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「何のために描くのか」の答えに、一番近い感覚/龍の道を作ったのは誰か

本記事は、極めてプライベートな内容を含みます。
「誰でも読んでね」とは、思わないです。

ただ、パソコンのメモ帳に記しておくだけにすると、いつの間にかまた風化してしまいそうにも思います。

なので。
記事として、残すことにしました。

タイトルに書いた
何のために描くのか?ということの答えに、一番近い感覚。
最終的に、そこに至ったので。
本来なら、誰の目にも触れるところに述べるべきことかもしれません。
けれど、そういうのは、また別に。
それなりの仕様に書き換えて。

コンセプトとか
そういったこととして、書くことにします。

だってね。
そういう書き方をすると、ザルの目からこぼれ落ちる部分が、出てくるからです。
今回は、そういう目的ではないから。



コトの始まりは2月20日の朝


ここ最近、我が家のトイレの水量が減っているな、とは感じていたのですが。
20日の朝になって、ごく少量しか溜まらないという事態になりました。

建物のある敷地内のことはだいたい把握している、という、「設備のお医者さん」的存在の業者さんに、連絡。
そして、修理不能という判定となりました。
30年前の設備ですから、そこはもう、しかたありません。

奇しくも20日は、乗用車車検の当日。
降ってわいた手痛い出費でした。

他にも検討していた資金の振り分け先があったけれど。
それらが自動的に延期か中止になるわけで。

まさかの事態に、本当にガックリ。

しかし。
この出来事によって、わたしは
「人生上の、重大なこと」
が、突然腑に落ちたのでした。

人生上の重大なこと であると同時に

画道の上でも、根幹の部分となる、重大なこと

に、気付くことになったのです。


「パートナーシップ」という言葉


わたしは昭和ど真ん中生まれ世代。
夫は8歳年上で、還暦をとうに過ぎています。

そんなわたし達世代には、「パートナーシップ」なんて言葉は、あまり身近には感じられません。

「妻は三歩下がって...」
なんて、思っているわけではないけども。
今の20代~40代くらいの方達がSNSなどでよく書いている「パートナーシップ」というフレーズは、小洒落たラッピングをされてテーブルに載せられたスイーツみたいなイメージ。

少なくとも、わたしには、パートナーシップなんて単語は、そんな程度のイメージです。


そして、我が家はたぶん、わたし達の同世代夫婦ともかなり違った生き方をしてきていると思います。
もちろん、何が普通かなんて、それこそ曖昧でしかなく。
そもそも「普通」なんて、この世には存在しないのですが。

それでも、たぶん。
ちょっと、ズレたところで生きているな、って気が、しています。


この日、急に腑に落ち、理解したこと。
忘れてしまわないうちに、メモに打ち込んだこと。

それを後から読み直し、さらに染み渡るような感覚へ至ったこと。


以下は、誰にでも無差別に見せたいものではありません。

ただ、わたしをよく知りたいと思って下さる方には、かなり重要な内容かもしれません。

わたしの、今までの奇蹟が続いた結果の現在。
それがなぜ起きたのか...ということを、もしかしたら、感じ取っていただけるものかもしれません。

だから有料に...っていうわけでもなくて。

「課金というハードルを越えてまで踏み込んでくださる方」にだけなら、お見せしようかな。
と。


  

 

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