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やりがいを持てる仕事とは?

 皆さん、仕事にやりがいは持てていますか?
 誰でも、やりがいのある仕事をしたいと思っていることでしょう。働き方改革が進められていることもあり、古くからあるやりがい議論も一段落ついた状況であるように思います。

 ただ、その結論として、
「やりがいを搾取するブラック企業から抜け出せ!」
とか、
「やりがいのある仕事ができる会社や上司を選べ!」
という文言が独り歩きしている部分には違和感を覚えます。
 その文言を鵜呑みにして、
「うちの会社はダメなんだ!」
と思って転職に踏み切ったとしても、おそらく100回転職しても、やりがいには巡り合うことはできないでしょう。

 というのも、そもそも「やりがいのある仕事」なんてものは、この世の中に存在しないからです。
ただ「仕事にやりがいを見出せる人」が存在するだけなのです。
 だから同じ職場に勤めていても、仕事に熱中できる人と、そうでない人がいるのです。
 
 まず、それが前提で、その上で「職場の全員がやりがいを感じられない状況」となれば、そこでやっと、
「それは確かに会社の環境が悪いのかも」
という判断になるのです。
 はじめから会社や上司に依存して、口を開けてエサを待っているヒナ鳥の気持ちでやりがいを待っていては、決してそのやりがいに辿り着くことはできません。

 
ビジネス構造におけるやりがい

 フリーランスや法人経営を経験するとよくわかることなのですが、ビジネスの構造上、作業者にやりがいを与える段階は存在しません。

 少し考えてみてください。
 たとえば飲食店で何か食事をするときに、そのお店や店員の作業にやりがいを与えるような振る舞いをしたことがありますか?
 たとえばドラッグストアで日用品を買うときに、その店舗や従業員にやりがいを与えようと考えたことはありますか?
 そんなことを考える人は、ほとんどいないと思います。
「私はお金を払う側の、客の立場ですよ。どうしてお金を払っているのに、やりがいまで与えなければならないのですか?」
と思うはずです。あるいは、
「あなたは商品を出して、私はお金を出して、それで等価交換。どうしてやりがいを与えなければならないのですか?」
と考えるはずです。
 というか、あまりにも当たり前すぎて、こういう思考をしたことがないほうが普通でしょう。

 ビジネスの構造としては、雇用者と被雇用者の関係は、この関係と同じです。
 被雇用者は「労働力や時間やスキルを商品として提供する」立場であり、雇用者は「お金を出してその商品を買う」立場にあります。
 そして、たとえば月々30万円というお給料を、会社が社員に支払うのです。30万円の商品を、会社は社員から毎月買っているのです。

 こう考えると、やりがいを与える段階など、ないほうが普通のことだと理解できるはずです。
 それどころか、昭和の時代などは、労働基準法が緩かったのかどうか、
「給料を払ってるんだから、社員は馬車馬のように働くのが当たり前。やりがいなんて、求めるほうがおかしい。残業代も出すわけない」
というような横暴な状況もよく聞く話でした。
 もっとも、今でも、飲食店などで、
「お客様は神様だろ!金を払っているのは俺だぞ!メニューになくても、特別対応ぐらいやれよ!」
というようなモンスター客がいる話を聞くと、メンタリティは同じであるのかもしれません。
「お金を払う人が偉い」
というのが、意識の根源にあるのです。

 話が少し逸れましたが、ともかく、ビジネスの構造を簡略化すると「商品を提供してお金をもらう人」と「お金を支払って商品を受け取る人」の2つに分類されます。多くの人が9時-17時で前者、17時-翌9時で後者になって、双方の立場でビジネス社会を動かしていることと思います。
 そんな中、支払い側の時に与えていないものが、受け取り側になったからといって授受できるはずもありません。「お金も貰ってやりがいも貰う」という状況を望んでいていいのは、ヒナ鳥だけなのです。


フリーランスのやりがいについて

 ところで、フリーランスや法人経営という働き方は、とてもやりがいのある働き方です。
 自分で自分のやることを100%決めて良いのですから、当然ですね。
 また、これも当然のことですが、やりがいは自分で見つけなければなりません。
 そして、自分がやりがいのある事業を継続するために、場合によっては従業員を雇います。自分のやりがいのために、従業員にお給料を払うのです。
 そう考えてみると、ここでお給料をもらう側の従業員が、やりがいのある仕事にありつけるわけがありませんよね。お給料を払ってまで従業員に頼む仕事は、大抵は経営者がやりたくない仕事であるはずなのです。

