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ヴァイブレータ in MOVIE TRAP

岡部の口笛、玲の口笛

監督:廣木隆一
主演:寺島しのぶ(早川玲)
   大森南朋(岡部希寿)
脚本:荒井晴彦
原作:赤坂真理
公開:2003年12月6日
メモ:忘却の彼方にあった原稿が突然出てきた。
   20年前の文章だが、ほぼそのまま掲載する。

男は、饒舌に過去を語るが、真実なのか?

妻と娘の存在やストーカーの事さえ嘘であるように、
シャブの入った冷凍マグロの事もホテトルの話も、
他人の経験や風聞を自分の事のように話しているのではないのか?

中学も満足に出ていない男が、CQを
「英語のシーク・ユー、あなたを探す、っていうのが語源て話」
なんて答えられるのか? 

バックがやくざの無線クラブの幹部になれって言われるくらいだから、
それが事実ならそこそこに頭も切れるし、腕もあるのだろう。

でも、ならない。集まっての人間関係がうざったいから。

そう、男はまるで女の写し絵みたいだ。
惹句にあるような女の対極にいる人間ではないのだ。

女も饒舌に語るが、部屋で待っている男が本当はいないように、
真実である保証はどこにもない。

しかも、それはダイアローグではない。
頭の中の“声”と女自身の対話、つまり結局はモノローグ。
そして、映画の中では原作と違い女の過去は、
ひとつとして語られる事はない。

映画は、男の饒舌と女の過剰なモノローグで進行し、
肉は契りあっても、魂が絡み合う事は、ない。

「おかべたかとし、名前訊かないの?」
「下の名前だけでいいよ」
「悲しいこと言うなよ」

悲しいことを言っているのは、玲、早川 玲。あんただよ。
そこまで自分を丸ごと受け入れてもらいたがるのは、
あんたが、こどもだからだ・・・。

過食のせいではない嘔吐で汚れた首や胸を綺麗にするため、
岡部は玲をラブホテルにいざなう。

お湯の温度を気に掛けてくれる岡部を、
このやさしさは感情でなくて本能だよ、と思う“声”よ。
男が女のためにお湯の温度を気にするのは本能じゃない。
それがわからない“声”よ、あんたは玲と共存できない。
玲も、それがわかっている。

固定したカメラではじまる「五十嵐食堂」の場面は、
これから大事なことがはじまる予兆に満ちている。

テーブルを挟んで座るふたり。
テーブルの向こうにはふたりを分かつように柱がある。
そして玲の身体のうしろ半分は手前の柱に隠れている。

ゆっくり、ゆっくり、カメラはふたりに向かって
ドリー・イン(前進)し、玲の全身が現れる。
これから大事な事が露わになると、
観客に予感させる秀逸なカメラワーク。

玲は、吐くから食べないと言い、
岡部は吐いても良いから食べろよ、
と玲を丸ごと受け入れようとする。

岡部は妻子持ちという嘘を認める。
玲は部屋で男が待っている、と嘘をつく。
「マジかよ、あんた。いいタマだな」
その嘘を認める玲。
真実の瞬間にまで嘘をつく玲。
別れは決定的になる。

なぜ、岡部が4トン車を玲に運転させたと思う?

自分の人生を運転できない玲に、
おっかなびっくりでも、
自分の人生を自分で運転する事の歓びを、
教えたかったんじゃあないのか?

「それは衰えではなく、バランスの乱れが原因だったのです」
ファーストシーンのコンビニ場面で、雑誌の広告に姿を借りて、
もう玲の有り様が暗示されている。

でも、それはバランスのせいじゃあない。
でも、バランスのせいにすれば自分が守れる。

脚本の荒井晴彦は、原作通りに脚色したと言う。
しかし、シナリオは微妙に原作を変え、
特に、ラストシーンは原作にはない。

出会った同じコンビニで二人は別れる。
岡部が去ったあとで、玲は口笛を吹く。

最初の岡部の口笛は、玲を呼び寄せるためだった。
最後の玲の口笛は、もう一度岡部を呼ぶための口笛?

違う。
玲は気付く。自分の今の口笛の意味を。
急に交信を切っても、相手が心配しないトラック無線の決まり事の口笛。

別れる事で、魂はようやくコミュニケーションする。

レジに前に立つ玲の姿が長回しで撮られる。
アップではないが玲の表情が微妙に変化する。
嬉しいような、悲しいような、何かを決めたような。
そこに“声”はもうかぶらない。

廣木隆一監督は言う。
「痛い映画にしたかった」

原作には玲と母親、玲と国語教師との確執が描かれ、
自立をさまたげられた女性の再生の物語になっている。

映画は、そこをスッパリとカットし、
自立はしていても自律できない、
人間関係に苦しむ女性像を描き、
普遍性を勝ち得ている。

そう、再生ではなく新生の物語。
誕生には痛みがともなう。だからこの映画は、痛い。
共感と慰安と激励と「叱咤」が込められているから。

別れる時の玲を見る岡部の眼。
長年の同士を見送るような眼。
ああいう眼で女と別れる男の気持ち。
岡部もまた対人関係に苦しんでいる。
男も、痛いのだ。

原作にないこのラストシーンは、
60代という荒井晴彦にしか書けない。

「命短し、恋せよ乙女」
この映画から、この唄がきこえる。
この唄は、年寄りにしか唄えない。
むしろ年寄りだから、万感を込めてひっそりと唄う。

なぜ、そう思うかって?
それは、私も年を取ったから・・・。

寺島しのぶが良い。
個人的には趣味ではないが、
画面を引っ張っていくその存在感は圧倒的。

大森南朋が良い。
麿 赤兒まろ あかじの息子だという。

以上「ヴァイブレータ」

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