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2019年中央アジア+エカテリンブルク旅行(6)

 エカテリンブルクを朝の6時10分に出発する飛行機に乗るために、2日前のタシケントと同様に真夜中に起床します。ただ昨日の昼過ぎからほぼずっと眠っていたので問題なく起床できました。しかしながら、ずっと深夜や早朝の飛行機に乗っているので、帰国後の体調が心配です。確実に疲れはたまっているのですから。
 早朝の4時にホテルのレセプションに向かいましたが、レセプションはちゃんと開いていました。ところがホテルの前にはタクシーがいません。深夜にほっつき歩いている奴は民警につかまって尋問を受けるからなのでしょうか。それにしても1台もいないのかよとは思いましたが、道路の反対側のエカテリンブルク駅には2台ほど停まっていましたので、1台に声をかけて空港へ向かいます。
 空港に到着しましたがまだ夜が明けません。これからモスクワ・ドモジェドヴォ空港へ向かいます。利用航空会社はS7航空。もともとはシベリア航空という名でシベリアのノヴォシビルスクを拠点としていましたが、今やアエロフロートと並ぶ航空会社に発展しました。ちなみにモスクワにおけるアエロフロートの拠点空港はシェレメーチェヴォ空港で、かつては国際空港はここの第2空港だけでしたが、シェレメーチェヴォ空港があらゆる面であまりにも評判が悪いので徐々に海外からの航空便がシェレメーチェヴォ空港からドモジェドヴォ空港にシフトしていきます。日本航空もその口です。いまではシェレメーチェヴォ空港もフツーの空港となっていますが、それでも保安検査などサービス部門以外のところでここはロシアだ!Это Россия!を実感することがあります。
 S7航空の機体は特徴的は黄緑色です。S7機に搭乗するのは2年前にウラジオストクから成田までのフライト以来です。きわめてフツーの航空会社です。

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 機内ではほぼ眠ったままでモスクワ・ドモジェドヴォ空港に着陸。いよいよ旅も終わりに近づいてきました。
 荷物預け場に荷物を預け、身軽になってモスクワ市内に移動します。ドモジェドヴォ空港は市の南部に存在し、市内までは空港直通列車「アエロアクスプレス」に乗って移動します。ただしこれに乗って行けば赤の広場まで行けるわけではなく、地下鉄環状線(5号線)のパーヴェレツカヤ駅が終点です。この駅はロシア南部のヴォルガ川や黒海方面の長距離列車のターミナルでもあります。
 ここからさらに中心部に行くには地下鉄2号線に乗り換える必要があります。アエロエクスプレスまでは駅や列車には英語表記がありますが、地下鉄はほぼキリル文字オンリーです。君は赤の広場までたどり着くことができるか?

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 ドモジェドヴォ空港からの列車を降りるまで、モスクワのどこへ行こうか決めていませんでしたが、やはりおのぼりさん気分で赤の広場へ行くことにし、地下鉄に乗り換えます。
 赤の広場になにやら行列ができています。どうやらクレムリンに入る人たちの列のようです。アポなしでプーチン大統領に会えるのなら並んでみてもいいのですが、特に用はないので列には加わりません。しかしながら以前もそうでしたが中国人が本当に多い。中国人民同志諸君、天安門広場と赤の広場、どっちが革命的ですか?あ、ソ連はもうないんだっけ。
 で、その赤の広場ですが、二日後に「ファシスト(大日本帝国のことです、念のため)」に対する勝利の記念日を控えているからか、仮設スタンドが設けられ囲いがされており、同志レーニンの蝋人形にあいさつすることができません。が、特に用はないので別にいいです。

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 ご存知ネギボウズ。個人的な感想ですが、その毒々しい派手な色彩から、当時のアメリカ大統領から「悪の帝国」呼ばわりされたソ連を象徴する「悪の花」のようなイメージを持ちましたが、実はキリスト教会。同志諸君!宗教はアヘンだ!

