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石川へ度々⑥珠洲編:”神さまがいる”不思議な空気が漂うさいはての地

石川へ度々④では、お試し移住で初めて奥能登へ行ったことについて書いた。もう少しだけ奥能登のことに触れておきたい。
初めての奥能登入りも果たしたが、現実的な移住先の候補はなんとなく煮えきれない。結局それまで東京の中でも移住ともいえる田舎に引っ越すことでバランスを図った。そして石川とのご縁は・・・透明な糸で繋がっていたの
だ。

10年に1度の大寒波の珠洲滞在

再び珠洲を訪れたのは2023年1月。今度はインターン制度を利用して「珠洲おしごとライター」というミッションでもって訪れた。数日滞在して2件インタビューをすることになっていた。ちなみに珠洲発暮らしのウェブサイト「すっとずっと」の中のサイトにある2023年分が取材させていただいた方々である。

くしくもその日は10年に1度とも言われた大寒波の日。天気予報を見ると不安になる。きっとキャンセルか延期の連絡が来るだろうと心待ちにしていたが、予定通りミッションポッシブルになってしまった、。

前回の珠洲滞在は数時間足らずで、自分自身で土地をひとり歩く時間がなかった。到着後、少しブラブラと歩いてみる。ここは「さいはて」と形容される能登の最奥、チェーン系の飲食店もない、本州で一番人口の少ない“市”。
ワタシ自身は北陸という名称からなのか、雪国だからかなぜか東北に似ているのでは、という勝手なイメージを持っていた。

不思議な空気の漂うさいはての街

なのに、ここは町全体に“抜け感”を感じる。そして人もナチュラルにオープンな気がする。海沿い近くには野犬がいる(アジアだ!)。閉塞感が感じられない、なんかここは違う。旅人の嗅覚が働く。地震が起きて大動脈の道路が寸断されて孤立したほど、都心部との繋がりは近年できたものなはず。一体この空気感はナニ??

晩に、この地に移住してしばらく経つ人や地元の人とご飯を食べに行った。この地で感じたことを口にしてみた。博識なZさんの回答にすこーんと打たれた。
珠洲は陸地では閉ざされた土地だけど、海洋交通の盛んだった江戸時代では北海道と大阪を結ぶ経済動脈の商船「北前船」の寄港地であった、というのだ。かつては朝鮮や中国とも交易があったのだろう、とも。

交通=陸上という常識の中で「さいはての地」なんて形容されるようになったのが最近の話だったのだ・・。交通=海上、だった頃はここは人とモノが行き交う港だったのか。そりゃ閉塞感があるわけがない。
「土地の記憶」に触れるのが好きなワタシにとっては、この新事実は上下が逆になるような新鮮な驚きだった。

よそ者をグイッと引き寄せる銭湯

一番印象深かったのは、宿近くの銭湯「あみだ湯」に行った時のこと。
番台のおばちゃんもまー可愛らしい愛されキャラで、脱衣所では演歌がかかっている。痺れるな〜なんて思いつつ自分の服を脱ぐとさらに痺れることが起きた。

脱衣所にはワタシともう一人ほど。そこへ番台にいたおばちゃんとは別の年配女性が「ゆっくりして行ってね〜」といいながら入ってくる。常連なのか銭湯の方かはわからないが離れたところでもう一人の女性と話している。「ゆっくりしてってね〜」のような言葉をかけている。と思ったら「そこのヒトー!!」と裸になったワタシの背中に向かって声を飛ばしたのだ。

当方、比較的他者と話をするのもウェルカムな人間である。インドに行ったらチャイ屋で隣の客に話しかけたりもする。だけど、ここは日本。銭湯で挨拶くらいはするが、東京では見知らぬ人は話しかけてはいけない。無機質な都市では人は他者を透明人間の扱いをするのだ。
ここは目の前にいる他者を「そこに人がいる」ものとして扱うのだ。人が自分の存在を認めるから、本人も「ここにいる」ことを認知する。田舎ではどこでもそうだけど、この軽さ・ノリで人を引き込む体験は初めてだと思う。
珠洲を象徴するこの数秒にワタシは痺れ、打たれた。

珠洲は人口比率にしては移住者、特に若者移住者の多い街である。マクドナルドもスタバもショッピングモールもないけどそれに代わる引力がある。
「珠洲」の名前にピンと来て、即決で移住を決めたZさんは珠洲には「神さまがいる」という。確かに須須神社もある。だけどそういうことではなくて、土地全体を覆う不思議な空気が流れている気がする。それは到着後に感じた“抜け感”のことだと思う。
後日、他の移住者がまたこの発言をした時に、珠洲出身の知人も「うん、普通にいるよね」という。なかなか文字で表現しにくいけれど、ここにはそんな空気が流れている。

ちなみに奥能登には「あえのこと」という民俗学者必見の田の神を祀る伝統行事がある。一年の収穫に感謝をし、12月に田の神様を迎え入れふるまい、家の中で過ごしてもらい、2月に再び田へ還す農耕儀礼。これは珠洲へ連れて行ってくれたTさんから聞いたことがあった。これをどれほどの世帯がやっているのかはわからないけど、かなり興味深い。

以前の芸術祭の作品。

そんなことを考えながらステイする珠洲は・・・とにかく雪雪で室内も極寒であった。家が雪国仕様じゃないですね。

それでも取材先へ赴きお話しを伺うことができた。特に外浦と呼ばれる日本海側に面した一画で伝統の塩作りをする(株)Anteさんでの取材は印象的。ここで一年中暮らす人の声に触れられたのは貴重だった。

ちなみにこの取材時に「能登塩はじめ厳選素材でおにぎり店を出す」と聞いていた。それが金沢の尾張町にオープンした「山里の咲」。去年金沢へ行った時に伺ったが、これが絶品。お米も美味しいけど、汁物が最高だった。寿司の金沢であえておにぎりで勝負するAnte社長の反骨精神もなかなかである。金沢へ行った際は海鮮丼もいいけど、おにぎり屋も是非に。

「お米ひと粒には30の神様がいるから、絶対に残さないように」。
ワタシの通った保育園ではこう教えられ、ご飯を残すのは厳禁で、冬でも寒風摩擦、靴下も履いてはいけない。なかなかストイックな教育であったけど、世界農業遺産にも登録され、美しい棚田の景色が広がり米作りが盛んなここ奥能登では、お米には神様がいる・・・は何ら不思議はないのだろうな。

これは珠洲のご飯屋さんのおにぎり。

塩田も田園も皆さんの暮らしも、復興を願ってます。また行きます。


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