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日本はいつから太陽暦になったか

 今、日本で暦は当然のように太陽暦solar calenderを使っている。このようになったのは明治6年1873年から。明治5年1872年11月に、太陽暦への改暦と明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることが布告された。これ以降の暦を新暦といい、これより以前を旧暦という。太陽暦は、太陽の公転サイクルを利用したものである。
 これに対して、月の満ち欠けを利用した暦を太陰暦という。では太陽暦の前の旧暦は太陰暦だったかというとそうではない。太陰暦は月の満ち欠けで、おおよその日付の判別つくので便利だった反面、実際の季節と重なる太陽暦に比べて次のような問題が元々知られていた。
 満月からつぎの満月までのサイクルは29.530589日。これをもとに作られるのが太陰暦(lunar calendar)。満月(望)、下弦、新月(朔)、上弦と満ち欠けは変化する。上弦下弦は半月の状態。しかしこの月の満ち欠けのサイクルは、太陽の動き(季節)とは一致せず、太陰暦を農耕に使うと、季節がずれてゆく問題は早くから知られていた。29日の月が6回 30日の月が6回で年354日とすると、太陽暦(=実際の季節)と比較して10日あまり少ない。3年では1ケ月程度のずれが生じる。太陽の公転のサイクルは365.242189日。
 そこで旧暦は太陰太陽暦ともいい、太陰暦を太陽の観測(黄道上の太陽の位置)から得られた暦(たとえば中国の二十四節季)で修正するものであった。具体的には3年に一度「閏月」をはさむことで修正するものであった。つまり旧暦は太陰暦そのものではなく太陽暦で修正する、太陰太陽暦であった。
 他方、太陽の公転サイクルが365.242189日ということは、太陽暦でも4年に一度の閏日で調整する必要がある。この4年一度閏日を置くという調整法による太陽暦はユリウス暦というもの。紀元前46年のローマで、それまでの太陰太陽暦に代えて採用が決定された。しかしその後、1500年以上を経た16世紀に、4年に一度という閏日では閏日が多すぎる矛盾が累積して10日ほど間引く必要がでるほどになった。そこでローマ教皇グレゴリウス13世はユリウス暦1582年10月4日の翌日を10月15日とするとともに、以降は400年の間に97回の閏年を置くと改めた。これ以降の太陽暦はグレゴリオ暦と呼ばれる。日本が明治6年1873年から採用している太陽暦は、このグレゴリオ暦である。


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