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2014年中カ国際列車+エカテリンブルク旅行(4)

 スパイ容疑も晴れ、無事におそロシアに入国しました。これからモスクワ行き飛行機に乗るまでの短い時間をどう活用するかを考えることにします。
 空港ターミナル内には、タクシーの客引きが、思ったほど多くありませんがたむろして、あまりしつこくない程度に声をかけてきます。これもお国柄でしょうか。エカテリンブルク郊外のアジアヨーロッパ境界に行くにはタクシーをチャーターしなければなりません。しかしながらこういう連中に身を任せるのは一般的には危険なことです。ふと外を見てみると、ターミナル出口のほぼ正面にミニバスが停まっているのが見えました。どうやらエカテリンブルク駅に直行するエクスプレスバスのようです。「地○の歩き方ロシア編」の中にエカテリンブルクに関する記載は3ページしかありませんが、しかしながらいい情報もあるかもしれないと思って購入し、そのページをコピーして持ってきましたが、その情報どおりでした。これに乗って街の中心部に行くことに決めました。

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 ターミナル内は半袖でも大丈夫でしたが、外は日本の初冬のようでした。そして霧雨でした。暑い中央アジアから寒いシベリアへ。なかなかすごいです。40分ぐらいでバスは終点のエカテリンブルク駅に着きました。途中バスは自分がこれから行く「血の上の教会」の横を通りました。おかげで頭の中に大まかな地図感覚が浮かんできました。空港行きバスの出発位置を確認して街歩きを開始しようとしましたが、やはり寒かったので、ナップサックからウインドブレーカーを取り出しました。事前にエカテリンブルクは寒いという情報を入手していましたが、正直なところまさかと思っていました。しかしながら現地からのナマ情報でしたので、念のためにそれと長袖シャツは用意していましたが、本当に着ることになるとは思いませんでした。おかげでナップサックが軽くなりました。ちなみにウインドブレーカーは黒地に黄色い文字の入った母校愛〇大学アメフトチームのものです。着ることはないと思って持ってきたブツですが、結果的にシベリアで〇知大学ハーキュリーズをPRすることができました(笑)。
 バスが通ったルートを南へ逆進して歩いていると、先ほど通った「血の上の教会」が見えてきました。ずっと歩いていましたが全然汗をかきません。凍えるほどではありませんが寒いです。ここで長袖シャツを着ることにしました。ここは最後のロシア皇帝ニコライ2世とその一家が銃殺された所とのことです。建物自体はニコライ2世と直接の関係はありません。いわばただの教会です。しかしながらこの地が日本と関わりの深い皇帝の運命の地であること、そして帝政の終結の後に成立したソビエト連邦がロシアを含めた全世界に及ぼした影響(その大部分は「厄災」ともいえるものでしょうが)に思いを巡らすと感慨深いものがあります。

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 次に、エリツィン記念館に行くことにしました。ここエカテリンブルクはエリツィン元アル中患者、もとい元大統領の出身地です。私はそういう微妙にキナ臭いものが大好きなので、そこでどんなブツが見られるのか楽しみにしていました。教会からさらに南下するとレーニン大通りに突き当たります。ここは交通量の多い通りです。そして路面電車、トラムが通っています。バスから外を見ていると、エカテリンブルクはトラムやトロリーバスといった交通機関が充実しているように思います。駅前にもたくさんのトラムが走っています。そういう点が広島にちょっと似ているような感じがします。ついでながら、エカテリンブルクのトラムはパンタグラフがやたら大きいのが印象的です。

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ロシアのマクドナルド。
Макдоналдс
ローマ字に変換すると
Makdonalds
となります。
小学校時にローマ字を覚えた手法(なんでもローマ字で表記してみる)でキリル文字を表記してみると、文字を覚えること自体は難しくないです。これができれば、ロシア語圏では乗り合いバスにも乗れます。

