自己紹介 私=○○を探して生きてきた

こんにちは、ひろすけです。
自己紹介も兼ねて、自分の事を少し書いてみようかなと思います。

関東で生まれ、物心つく頃には大阪に移り、そのまま大阪で学生時代を過ごしました。
小学生時代は外で遊ぶ活発な少年で、運動も出来て、自然といつもクラスの中心にいたように思う。6歳から始めた野球は年上の人達に交じり試合に出たり、周りの子達より技術は高く、親たちからも野球でどこまでいけるんだろうかと、期待されていたように思います。
今思えば、「ひろすけ=野球」と自他共に認識し、野球の存在が自分のアイデンティティーになっていたんだと思います。

中学生になりクラブチームで野球を続けたが、運動能力・野球技術が思うように伸びず初めてレギュラーから落ちたりし周りの子達に追い抜かれる事を経験。挫折を味わう。
親から「おまえ、野球で甲子園とか行く気あるんか。その気ないなら辞めてもええぞ」と言われたのを凄く覚えている。なんか、親に失望されてるなと感じたのが一番きつかったように思う。上手くいかず野球に嫌気がさしていた時期でもあり、結局クラブチームを辞め、学校の部活で野球部に入り、高校まで野球を続けました。野球でレベルの高いチームでやることに、意味を感じていた自分は野球は続けても、強いチームで出来ない事に「劣等感」を強烈に感じていたように思います。
自分の得意だった野球が得意ではなくなったことで、自分のアイデンティティーが分からなくなり、必死に他人と比較し、評価を気にし、出来ない自分を隠し、強がり、「ひろすけ=○○」の○○を必死に探していたんだなと思います。

仕事は誰かの役に立つ仕事がしたいと消防士と理学療法士で迷いました。医療職に魅力を感じ、理学療法士の道を選び、大学に進学。国家試験も無事合格し、理学療法士として働き始めました。

今思えば、「ひろすけ=○○」を探すことは大人になっても必死で、これだと思える熱中出来る分野、人より出来る分野を探していた。
理学療法士では、
・総合病院(回復期)3年
・療養病院(在宅リハ) 3年
・青年海外協力隊 1年
・訪問看護ステーション(在宅リハ) 3年半
・ボランティアでスポーツトレーナー活動
などを経験してきました。

仕事以外の時間は、英語勉強したり、通信性の大学で心理学学んだり、ピラティスインストラクターの資格とったり、ネットワークビジネスやってみたり。

必死になって自分の得意・強みを探してきたが未だに分からず、他人から認められるように、力んで生きてきたなと。それなりに挑戦はしてきたつもり(自分なりに)ですが、「ひろすけ=○○」が良く分からず、他人の評価を気にして生きていたなと。

現在は今年の3月に、初めてベッドから出られず仕事に行くことが出来なくなり適応障害で休職中。休職のまま5月で退職が決まり、6月からは仕事を探さなければならない。
不安や焦りは正直いっぱいある。でもゆっくりと休めたことは良かったのだと今は思っている。

これからは、力まずに生きていけたらなと思っている。
noteでは、
・自分の感情を素直に表現出来るように
・自分と同じように悩んでいる人に安心感を
・将来の自分に向けて
・心と体の健康の大切さを広められるように

優しく、心地よく。

「心の拠り所」

となれるような文章を書いていきたいです。

自分のペースで書いていきます。

最後まで読んで頂きありがとうございました!!
これからもよろしくお願いいたします!

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