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サンドリアのサンドイッチが買えなくて

地下鉄南北線をさっぽろ駅で降りて北大に向かうには、JR札幌駅の西コンコースを突っ切るに限る。すると、多くの人々が行き交う西口改札辺りでも、ひときわ目を引く人垣がある。サンドリアの自動販売機周り。たった一台のサンドイッチの自販機前に、昼夜を問わず長蛇の行列ができるのだ。その静謐も従順な羊のような群れは、事情を知らない通行人の目には奇異に映るらしく、誰もがいったんは足を止めるのだった。

今日もサンドリア、並んどりや

「たかがサンドイッチごときのために……」

とあなどることなかれ。そもそもは札幌市内の路面店(本店)の人気が凄まじく、別所に2号店ができたのに続いて、昨年春、その人気にあやからんとするJR側のラブコールに応えて、完全無人型自販機店舗の設置となった。「開店」してみれば、関係者の目論見通り、1年を経過したいまも行列が途絶えることはない。世の中の商売という商売の関係者なら誰にとっても垂涎の状況が現出しているのである。

本店のサンドイッチの品揃えは常時40種類から50種類と聞くが、このサツエキ(札幌駅)の方の自販機店舗もちょっと見にもなかなかの品揃え。で、それらが、ハタで見ていても面白いようにみるみるはけていく。早朝6時の「開店」を皮切りに、深夜0時の「閉店」まで何回かに分けて商品の補充がなされるようだが、「一度にお一人様3ケまで」というルールが存在するらしく、全種完全クリアまで何回列に並べばいいのやら(そもそも、毎年新作がリリースされるようで、厳密な意味での「完クリ」があるのやら)。

と、まあ、ここまでサンドリアの軌跡(奇跡?)について、事情通のごとき文章をものしてみたものの、大概はタクシーの運転手さんや知人などからの受け売り。実は、自販機といわず実店舗といわず、サンドリアのサンドを一度も口にしたことがない。つまり、サンドリアンのみなさんからすれば完全なるクソ部外者なのである。

もっとも、「完クソ」の僕にも僕なりの事情と言い分がある。

例えば、仮に時間に余裕があって、あの羊の群れの最後尾に並んだとしよう。で、やがて自分の番が巡って来る。なすべきは3種3ケの……あ、いや、1種3ケであってもいいのだが……好みのサンドを見極めてボタンを押す。それだけ。ただ、もはや十全に視力が発揮できていないいまの僕には、それだけのことを一人でつつがなくやり切る自信がない。結果、完クリはおろか、依然として1クリ未満の完クソに甘んじているのである。

いや、こんな僕でも、陳列ケースのガラスに頬ずりするようにして、上から下まで、あるいは左から右まで、EXILEのChoo Choo Trainのダンスのごとく身体そのものを回してサンドイッチを品定めすればなんとか買うべき3ケは決められるやもしれない。あるいは、いっそ「これは一種の具ガチャなのだ」と割り切って、(文字通り)めくらめっぽうにボタンを押せば、僕も晴れてサンドリアンの仲間入りを果たせるかもしれない。

しかしながら、後ろに居並ぶ人々の視線を背中に痛いほど感じながら、一連の動作を澱みなくやり遂げられるヤル気とヤレる気を、いまの僕は持てずにいる。すなわち、喰わず嫌いならぬ、買わず嫌い(それでいて、興味だけは大あり)なのである。

もっとも札幌・時計台病院での緑内障の手術から4年が過ぎ、さらに東京・武蔵境のクリニックでの白内障の手術からもうじき1年が経つ。すでに生活習慣の大概を見えにくさと折り合いを付けて来たではないか。その総仕上げが、「他人の視線を意識せずとも、ドン臭いなりに悠然とサンドリアのサンドを自販機で買うこと」というとたいそう過ぎるが、サンドリアンの片隅に我が身を置いてみたい、それだけけ。

もっとも、そんな他人目線からの克己は、なにもサンドリアの自販機に限ったことではないのだが。

例えば、細かな話となるが、Zoom会議の「画面共有」が割と苦手。画面が共有され、なんらかの資料が分割画面の大方を支配した途端、参加者の顔は端に追いやられて、発言者の顔も大映しとならなくなる。結果、僕には発言者の感情の機微を、もはや小ちゃくなった表情から読み取ることは至難の技となる。

また、肝心の共有資料からして、細かい文字が見えづらい。そんなときは、本体カメラとの距離感を無視してでも画面にかぶりつきたい衝動に駆られる。ただ、ひとたびかぶりつこうものなら、小さいながらも解像度抜群のMacBookの本体カメラが僕の白髪を、シワを、シミを捉えて参加者全員を不快にするだろう。それが嫌で、結局は読めてもいないのに読めるふり。そこは岡本太郎の「芸術は爆l発だ!」の体で、画面から見切れるくらい大写しになる覚悟は僕には未だない。

それにしても、サンドリアは「手作り」が売りであるならば、本来は「手売り」を旨とすべきではないのか。そもそもサンドリアの本店は「24時間営業」で名を馳せた。「手売り」が24時間制なのに、自販機による「機械売り」が深夜0時から6時間休む不思議。ノンストップの路面店や、人気沸騰の自販機店の需要を満たすために、供給サイドのバックヤードではどんな人海戦術を駆使して「手作り」を可能たらしめているのだろう。本来的には生産のオートメーション化こそ進め、販売の現場は人にやさしい——結果、障害者にもやさしい——手渡しの方を堅持すべきと思うのだが。

いやいや、そんなないものねだりよりも、いまの僕には他人様より多少は余計に時間がかかろうとも、あるいは、具ガチャを甘受した挙句にとんでもサンド*を持ち帰るハメになろうとも、近く必ずやあの行列に身を置こうと思う。サンドリアの自販機で買い物することくらい、(サンドイッチなだけに)片手間で済むことなのだから。


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