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路傍の夏みかん

朝の時間や夕食後、テレビを点けない、がすっかり定着した我が家では、ちょっとしたことを訊こうにも意識して大きく、はっきりとした発声でないと妻は知らんぷり。いえいえ、お互いまだ耳が遠くなるには早すぎる。大概は、妻は妻で、僕は僕で、それぞれのiPhoneとイヤホンでお気に入りのYouTubeを視聴しているせいだ。

で、けっこうな頻度で妻は眼科のお医者さんのチャンネルを観ているらしい。有り難いことに僕の緑内障の改善に資する、ちょっとでも耳寄りな情報はないものか、とアンテナを高くしてくれているのである。

「神経栄養因子(CNTF)」という単語も、実は家内経由で、とある開業医のYouTuberを通じて知った。ほんの先週のことである。

詳しいことは未だ不明だが、要は、これまでほぼ点眼がすべての、「悪くしない」が関の山だった緑内障治療に、「視神経再生」の光明が見えてきた、ということのよう。

思えば、40代で自覚した高眼圧(=緑内障という宿痾の大敵!)の前に、ただただ手をこまねいているしかなかった。20数年かけて十分に悪くした視力を甦らせるには、近い将来実現するという(?)iPS細胞による視神経の再生手術くらいしか途がないものと半ば諦め気分でいた。そこにCNTFという、もう一つの別の選択肢が示されかけている。いまはまだ治験の進捗を待つしかないが、それにしても我が妻、よくぞいち早く、グッドニュースをゲットしてくれた、と感謝しかない。

ところで、最近、なんだか少し視力が改善してきた、と感じられる不思議。

そのことは、実際、妻も気がついているようで、例えば、一緒に出かけたようなとき、駅のトイレから出て来た妻に、こっちこっち、と手招きするような際、

「なんか最近、かなり遠くまで見えてるんじゃない?」

とお褒めの言葉に与ることが増えた。どんだけ前は見えていなかったか、の裏返しではあるが。

もちろん、一番は、昨年やった白内障の手術の効果で、日中でも眩しいと感じなくなったことが大きい。

しかし、それだけではなくて、ヒトは障害を克服するにあらゆる残存機能を総動員する底知れぬ能力を隠し持っているのだ、と思うことがある。

それは、喩えていえば、運動会の「借り物競走」みたいなもので、中心視力は弱いが周辺は割とはっきり見える右目と、周縁はだいぶボヤけているのに、中心視力はまだまだイケる左目とが互いの足りない機能を持ち寄って……すなわち、互いが互いを補い合って、なんとか「見える」という目の前のゴールを目指して徒競走を繰り返す感じ? なんかそんな風である。

例えば、つい先日も熱海・西山町の山肌の県道を一人てくてく歩いていて、ふと道端に夏みかんらしきものが置いてあるのを自然と見やった。どこぞの木になっていたのがたまたまもげて、斜面を転がり落ちてきたのではない。それは誰かが何かの意図をもって置いたに違いない。

それが証拠に、右カーブを曲がりつつ、5、6メートルも進むとまた一つ。さらに、5、6メートル進むともう一つ。計3ケの夏みかんが「置いてある」ではないか。

まずは、とにもかくにも夏みかんが次々とハッキリ視認できる、という事実に歓喜した。

実は、視界の斜め下は僕が一番苦手とする領域で、特に左目はその辺りに死角が集中。結果、サイコロステーキの1ケや2ケ食べ残すせいで、レストランの店員さんが僕の皿だけ下げてくれない、といったことが日常ままある……というか、ついこないだまではままあったのである。

それが、右目と左目の「借り物競走」的能力がこのところ爆上がりしているようで、繁茂する道路っぱたの雑草の中にぽつんと置かれた夏みかんの黄色が、ことさらに視線をやるでもなしに、向こうから視界に飛び込んで来るではないか。自己CNTFが増殖でもしているのだろうか(覚えた単語はすぐにも使って、定着を促す)。

次に、では連続3つの路傍の夏みかんが意味するものは何か、と考えた。 すなわち、誰がなんの目的で置いたのか。

至極素直に解釈すれば、この先に、夏みかん関係の農家さんの販売所があるのかもしれない。

夏みかんの一番の収穫期は「夏」ではない。冬から春にかけてそこら中の庭木に夏みかんがたわわに実るのを僕は知っている。

とはいえ、夏みかんは概して酸味が強く、皮を剥いただけでそのまま食することを好む人は——皆無ではないが——さほど多くはない。

ただ、マーマレードなどに加工すれば、あの酸味、雑味がかえって引き立つのもまた、夏みかん。クルマをさらに5分走らせればやがて見えてくるであろう「夏みかんマーマレード販売所」の予告看板代わりに置いて、見る人にサブリミナルな効果が及ぶところとなり、結果、面白いように「販売所」に人々が惹き寄せられる、そんな術策なのか。

あるいは、なんらかの虫除け効果を狙ったものかもしれない。

みかんの皮に含まれるリモネンやシトロネラールといった成分には強い防虫効果が期待される。とりわけゴキブリを寄せつけないのだという。皮の水分を腕や首筋にこすりつけると蚊にも刺されないとも。

もっとも、それらはある種、直接的な薬効を期待し、少なくとも剥いだ皮を肌に擦りつけるとか、一度乾燥させ粉末にして部屋の四隅に置くとか……一手間も二手間もかけてこそ。夏みかん丸ごと道端にぽんと放置したところで、どれほどの効果が期待できるものか。

ここは熱海だけに、温泉に夏みかん丸ごとぷかぷかと浮かせた方が、少なくとも香りと薬効を直に感じられるというものだろう。

結局は、有力な手がかりも、思索の広がりもないままに、直に本文を終えることにしようと思うが、しかし、個人的には、この「借り物競走」状態の両目でも、季節の移り変わりや、稚気に満ちた街の人々の無為な行いの一つひとつが可愛くも愛おしくて仕方ない。

レイチェル・カーソンも「(嗅覚筆頭の)五感を研ぎ澄ますには自然に身を置け」と書いたではないか。

そうだ、最近、とみに英語のアクロニムがなかなか自分の語彙として定着しない。目下、必須医学用語のCNTFは、

「ちゃんと(自然に)踏み出そう」

の頭文字として心に刻もう(いや、むしろ、「ちゃんと(節制して)太るまい」の方が覚えが良いかも)。

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