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 動画を撮っていましたが、中国語の雑音がうるさいので舌打ちしたら黙ってくれました。ちなみにここはロシアです。

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 【モスクワにおける聖地巡礼】ここはルビヤンカ。ソ連国家保安委員会、すなわち「KGB(КГБ)」本部と同管轄の刑務所のあったところで、今もロシア連邦保安庁(FSB)という似たような組織が入居しています。「アナタハニホンノスパイデスカ?」「ダー」

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 ここはモスクワ地下鉄のコムソモーリツカヤ駅です。モスクワの地下鉄駅は地下宮殿との比喩もあるくらい見事なものが多いです。核戦争時のシェルターがわりとなるという俗説にも説得力があります。
 ここの地上には、シベリア鉄道の起点であるヤロスラフスキー駅があります。では、これからロシア号に乗ってウラジオストクへ行きません。

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 ここがシベリア鉄道の起終点、ヤロスラフスキー駅。主にシベリア方面の列車が発着します。北京、ウランバートル行きもここから発着します。本当は平壌行きもある(正確には北京行き20列車に併結)のですが、最近は運行されていなくて、ざっと見た限りでは駅の時刻表にも記載されていません。
 そんなどうでもいい話はさておき、シベリア鉄道といえば、名曲「さらばシベリア鉄道」。通信カラオケDAMで「さらシベ」を歌う太田裕美がとってもキュート。これぞクールジャパン!

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 ヤロスラフスキー駅の西隣にはレングラーツキー駅があります。レニングラード方面の駅ということでこの名があります。ご存知とは思いますが、駅名の由来であるレニングラードとはサンクトペテルブルクの旧名で、いかにも革命的な名前です。私は別に共産革命礼賛者ではありませんが、レニングラーツキーという駅名はこのままにしてもらいたいものです。

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 ここにはもう一つ、カザンスキー駅があります。カザンとはモスクワの東方、ウラル山脈の手前にあるタタールスタン共和国の首都カザンのことで、カザン経由のシベリア方面の他、中央アジア方面の列車が発着しています。つい数日前にいたウズベキスタンのタシケント行きもここから発着しています。だけどウズベキスタンは当分いいです。

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 もう一か所どこかへ行くつもりでしたが、意外と時間を消費しました。もうぼちぼち引き上げようということで空港へ戻ります。
 コムソモリスカヤ駅から地下鉄環状線に乗り、パーヴェレツカヤ駅で降りてドモジェドヴォ空港行き直通列車に乗ります。異国の街並みを見るのもこれが最後と思いながら車窓を眺めます。
 これから東京行きの飛行機に乗ります。予約はS7航空ですが、日本航空機材による共同運航便です。私は概して日本航空とは相性が悪いというか、不幸な邂逅というか、国際線の飛行機に関するろくでもない事件は不思議なことに大抵日本航空がらみです、中国ナントカ航空ではなく。しかしながら、今回はいままで中国ナントカ航空とか、ファミリーマート航空、ではなくウズベキスタン航空、そしてシベリアとかウラルとかの航空会社を利用してきた中で、最後のモスクワで日本航空に乗るとやっぱりホッとするというところに、いやでも私は我是日本人と自覚せざるをえません。
 搭乗口で搭乗開始を待っていると、尾翼の形からイリューシンかツポレフと思われる飛行機が遠くに留まっているのが見えました。が、よく見ると留まっているのは滑走路とかではなく草の上です。不時着して捨てられたのか何かの残骸なのか不明ですが、こんな景色を見ることができるモスクワ空港はとってもハラショーだと思います。これがロシアだ!Это Россия! 完、のつもりでしたが、続く。
 翌日家に帰って晩飯を食べたあと、猛烈な腹痛に襲われて、どうにも我慢できなかったので、自分で119番通報して救急車で市民病院に担ぎ込まれました。なにか思い当たるものはないかと訊かれ、正直に中国、ウズベキスタン、ロシアへ行ってきたと答えたところ、たぶん急性腸炎だろうという診立てでした。結局点滴を受けて帰宅しましたが、翌日社会復帰はできませんでした。焼きが回った、というか私ももうトシということでしょう。さあ、年末はどこへ行こう(爆)。

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