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準拠枠を外す

準拠枠、なんて耳慣れない言葉だと思います。
簡単に言うと、自分の思い込みや先入観です。

それが強すぎると、周りとの軋轢や、調和を乱す感覚が生まれやすい。

正義感や、自分にとって大切なことを、あたかも普遍的、絶対的な価値のように振りかざす。
周りにいたら大変な人、迷惑な人、面倒な人。

机の整理をしていたら、一年前くらいに書いた、メールの「写し」の文章のプリントが出てきました。
メールを直接送ったら、あまりに強すぎるから、と送ることはなく消去したものです。

読み返して、「なんと一途に、一生懸命に書いているのだろう」と感じました。ほんの1年前の心の叫びです。それを描いたことすら、ずいぶん昔のことに感じます。それくらい、この一年も、振り返るといろいろなことに翻弄されてきました。でも、それすらも自分自身が選んだこと。

正しいことを貫くのが正義、だと思っていました。そうとは限らない、と思わされることばかりの、コロナ禍の数年間。

余計なことをしない。
老婆心をやめる。
察しない。

今でも、時折自分の心の置き場に戸惑います。

傾聴の先生によると、察しないことが大切で、本当の自分の気持へ、常に立ち返る。
ある友人は、心の痛みに対してさえ、「不感症」になっていたそうです。
わたしも、人のことは言えないな…

一つずつ、当たり前にしてきたことを、本当にしたかったことなのか、振り返る。
義務感だけで、行動していなかっただろうか?丁寧に振り返る、春雨の日です。

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