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日本車

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 エリツィン記念館は、血の上の教会が面している池のちょうど対岸の位置にあります。真冬なら池は完全に凍結し、ワープすることができるのかもしれませんが、仮にそれをするにしても、まず私より大柄なロシア人に試し歩きしてもらってからにしたいと思います。
 やはり歩くと結構な距離があります。地図によるとハヤットホテルのそばのようです。地図には記載がありませんでしたが、ホテルのそばには、建物自体は立派ですが前を誰も歩いていないビルが建っています。ビルの窓も外から中を窺うことができない構造になっています。治安機関のビルでしょうか。間違ってもトイレを借りに行くことなどできない雰囲気です。ハヤットホテル宿泊者を監視しているのか、それともホテル側がこの建物を監視しているのか。
 エリツィン記念館らしき建物が見えてきました。ところが工事中のようです。入口からは覆いをかぶせられたエリツィン像が見えるので、ここだと思います。中の様子をもう少し見てみようと覗いていると、現場の人が一体なんだといぶかしそうにこちらを窺っています。自分のことをスパイかテロリストとでも思っているのでしょうか。もしかしたら工事中かもしれないと思っていましたが仕方ありません。引き揚げることにします。

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 歩いてきた道を引き返しレーニン大通りまで戻ると、1905年広場というところに着きます。エカテリンブルクでは、同志レーニンは健在ですが、横は駐車場です。周りの景色に埋もれている感があります。とてもこれを見に日本から来ましたとは言えません。

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 エカテリンブルク市庁舎。KGBエカテリンブルク出張所ではないようです。

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 そこから南にあるヴァイニェル通りというところに行きます。ここは歩行者天国で、さまざまな彫刻が見られるとのことでしたが、あまり楽しくありませんでした。寝不足の頭が眠り始めているのかもしれません。事前に調べた街中の観光スポットはすべて回りましたが、時間が微妙に残っています。これから郊外のスポットを回ろうかとも思いましたが、ちょっと厳しそうです。空港に戻ることにします。
 すぐそばに地下鉄の駅があります。旧ソ連の地下鉄というとモスクワ地下鉄の豪華絢爛な駅が有名ですが、エカテリンブルクのそれは、モスクワの50分の1ぐらいで、なんだか本当に防空壕の中のように見えます。エスカレーターが日本の倍くらい速いですが、地下鉄の深さも日本の倍以上なのでちょうどいい速さです。ゴトゴトと音をたてて動いている様が、なんだか地底の奥深くに飲み込まれるような感覚を覚えます。

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 エカテリンブルク駅に戻りました。温度計を見たら10度でしたが、体感温度はもっと寒いはずです。しかしながらやはり歩き疲れたのでしょうか、そこで食べたアイスクリームは美味でした。駅前に停まっている空港行きバスに乗り込みました。動き出したらすぐに眠ってしまい、目が覚めたらもう空港でした。乗っている間ほぼ失神していたようです。
 エカテリンブルクでの諜報活動は以上です。次はモスクワです。

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 エカテリンブルク空港。表示は国内線の出発案内。左の真ん中あたりにはJALの表示があります。また、ヤクーツク行きの表示にロシアを感じます。
 それから、右の列の上から3番目に、シンフェローポリ行きの表示があります。シンフェローポリとはウクライナ内のクリミア自治共和国の首都。すでにクリミア半島はロシア国内扱いのようです。

