分はせめてその理解者でありたいと思う。打ち上げではきっとお互いのお腹を擦り合いながら語らうことだろう。

アイドンノー展 will return!アイドンノー展は帰ってくる


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