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小学校の学年文集と将来の夢 2021/04/10

先日、母親から20年前に書いた学年文集の写真が送られてきた。
写真に映し出された文集に目を通すと、そこからは、
今から約20年前の自分は小学3年生だったことが読み取れた。

「20年、、、」

言葉ひとつにしてしまえばそれまでだが、
子どもから大人へと変化していった自分自身の20年という月日がどのようにして流れていたのか、僅かな時間ではあるが回想していた。

また記憶に思いを巡らせるのと同時に、
若さというものは消耗品で、限りある資源という事実にも気づかされていた。
その事実と自分なりに適度な距離を保ち、どう折り合いをつけ、どう向き合っていくかという思考も、自分の頭の中には漠然とながら浮かんでいた。

そんな思いを巡らせてくれるきっかけを作った20年前の学年文集の内容は、
当時校内で行われた持久走大会(マラソン大会)を題材にしたもので、手書きの自画像付きで書かれていた。なんとなく書いた記憶はあるのだが、改めて読んでみるまで内容を思い出すことはできなかった。

読んでみると、
色々突っ込みどころ満載で、

小学校3年生の語彙力ってこんなもの?
自画像の鼻、やばくない?
それくらい漢字で書けないの、わざと?

等、今の大人になった29歳のマラソンランナーとして活動している自分が振り返ると思うこと、
笑ってしまうことが沢山あった。
過去の自分の拙い文章に恥ずかしさはあるものの、今回はその内容を皆さんに共有し、ご一読頂けたら書き手としてはとても嬉しい。

(以下原文のまま)

がんばったじきゅう走大会
3年 須河 宏紀

 10月7日、じきゅう走大会がありました。さいしょに開会式がありました。ぼくは、きんきょうしていました。
 さいしょは中学年だったのでスタートのいちにつきました。

「よういドン。」

とピストルが鳴りました。ぼくたちは、1kmでした。ぼくは3位までに入りたいと思っていました。ぼくは、走っている時、3位までには、入れるかなと思っていました。ぼくはゆうき君やたかし君について行きました。どんどんつらくなってきました。
 
 ぼくは下り坂でおいぬかしました。それであとグラウンド1しゅうだけになりました。ぼくは、ぬかされるか心配でした。ぼくの後ろにかん太君がせまっていました。それでさい後は、全力で走りました。かん太君も全力で走ってきました。ゴールしました。1位でした。よかったです。タイムは、4分22秒でした。
 らい年は、4分をきりたいです。がんばりました。

(実際の学年文集と、白目を剥いて異形の鼻が際立っている自画像の写真。服のカッティングもおしゃれ。)

今なら真似しようと思っても中々真似できない、そんな文が散りばめられていた文集だった。

特に際立っていたのが、
「よういドン。」
という表現。

なんて緊張感がないのだろうか。
そんなかけ声とピストルの音では、
スタートを切るつもりになれない、そんな気がするのは僕だけではないだろう。
ちなみに1km4分22秒というペースは、今ならジョギングペースなのでそのペースで延々と走っていられる。(20年前に比べるととても成長したと実感)

また、学年文集のあるコーナーには「将来の夢」についての記述があった。
せっかくなので、それについても原文が載っている写真を皆さんに共有させて頂きたい。

かなり健康意識が高い子どもだったことがこの文面から読み取れる。
(なぜ、、、)

当時の目的がなんだったのかははっきりとは覚えていないが、
(体力があることに憧れていたのはなぜだろうか、、)
今の自分は子どもの頃の夢を一応叶えているといえると思う。

だが、まだまだ自分が一流のマラソン選手だと語るにはほど遠い。
しかしそれでも、20年前に自分が思い描いていた姿に少しでも近づいているのだとしたら、
この20年間日々の物事に取り組んできた自分を褒めてあげたいと思う。
とはいえ、今の自分は選手として、また社会人としてやるべきことが山積みである。次の20年に向けて日々の取り組みを疎かにせず、引き続き今できることを積み上げていきたいと思う。

あと、最後にお話しておきたいことは実際の鼻の形はちゃんとしているということ。
お時間があったらぜひ写真から確認して頂きたい。

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