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 ちょうどお昼時でお腹が空いてきました。飛行機に乗れば機内食があるはずですが、折角なので空港でなにか食べてみようと思い、中をあちこち歩き回りました。そこで見つけたのは、パッと見は日本食のようで、実際寿司とかもあるのですが、よく見ると店内は中国や東南アジア、インドの写真で飾られていて、実際供される料理も、良く言えば無国籍、悪く言えば正体不明料理店です。コメを食べたいと思い、チャーハンかピラフのようなものを注文したら、店員からコメの上にかけるものは?と問われ、別にいいのにと思ったものの、じゃあ折角だから何かつけようかということで適当に選んでかけてもらったら、微妙なシロモノができあがりました。変に酸っぱ辛いできそこないのタイ料理といったところでしょうか。何よりもコメがまずいです。料理や店の写真を撮らなかったことが悔やまれますが、客はゼロだったので、おそらく近いうちにその存在は消えてなくなるでしょう。機内食での口直しに期待したいところです。
 これから乗るS7航空は、確か以前はシベリア航空を名乗っていたと思います。ネーミングが2レターコードそのもので極めて独特ですが、飛行機塗装も黄緑色という具合で、なんだかカメムシみたいです。このモスクワ行き、なんと日本航空とのコードシェア便です。だからといってその飛行機に日本を感じさせるものは全くありませんが、今回の旅もいよいよ終わりに近づいているという気分にはさせてくれます。もっともこの飛行機は日本とは反対方向に向かって飛んでいますが。

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 中央アジアでもシベリアでもそうですが、自分は外国人に見えないのか、或いは見えるとしても中央アジア人にとっての外国語はロシア語だからなのでしょうか、みなロシア語で話しかけてきます。そしてそのたびに「ニェパニマーユ(おらぁわかんねぇずら)」と答え、飛行機の中なら「(ロシア語で)ユーは英語は話すアルか?」と続けます。ロシア語圏の滞在はたった4日間ですが、ちょっとロシア語に辟易してきました。
 モスクワ到着は、ドモジェドヴォ空港です。モスクワには何回か来たことがありますが、いづれもシェレメーチェヴォ空港です。飛行機が着陸すると、なぜかあちこちにもう使われていないイリューシンやツポレフと思われる飛行機の残骸が横たわっているのが見えます。別に着陸に失敗した飛行機の残骸ではないのでしょうが、異様な風景です。これがロシア式のウェルカムなのでしょうか?
 飛行機を降りて、出口、そしてそのまま出発ロビーに移動しましたが、どこもものすごく混雑しています。なんでもシェレメーチェヴォ空港の評判がすんばらしく(悪く)て、アエロフロートロシア航空以外の航空会社がごっそりと、もともとはソ連時代は国内線用だったドモジェドヴォ空港に引っ越してしまったのだとか。館内のエアコンもあまり効いていないようで極めて不快です。屋外に出てみると、日本ほどではありませんが蒸し暑いです。エカテリンブルクからは飛行機で2時間半ほどでしたが、また気候がすっかり変わっています。Это Россия!(これがロシアだ!)
 モスクワでの乗り換えは4時間で、街に出るにはちょっと時間が足りません。ですので、このままチェックイン時刻を待つことにします。

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 もともとモスクワには用はなかったのですが、中央アジアから日本に帰る安いルートを探していたら、ビシケク→エカテリンブルク→モスクワ→成田で6万円弱というものを発見したので、そういうルートになったのです。実際には、ロシア国内線を使うので、ロシアビザの取得が必要ということで、額面どおりの値段とはいかないのですが、単純に来た道をそのまま引き返すようなルートよりおもしろそうで、しかもこれまで訪れることなどまず考えられなかったエカテリンブルクに寄ることができるということで、非常に充実した旅となりました。
 このルートのうち、エカテリンブルクからモスクワ、そしてモスクワから成田まではS7と日本航空相互のコードシェアです。そしてモスクワからは日本航空の機材です。自分には航空会社の選択に関して、方針というかルールはほとんどないのですが、唯一の例外として、日本航空だけは使わないと決めていました。ちなみにエアコリョ(高麗航空)はOKです、実績はまだありませんが。なぜかというと、2006年12月29日のセントレアにおいて、珍しく大雪が降ってしまい、ソウル行に乗り込んだものの結局欠航となってしまい、それは仕方がないことですが、欠航が決まった後も飛行機から降ろしてくれず、後続のソウル行きがすべて飛び立った後にようやく降ろされ、しかも対応カウンターでは親切にも各自でその後のことは対処せよとだけ説明してくださったという「雪のセントレア事件」が起き、それ以降日本航空は使わないと心に決めていたのです。この時の顛末はこのFBにも載せていますので、よかったらご覧ください。よく暴動が起きなかったものです。ちなみにこの後日本航空は倒産し、リストラの一環で名古屋ソウル便はなくなりました。今回日本航空を使うということは、あの事件はもはや時効かというとそうではなく、自分はS7航空便として利用するのであって、制裁は継続中という位置づけです。

