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「作品としての写真」を考える

かかみがはら暮らし委員会のオゼキカナコさんに協力していただいて、オンライン交流会【「作品としての写真を考える」〜個展を開こう〜】の参加者募集が始まった。

この試みは、私が写真専門のギャラリーを作りたい!と思ったことの延長線上にある。

なぜ「作品としての写真」について考える場が必要かについて、カナコさんとの話の中で面白いことに気がついたので、まずはそこから始めてみたい。

私はお店を開いたこともないし、お店に勤めていたこともない。だからそういうことに全く”ど”が付く素人なのに、やりたくてやりたくて堪らなくなった。

(そのきっかけについてはまた別の記事で書いてみたい)

その時、カナコさん(岐阜では売れっ子のセレクトショップのオーナーでもある)がお店を畳むことを知り、このタイミングだ!と思い、思い切ってお店の始め方を相談に行った。

コロナ禍がまだ足音を立てる前の1月のこと。

私がお店の素人であるように、カナコさんは「作品としての写真」の素人だった。

だからこそ「写真」の内側の世界にどっぷり浸っている私の視点ではなく、外側から「写真」についての率直な意見や感想を聞くことができた。

カナコさんにとって、「写真」は、SNS等で流れてくる「あ、素敵な写真!」だと言う。それ以上でもそれ以下でもない。

素敵だけれど、立ち止まって見る、プリントで見る、そう言う視点はない。

ましてやプリントの写真を買って飾る、などと言うことは考えたこともない。

カナコさんは美的センスの高い人だ。そういう人にとっても「写真を飾る」という発想はない。

それはかなりのハードルだと思ったが、逆に考えれば可能性のチャンスとも捉えられる!

実は「プリントの写真を売る、買う」と言う行為は、写真を「作品として」撮っている人の中でも少数だ。

日本ではこれまでそう言う文化が広がっていないことも、その理由の一つ。

でも、SNSを流れて行く写真に留まらず、「作品」としての写真に自負を持っている地方の写真家はたくさんいる。

ただ、その「作品」をプリントとして披露し、誰かに買ってもらい、部屋に飾ると言う流れを提供する場がないだけだと私は思っている。ブラウス一枚、ちょっとおしゃれなTシャツ一枚を買う値段で、誰かの素敵なプリントを部屋に飾ることができる。

それが成り立つか失敗するかはやってみないとわからない。

この時代、写真を撮っている人は数え切れない。

ローカルな街にも大勢の写真家がいる。

でも地方で写真専門のギャラリーはまだまだ少ない。未来のある作家に個展を開いてもらって、一般の人にプリントを買ってもらう。

私は地方が楽しくなる場になってほしい。

それが日本の未来を豊かにすることだと考えているから。

「プリント写真の灯を消さないように」という懐古的な気持ちはない。

若い人たちに「プリント写真」を新しい形だと思ってもらいたい。

写真を「作品」として考えている、まだ個展を開いたことのない人たち、個展に興味のある人たち、そして個展を体験した人たち、みんなに集まってもらって、たくさんの疑問や、「作品としての写真」の可能性について語り合いたい。

このイベントはオゼキカナコさんの全面的バックアップによって開催できることになった。カナコさんには心から感謝の気持ちでいっぱいだ。

オンライン交流会【「作品としての写真」を考える〜個展を開こう!〜】は有料(¥500)イベントです。

https://photo-gifu.peatix.com


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