彼を知り己を知れば - あるいは35歳問題への私の応答
昔村上春樹が書いた35歳問題について思うことを残しておきます。
つまり、35歳で「自分の限界がわかり、着地点もわかってくる」という問題です。私はこれを思想家の東浩紀の話から20歳ぐらいの時に知ったと思います。
また、利根川進先生の本に38歳程度で研究者は、生涯で最も顕著な成果を残す仕事をすることが多い。という言葉も、少なくとも35歳までにその準備をしておかなければならないという教訓として心に残っています。
私自身、(そして多くの野心がある人たちは) 20代前半までは、自分が賢いことを示したいとか、すごいと言われたいと思って動くことも多かったように思います。特に自分は高校を中退したため、自分が何か特別であったり価値があると証明する必要があるという焦りを感じていました。
ただ徐々にいろんな人たちが動くことで、自分も存在できていることだったり、自分ではどうしようもない論理や仕組みに阻まれることを経験しました。他人に動いてもらわないといけないことがたくさんあるし、他人が日々作っているものへのリスペクトがないと見えてこないものがあると悟ったわけです。
多くの人が経験するように私に足りてなかったものは、他人が大事にしているものへの想像力と修羅場への覚悟でした。
人生同じような問題を皆抱えるのか、頭がいいと思われたいとかすごいとか言われたい人たちは大体消えていったか、そういう次元で仕事をしなくなっていったように思います。
博士課程での色々な苦難は私にとって、頭いいということを示すためだけにやるにはどうしようもないぐらい苦痛なことでした。毎日のように自分がダメだなぁと思う日々でした。
徐々に他人が大事にしていることへの想像力を養う中で評価していただくことや仕事のお誘いも増えました。これが20代後半からだったかなと思います。
想像力について
いろんなものが見える人には、いろんな人の状況や考えることの複雑度も増えるので、相手が見えていないことがわかったり、相手が気にしていることを気にするようになったりすることができるようになります。
もちろんイライラすることも増えるのですが、(そして、もちろん完璧にはできないのですが)それも頂いているチャンスと思ってやり続けるとやはり評価していただくことが多いです。
このようにとても気を遣うになったのですが、同様に他人が大事にしているものへの想像力があるかないかを、リーダーになる人たちはとても気にしているように思います。
また良いフォロワーになる方も心得ているように思います。少なくとも私はリーダーになる前に良いフォロワーになろうと心がけていました。
例えば、人を紹介するときに、相手への想像力があるかないかを非常に気にするようになりました。相手へのリスペクトがあるかないかは、発言にも現れますし、くぐった修羅場の数を想像させます。やはりそれが足りない人には紹介できない思うことが多いです。相手に会いたいという前に、相手の言葉や経歴をちゃんとチェックしているかとか、メディアでの発言からどういう人かをチェックする必要があります。それすらできていない人がほぼ大多数なので、警戒もします。
そして、私自身人に繋いでいただく機会が増えたと思う一方で、まだまだ力不足だと思われていると感じることもあります。
ある沖縄を代表する経営者の方と会食をさせて頂いたときに『私の寿命はあと1万日程度しかないので、その一日一日を嫌な人のために使いたくない。』とおっしゃっていたのを思い出します。
我々の一日とこういった方々の一日は同じではないのです。そのことへの想像力を持つ必要があります。
限界と着地点について
というわけで、『自分の限界がわかり、着地点もわかってくる』という35歳問題ですが、私が感じるのは少し違うことです。
もちろん自分のことがわかり、何ができるのかできないのかがよくわかってくるので、それが限界ということなのは理解できる一方で、私には制約の一つである感じています。歩みは遅いかもしれないですが、苦手であったり避けてきたことも一つずつ変えることができるというのを感じるようになりました。
また、何に自分は時間を使うのかということはすでに決まっているのですが、昔は繋がれなかった他人と繋がったり、思いもよらない方向に広がったりすることも増えたので、最終的に着地点がどうなるのかは全く見えていません。ようやく始まってきたと感じる程度です。
というわけで、私自身にとっては、寿命という限界以外は、着地点が見えていません。
むしろ、本当の苦難=人生の楽しみがこれから始めるのではとすら感じています。
彼を知り己を知れば
相手を知って、己をしれば、選択肢は増えます。
それは、多くの場合、私が相手のために時間を使ったり、他人が私のために時間を使うことでしか見えてこないことだったりします。
そこでの制約は最後は時間であり、私が最も大事にしたいことを言い続けなければものにならないと感じています。
私が感じる35歳問題は、寿命を改めて感じ、自分が提供する価値について深く考えて実践しているかということが残酷にも露わになってくる問題ということなのだと思います。
まだ時間はありますが、その時間を何に使うのかを深く考えなければなりません。
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