 3時間前くらいからチェックインが始まりました。日本人がぼちぼちと集まってきています。モスクワにもかかわらず、周りに日本人がいると、ホームに帰ってきたという感覚になれます。これが中国ナントカ航空だと、日本につくまでアウェイ感覚が続きます。海外でそんな感覚になるのは随分久しぶりです。長いこと日系の飛行機に乗っていなかったので。
 ドモジェドヴォ空港はあまり大きな空港ではないのでしょうか、どこも人だかりです。シェレメーチェヴォとは大違いです。落ち着いてお土産を買う雰囲気ではないのですが、エカテリンブルクで両替したルーブルが大量に余っており、しかも銀行が見当たらないので、ここで何か買うことにします。しかしながらモスクワ名物マカダニアナッツとか、ハローキティのマトリョーシカというような気の利いたものはありません。チョコレートならありますが、家に着くまでに融けてしまう恐れがあります。しかしながらクッキーの類は全然ロシアらしくない包装なので、結局チョコを大量に買いました。それから別の店舗を眺めていると、アルメニアコニャック「アララト」を発見しました。これ、あまり有名ではありませんが、知る人ぞ知るナイスなブツで、ソ連時代はアルメニアもソ連国内だったのでロシアでも売っていたようなのですが(ソ連時代のハバロフスク空港の売店で「グルジアのブランデーを売っていました)、今は外国になってしまったためか、シェレメーチェヴォ空港では見つけることができませんでした。中瓶2本を買いました。最後の最後でいい買い物ができました。瓶には「АРАРАТ」というラベルが貼られていますが、当然アパパトとは読みません。なんだかアパホテルの仲間みたいですね。ちなみに「コニャック」とはフランスのコニャック産のブランデーを指す言葉ですが、旧ソ連ではなぜかコニャックと言われています。もっともコニャックを名乗る理由根拠はそれなりにあるようです。

 搭乗時刻になりました。機材はボーイング787です。最近ワイドボディの飛行機に乗ることが少なくなりましたので、少し新鮮な気分です。乗客は日本人が半分くらいでしょうか。隣の席も日本人です。若い女の子二人組でしたが、一切お話はしませんでした。しかしながら周りが日本人という飛行機に乗るのも随分久しぶりのような感じがします。そして当然CAは日本人。なんだか本当に気分が落ち着きます。90年代にある旅行者から、日系の飛行機に乗ると、今までアジア系の飛行機に乗っていた自分がいかにぞんざいな扱いを受けていたかがよくわかる、と言っていましたが、今この言葉が実感できます。ちょっと前にはやった「を・も・て・な・すぃ」ってやつです。B787に乗るのは初めてで、今回の仕様は、ビジネスとエコノミーのスペースは半々ぐらいで、両方ともほぼ満席のようです。モスクワにそれほど日本人の需要があるとは思えません。チェックインも全然混んでいなかったので、おそらくどこか別の国からの乗り継ぎが客が多いのでしょう。
 モスクワは他のヨーロッパよりも若干日本への距離が短いので、搭乗時間も短めです。夕食、消灯、朝食もペースも速いテンポで進んでいきます。でも快適でした。長距離路線で日系の飛行機に乗ったのは初めてですが、ハラショーです!日本航空への制裁措置はこれをもって解除します。といっても行くところが行くところなので、これからも日系とは縁がなさそうですが。
 日本に着いたらゆっくり休憩したいところですが、スマホをなくしたので、それをなんとかしなければいけません。結局スマホの再購入手続きで一日が終わってしまいました。また次回の旅行プランをじっくりと練っていきたいと思います。完。




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