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内から満ちるようにして咲く花は美しい

今日のおすすめの一冊は、齋藤孝氏の『最強の人生指南書 佐藤一斎「言志四録」を読む』(祥伝社新書)です。その中から「人が成熟するとは自己中心性を離れること」という題でブログを書きました。

本書の中に「内から満ちるようにして咲く花は美しい」という心に響く文章がありました。

「己(や)むを得(え)ざるに薄(せま)りて、而(しか)る後に諸(これ)を外に発する者は花なり」《言志四録》 

準備万端ととのって、やむにやまれなくなって、蕾(つぼみ)を破って外に咲き出すのが花である。 

能を大成した世阿弥の言葉に「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」というものがありますが、 そこでいう「花」とは、その人が持っているよいもののことです。 佐藤一斎のいう「花」も意味しているものは同じです。 

それも、やむを得なくなって外に発したものこそがその「花」だと言うのですから、 「見て見て」とこれみよがしに見せるのは「花」ではないということになります。 日本人は花が好きで、よいものの比喩によく花を用いますが、 実際の花も誰かに褒められたくて咲いているわけではありません。 時期がきたときに自然と咲くのです。 

そんな花と同じように、人も無理に自分のよい部分を見せようとするのではなく、 やむを得なくなったときに、つまり自然の時期がきたときに、内側から満ちるようにして外に溢れ出るのが、 その人の持つ本当の美しさであるということです。 

無理に自分の実力を人にみせつけようとすると、どうしてもわざとらしくなります。 人に見せようとするのは、人の評価を気にしているからです。

『かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂』 と、歌ったのは、幕末の英傑、吉田松陰だ。 「こうすれば、こうなるものと知りながら、やむにやまれぬ気持ちで行動を起こした。これこそが、大和魂である」 

米国へ密航しようと企て、それが露見して獄舎につながれたときに詠んだ歌だ。 嘘偽りのない心の叫びは、切羽詰ったときに現われる。 どんなに行動力がない人でも、追い詰められ、ぎりぎりの瀬戸際に立たされたときには、 真実の声を発し、行動を起こす。 格好をつけてなどいられないからだ。 

人は、ある種の極限状態に追い込まれると、「火事場の馬鹿力」という、 普段なら考えられない、とんでもない力を発揮することがある。 それが、その人の奥底に眠っていた真実の「花」。 感じて発憤し、奮い立つ。 

これ見よがしに、自分の実力を人にみせつけない。内から満ちるようにして咲く花は美しい。

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