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金沢刑務所の拘置所で、平成5年10月18日から始まっていた「全日本道路(定価3300円)」の私本閲読許可証

 なんとなく、手元に近い目立つ場所に置いていた「全日本道路」という地図帳ですが、関東や九州、東北という地域別の地図帳が別にあるので使う予定はなく、開くこともありませんでした。

 箱の包みの中に入って、広げると大きい地図帳は、おまけのような感じで高速道路の料金表があったような記憶がおぼろげにあったのですが、この「全日本道路」には、地図帳の後ろの方のページに高速道路の料金表がありました。

 昭文社で「マップル広域版1:250,000」ともある「全日本道路」ですが、確認したところ1992年5月第10版発行とあります。

 母親に郵送で差し入れてもらった地図帳と思いますが、面会の時に持参した本を差し入れてもらった記憶はありません。大きくて立派な、それまでに見たことのないような地図帳でしたが、母親が選んだ地図帳なのかは疑問がありました。

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 この平成5年10月18日というのは、かなり微妙に思える時期になります。9月7日の控訴審判決の日に革手錠をつけて保護房に入れられ、3日目に保護房から出されて、自殺防止用の201の独居房に入れられた記憶ですが、一週間から10日ほどで、25日の間の懲罰が始まりました。

 10月15日から逆算すると9月20日に懲罰が始まったことになります。なんとなく10月13日だったような気もするのですが、懲罰が終わることは「罰明け」と呼ばれていました。

 懲罰の間は、手紙の送受信も出来ず、本を読むこともラジオ放送を聞くことも出来ず、何より痛手だったのは筆記用具が使えず書くことが一切出来なかったことです。すべて独居房の房内から撤収されていました。

 私本の差し入れがあっても手元に入るのは数日後でした。たしか月水金で祭日でない日が願箋の出せる日で、まず差し入れられた本の領置という願箋の手続が必要で、それと「仮下げ」とかいう願箋の手続も必要だったような記憶です。

 本の仮下げをすることで、拘置所の担当のあずかりとなり、私の場合は2階でしたが、土日祝日の免業日ではない日の午前と午後に、私本交換があって、その時に3冊同時に所持できる本の入れ替えが出来ました。

 懲罰というのは即決裁判のようなもので、言い渡しのあとすぐに始まったような記憶ですが、この懲罰が決まるまでの間は、未決の拘置所の収容者として、普通に生活が出来ていました。

 思い出せる記憶ではないですが、懲罰を受ける前に、母親に手紙で地図帳の差し入れを頼んでいたのかもしれません。ちょっと前までは罰明け直後に手紙で頼んだものと考え、それにしては、10月18日からの私本閲読許可証というのは早すぎるような気がしていました。

 時刻は16時46分ですが、同じ場所で、また意外な別の発見がありました。平成6年3月16日の消印がありました。




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