見出し画像

いつか変われたら #シロクマ文芸部

変わる時を待っている。
ずいぶん長い間。
誰にも言ったことはない。
親にも。
愛した人にさえも。

教えてくれたのは祖母だった。
最初は信じていなかった。
荒唐無稽過ぎたので。

毎日、豆を食え。
体質が変わるまで食え。
豆腐とか納豆は駄目だ。
素の豆を食え。
しばらく続けていると、豆しか食べたくなくなる。
そこまで続けたら後は欲望のままに食え。
できるか?

全くできる気がしなかったが、「できる」と答えた。

「無理にやることはないよ。アタシはやるけどね」

そう言って祖母はニカッと笑った。

「最後はね、私が変わるところを見せてやるから。誰にも言うんじゃないよ」

祖母は失踪したことになっているが、本当は違う。
その事を知っているのは数年前に亡くなった祖父と俺だけだ。
その日、祖父は前の晩泣いていたのか、少し目が赤かった。反対に祖母は意気揚々としている。

「さあ、行くよ」

「え、どこへ」

「アタシを変えてくれる人のところへさ」

誰かに変えてもらうのか。

「浅草だよ」と祖父が言うと、「最後まで野暮だね、アンタ」と祖母が呆れた。

浅草に着くと黒塗りの車が待っていた。
運転手が降りてきて後部座席のドアを開けた。

「お待ちしておりました。どうぞ」

「すまないね」

祖母に続いて祖父と俺も黒塗りの車に乗った。
車は演芸場の前を通り過ぎ、10階建ての白いマンションの前で止まった。
運転手の案内でエレベーターに乗り、8階で降りる。
810号室の前まで来ると、運転手がインターホンを鳴らした。

「司さん、静江さんをお連れしました」

「はーい」

ドアが開くと、シルクハットを被った、いかにもマジシャン然とした男が現れた。

「静江さん、準備は整いましたかね?」

「まあね」

「では始めましょうか」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
俺は思わず口を挟んだ。

「マジックで生まれ変わるわけ?」

「マジックで生まれ変われるわけないだろう。バカなこと言うねぇ」
祖母は俺を憐れむような顔をして言った。

「え、でもこの人、マジシャンなんだろ?」

「表向きの職業はね。司さんはね、魔法使いなんだよ」

「魔法使い?」

「静江さん、こちらの方は?」
司が口を挟んできた。

「孫の翔一です」

「なるほど。翔一さん、初めまして。マジシャンを生業としている司と言います。私が魔法使いだということは秘密ですよ。ま、後で記憶を消してもいいけどね。はっはっは」

「魔法使いってなんだよそれ。最後、魔法使いに頼むのかよ。
 それなら最初から頼めばいいじゃないか。
 豆食う修行みたいなやつ、何の意味があるんだよ」

祖母は「すみませんねぇ」と司に頭を下げてから俺に言った。

「翔一、お前はいくつになったんだい?それが人に物を尋ねる時の態度かい。
 アタシが意味がないことをやるわけないだろう」

「だって魔法を使うなら意味ないだろうに」

「意味はありますよ」
魔法使いが大声を出した。

「豆を食べて体質を変えておかないとね、魔法の効きが弱まるのです。
 準備が万端じゃない状態の人に魔法をかけた場合、どうなるか私にも分からない。やったことがないので。
 後は豆を食べる過程で覚悟を決めてもらう意味もありますね。本当に変わりたいのかどうか。
 ま、完全に後付けで言ってますけど。はっはっは」

「ワシは考え直して欲しかった。今でもそう思っとる」
祖父がぼそっと言った。

「アンタ、まだそんな事を。男に二言はないんだろう?
 我儘言って申し訳ないとは思ってる。でもアタシはもう決めたんだ」

祖父は「すまん」と言って涙を堪えていた。

「そろそろ始めましょうかね。静江さん、髪の毛を一本いただけますか?」
空気を読まずに司が言った。

「分かりました」
祖母が頭から髪の毛を一本抜いて司に渡す。

「はい、どうも。では静江さん、お別れの言葉を。死ぬわけじゃないですけどね」

「はい。
 アンタ、翔一。私の思いは何度も伝えているし、ノートにも書いてある。
 生まれ変わっても会えるし寂しくはないよ。じゃあね」

「静江!」
祖父は号泣していた。

「司さん、お願いします」

魔法使いはうなづいてシルクハットを取り、中に祖母の髪の毛を入れた。
そしてシルクハットを2回、ポンポンと叩くと祖母が消えた!

「静江!!!」
泣き叫ぶ祖父。

魔法使いがシルクハットの中に手を入れて何かを取り出した。
白い鳩だった。

白い鳩は魔法使いの手から飛び立ち、天井周りを二、三回ぐるぐるとまわった後、魔法使いの右肩に止まった。

「ばあちゃん、よかったな。鳩になれて」

祖父は何も言えないようだった。

「翔一さん、あなたも鳩になりたいのですか?」
司が真顔で聞いてきた。

「うん、いつかね。ばあちゃんから聞いて頭から離れなくなったんだ。鳩になれるものならなりたい」

「そうですか。鳩になりたい人って一定数いるのですよ。
 準備ができたら私のところに来るといい」

「ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」

俺は祖父を残してマンションの外に出た。
駅まで歩くと、地面をついばむ鳩がいた。
白い鳩とどっちがいいかなと考えながら、俺は電車に乗った。

(2033文字)


※シロクマ文芸部に参加しています

#シロクマ文芸部
#短編小説
#変わる時

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?