 ビジネスというのは、そういう構造をしていますから、はじめに言ったように、「やりがいのある仕事」なんてこの世の中には存在しないわけです。「仕事」というのは、「やりたくないことをお金を払って解決すること」という意味であるからです。

 やりがいのあるフリーランスという働き方であっても、クライアントから嫌な仕事を頼まれることもあるでしょう。マジシャンとして出張したのに、空き時間にトイレ掃除をさせられる、なんてこともあるかもしれません。
 また、法人経営がやりがいがあるといっても、融資してもらうために銀行を駆け回ったり、税務署や法務局の書類作りをしたり、という仕事を楽しいと思う人はまずいないことでしょう。
 それでも、きちんとやりがいを感じられるのは、「トイレ掃除」や「書類作成」という作業に対してのやりがいを求めていないからです。
 「クライアントを喜ばせるために」とか、「信用ある会社にするために」とか、そういう部分にやりがいを見出しているからです。「仲間と一緒に成功するため」とか「雇っている社員たちの家族のため」とか「世界を良くする」などをやりがいにしているのです。

 いずれにしても、やりがいは仕事に付随してくるのではなく、自分が見出さなければならない、ということです。
 自分で見出したからこそ、やりがいがある仕事になるのです。


やりがいを見出すスキル

 「仕事にやりがいを見出せる能力」というのは、ひとつのスキルだと言えるでしょう。
 やりがいを持って仕事をしている人は、そのスキルを持っているということです。
 一方で、そうではない人は、スキルを持っていないばかりか、そのスキルの存在を知らず、「やりがいは仕事に付随している」と思い込んでしまいます。そうすると、やりがいを持つ人に対して、
「いい仕事ばかり回してもらって、ズルい」
と妬んでしまうこともあるかもしれませんね。

 フリーランスがやりがいのある働き方だと言いましたが、しかし、
「じゃあ、やりがいのある仕事をしたければ独立してフリーランスになればいいのか!」
という話ではありません。
 フリーランスという働き方は、誰の指示を受けるでもない働き方であるので、やりがいがあること以外はそもそもやらない、というだけの話です。
 要は考え方の問題なのです。
 サラリーマンであって、仕事内容が定まっていたとしても、やりがいを見出すことはできます。

 たとえば、「お給料をもらえることがやりがい」と思うことができれば、とてもシンプルかつ合理的です。タダ働きでさえなければ、どんな仕事であっても頑張れます。
 「家族のためにお金を稼いでいる」というのも、やりがいとしては大きいでしょう。子供の成長を見守る楽しさを比べると、仕事の苦労も気にならない、というパターンです。仕事のやりがいではなくとも、人生にはやりがいがある、ということになります。
 「今この仕事で、スキルが身に付いている」という考え方も良いでしょう。将来の成長した自分自身のために頑張ることができます。そのスキルが、将来どのように役立つのか、具体的な見通しが思い描ければ、なお良いでしょう。
 「会社のため」「上司のため」などは、今風ではないかもしれません。しかし、今風であることと、仕事が充実していることは、どちらが重要でしょうか。かつての人々と同じやりがいを持つことも、選択肢のひとつだと言えます。というより、本当は、今でも、そういうやりがいを持つ社員が多い企業が強い企業だと思います。
 何らかの「自分ルール」を作るのもいいかもしれません。「商店街の黒いタイルの上しか歩かない」とか、「牛乳瓶の蓋は捨てずにとっておく」とか、よくわからない自分ルールで充足感のある子供時代を送った人は多いことでしょう。大人になっても、仕事の中で、そういうような「自分ルール」をやりがいにすることは、大変良いことでしょう。

 少し訓練が必要になるかもしれませんが、ともかく、自分で考えて自分で決めることが重要です。
 他人に言われてやること自体が、やりがいを低くする要因です。

 もっとも、やりがいを求めすぎて、それでも見つからないからと苦しく思うようだと本末転倒です。「仕事には絶対にやりがいを持たなければならない」というふうに堅苦しくは考えないでください。
「別にやりがいなんてなくても困っていない」
という状況であれば、それも何の問題もないことです。むしろ、そういう人のほうが多いのかもしれません。
 仕事を楽しむのも選択肢のひとつである、というくらいの軽い気持ちで参考にしていただければ幸いです。

 ちなみに、フリーランスはやりがいはありますが、得てしてお金はありません。
「やりがいはあるがお金はない」
という状況と、その逆と、どちらが良いと思うかは個人の感覚です。


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