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なぜ人類はまだフィルムで写真を撮るのか?

写真という枠組みで語るのであればこれ以上ないサイズの主語でスタートしてしまいました。フィルムは可燃性ですので炎上するかもしれません。
あなたのココロのスキマ♡、写真とフィルムでお埋めします、hirotographerです。

さて私個人のことをお話しすると、世代的に「初めて撮った写真」はもちろんフィルムで、中学卒業式では「写ルンです」が大活躍していた世代で、途中で「写メール」を経験し、現在のスマホ写真文化へ、というフィルムからデジタルへのグラデーションのある移行をすべて経験した人間です。

でも、今日現在私自身はフィルムで写真を撮ることはありません。一方で引き続きフィルムが大好きな方も少なくないように思いますが、最近のフィルムの値段の上がりっぷりはちょっとレベルが違います。

36枚撮りフィルムが2000円、現像代が1000円だとすると1枚当たりの単価はざっくり83円。デジタルの場合ですが、私は年間4万枚くらい撮るので、単純にフィルムに置き換えた場合は1年で333万円を出費することになります。ライ貨に置き換えると現在のレートでおよそ3ライカです。無論、フィルムだと無駄打ちはかなり減りますがそれでも決して安い出費ではありませんシャッターを切る度にチャリンと100円のこぼれて落ちていく音が聞こえます。まさに諸行無常の響きです(ベベンッ♪。

それでも人はなぜフィルムで写真を撮るのだろうか・・・?

純粋な疑問が浮かびます。

フィルムが未だに根強い人気があるということはそれなりの理由があるはずです。だって、これだけ値上がりしてもやめないのはフィルムユーザーと愛煙家くらいです。特にフィルムにはニコチンも入っていないのにッ!!

気になって以下のようなアンケートを撮ったみたのですが、その際に一番多くの方が理由としてあげたのが「色味」でした。

ただ、私、この点に関して非常に懐疑的なのです。1%も納得していません。

なぜかというとカワイイと色味は作れるから。


・・・あっ、すみません、ライカおじさんにカワイイは作れませんでした。

なんの成果も!!得られませんでした!!

朝令暮改でお詫びして訂正した上で続けます。ちなみにこの「フィルム独特の色、写り」という選択肢を選んだ人の大半は「フィルムっぽい写りが好きな人」ではないかと疑っています。

無論限界はありますがRaw現像でフィルムに寄せることは可能ですし、面倒な方でも実際富士フイルムのフィルムシミュレーションや販売されているプリセットを使うという方法もあります。

ライカのJPEGの色を再現する!といってDeeplearningを駆使している人もいるので色味に関していえば再現はテクノロジーの発展と合わせてどんどん可能になっていくはずです。最近はChatGPTに聞くこともできますし、精度も上がっていくことでしょう。

し・か・も、フィルム最終的にはスキャンして取り込むという工程が現在ではほぼ前提となっています。つまりデジタル現像もポストプロセスとして行ういます。また、スキャンするマシンの性能や種類で色味も変わってきます。
つまりそれはデジタルなの?フィルムなの?みんなが愛したフィルムの色味はどこにいったの・・・?

それでも!やっぱりフィルムから直接プリントしたら違うんだよ!!

と言いたい方もいるかもしれません。
ですが、先日フィルムの作品が4枚だけ混じった写真展に行ってきたところ、A4サイズの作品でも自分以外には「ほとんどわからない」というのが結論です。ちなみに私は3枚当てました。私の前までは2枚が最高だったようです。正直当たったといっても粒子感が似ている写真を抜き出したら当たってた、くらいのレベルです。プリントもネガから印刷したものでした。ちなみに以前、写真家のShin NoguchiさんもTwitterでフィルムとデジタルのクイズを出されていました。こちらも私がM10-Pのハイライトの癖を知っていたので正解しましたが、普通に外している方も多数。差はどんどん埋まって、SNSなどで見るサイズ感であればほぼわからなくなってきている、と言って良いと思います。そして、それがフィルムなのかフィルムライクなのか分かる人もどんどん減っています。


若干煽っているような表現になってますが私は決して

フィルムで取る意味なんてねーよ!!

と否定したいのではないのです。

私が言いたいのは

プリセットなど他の方法で、簡単にかつ安くカバーできる「色味」なんぞではフィルム写真の魅力全く説明しきれてない

ということなのです。あなたが大好きなフィルムはきっと「色味」だけでは他に置き換えられない存在のはずです。

それだけのコストと手間をかけてもフィルムで取り続ける理由は本当は何なのか?


というわけでフィルム、デジタル両方を撮影する方何人かにヒアリングしてみた私の結論が以下2点です。


フィルムの魅力その1.
「フィルムカメラをコントロールする自分自身の成長+それでもなお残るコントロールできない部分の意外性」


唐突ですが、こんな記事を以前読んで頭がもげるほど納得した記憶が私にはあります。みなさんはいかがですか?

