見出し画像

「監視されている」のは、真実か?

私は、なかなかの田舎で育ちました。

家に帰るには、田んぼの中にある一本道を通るしかありません。

一本道をテクテク歩いていると、お隣りのおばちゃんが、私の家の敷地に入るちょうど手前のタイミングで家から出て声を掛けてきます。

未だに忘れられないのは、合格発表の日に「合格したの?」と家族より先に聞いてきたことです。(昔は、学校で合否を聞いていました)

「私に直接聞くだなんて、失礼じゃないか!私が落ちてたら、どうするつもりだったんだ!」と、こうして思い出すだけでもイラッとします。

私が、友達とカウントダウンコンサートに行けば「ひろみちゃんは、今朝帰ってきたんだね」と、母親に報告されます。母親は、私が誰とどこに行くか知っているので「そうですよ」と言うだけなんですけどね。

引っ越ししてすぐに、近所を父親とお散歩した時も、その話の内容を隣りのおばちゃんが知っていて、子供ながらに引きました。いちいち怖すぎます!
内容は、ただのそら豆の話でした。

思い出してイラッとして、愚痴のように余計なことを熱く語ってしまいましたが、要は「監視されている」ということに、私はとても強いストレスがあります。

先日参加したクロージング体験会で「ちゃんと認知活動をしましょう!」と言われ「なぜ、私は認知活動ができないのか」について考えていたんですが、その一つは「監視されている」感覚があるからなのかもしれないという、私の小さな気付きでした。

「監視」を言い換えたら「興味ある」ということになるんでしょうか。
「興味ある」は、プラスの感じがしますが、「監視」は、ネガティブに相手を引き下げる感じがするんですよね。
この件に関しては、これからクリアにしたいと思います。


<おまけ>
ちなみに、私の母親に「監視されてるみたいで、イヤじゃないの?」と聞いたことがあるんです。
さすが、我が母親「無料でALSOKがついてるんだから、心強いでしょ!」ですって!そりゃー、そうだけど。
考え方一つで、ストレスも無料防犯システムになるという、子供ながらに大きな学びを得た体験でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?