上達する過程にいたはずのプレイヤーが「ゲームに飽きた」と言ってしまうことついて「『ゲームに飽きた』って言うんですけど、これは違うんですよ。ゲームに飽きたんじゃない、成長しないことに飽きたんです」
「成長が実感できていれば、飽きるってことはない」と語り、“成長を実感すること”の重要性を語っています。

この観点でお伝えすると、デジタルでないフィルムカメラでは絞り、シャッタースピード、ピントの調整ももちろん自分で操作します。必然的に多くの要素を自分で操作している感のあるカメラを使うことになります。デジタルやオートに任せられない分、最初は戸惑い、撮れる写真も少し下手にはなってしまうことでしょう。しかし、そこから感じる自身の成長は何より楽しいものです。

つまり、デジタル機よりも自身の成長の余地と機会がより多く、わかりやすい形で残されているのがフィルムカメラ、とも言えるかもしれません。

フィルムの場合は自前で現像を行う方もいますので、この点に関しても創意工夫とそれによる成長を感じる部分です。また、状況に合わせてISOを変えられない分、天候や撮るシチュエーションを想定しながらフィルムも選択します。こういった状況に対処する習熟要素もあります。また、その場でデジタルなインターフェースをいじって調整・修正可能なデータとは異なります。液晶の水準器などもないので、より丁寧に水平、垂直に気をつけてキレイに撮れるようにする、といったプロセスにも向上の余地が残されています。

例えば一瞬を捉えるために、フィルムカメラであれば、コンマ数秒レベルでシャッターのタイミングを判断しなくてはいけません。最新のデジタル機であれば、ブラックアウトもなくその間シャッターを押し続けるだけ。後者には確実性はありますが、少し語弊はありますが一瞬をとらえることに関して自身の成長の余地は殆どありません。デジタルが奪ってしまった成長をフィルムなら時間できるのです。それは目指すべきアウトプットから一時的に遠ざかる一方で、飽きることのない「成長」という最大の刺激を与えてくれます。

そして、どんなに習熟したとしても、想像だにできない神懸かった瞬間が撮れていることもあります。例えば逆光によるフレアやハレーション、光漏れによる想定外の影響です。映り込む場所によっても、ときには邪魔物にもなり、また時には写真への魔力を与えてくれるラスト1ピースとなることもあります。

コントロールできる部分や想像できる部分についての習熟による達成感と同時にそれでもまだ残り続ける「コントロールや想像できない部分」の魔術的な魅力。それらのコンバインドこそがフィルム撮影の魅力の一つといってさしつかえないでしょう。

そしてその成長の結果が現像で形になるまで少し時間を置く。その間のワクワクや時間差も「成長」を実感するスパイスになっているように思われます。

フィルムの魅力その2.
「1枚の重みがデジタルと全く異なること。そしてそれが自分の思いと直結することで1枚の価値が変わること」

前述のようにフィルムは1枚1枚の単価が高いものです。そして、物理的な成約もあり、撮影可能な枚数も限られます。それによってさらに「このシーンは撮るべきか、撮らざるべきか」という選択をより重く求められます。適当に撮って、「あ、オッケー」「やっぱりもう一回取り直そう」となるデジタルとは1回1回のシャッターの重みが全然違うのです。

なぜ自分はこのシーンを撮るのか、撮る意味があるのか?
という問い。常に何段にも及ぶ選択を求められる撮影という行為においても最も根源的な問いの一つであることでしょう。残り枚数を気にしながら、撮るべきか、そうじゃないか、を問いかける。そして、問いかける間に状況が変わり撮れなくなってしまうこともあるという唯一無二の緊張感。

そして、その選択の結果が写真に宿ります。いつもより重い選択を重ねた写真は間違いなく「自分にとっての価値・重み付けのある1枚」になってくれます。

デジタルでいくらでも撮れる、ということは不可避的に1枚あたりの重みが薄まっていくことです。逆に単価の上がっていくフィルムは1枚に掛ける思い、理由が重みを増していくことで自分にとっての価値が高まっていくのです。

1枚1枚丁寧に撮る、という行為。スマホでもサクサク撮れてしまう今の時代に忘れかけていることですし、もしかしたら数年後には取り戻せない行為になっているかもしれません。

フィルムとは他の人よりも美しい一枚、とか決定的な一枚、という比較論的な中での価値ではなく、撮影を「自分にとってのかけがえのない一枚」を探す行為、に転換してくれる装置とも言えるかもしれません。
そしてそれはそもそもの性質として複製が可能で、無限に撮れるデジタルではなかなか体験できないことです。

中には「フィルムで撮ると『現像どうしよう』とか『どんな色味に仕上げようかな』とかそういうものから切り離されてシンプルに写真を撮れる」という方もいました。

つまり、

フィルムの魅力とは色味ではなく、フィルムを通して写真との向き合い方アティチュードが変わること、撮影プロセス重視へ思考が変わること


だと私は考えるのです。

まとめ

記録であるはずの写真により多くの記憶や思いが宿ることで自分にとっての価値が高まる。まさにデジタルでコスパ・タイパを重視しし続けることの逆にある価値を見直せるツールがフィルム写真なのかもしれません。

写真のいいところは写った写真が残るだけではなく、そのとき映したあなたもそこに残ることです。デジタルでもフィルムでも、あなたの思いが強く残った写真は撮れていますか?

デジタル×SNSという潮流は写真を消費されるコンテンツへと押し流していきつつありますが、その一方でフィルム写真はスローフードのように撮影それ自体やそこから生まれる写真をよりパーソナルで一期一会の体験として取り戻す機能を持ち始めたように思います。

フィルム写真を撮る意味・価値とはフィルムそのものの外側にあるのではないか?という今回の結論、ちょっとおもしろいんじゃないかと個人的にも思いますが、いやいやそれ以外にもっとこういう魅力があるんだよ!!ということであればぜひ教えて下さい。4月には合同写真展にも参加しますのでその際にも捕まえていただき、お話しいただけたら嬉しいです。
ちなみに繰り返しますがこれだけ書いといて私はフィルムで撮っていません。デジタルライカおじさんです。

なお、なかには変態的な方もいらっしゃいます。もはや性癖ですが人によってフィルムの魅力もそれぞれですね!(にっこり


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