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ヤドカリ放浪記2024〜五ヶ瀬川-木浦編〜

2月10日
6:21
起床

宇目とは全然寒さが違う暖かさすら感じる夜明け前
寝不足の割には早く目が覚めた
行動するには早過ぎるので暫し布団に包まり、インスタを編集する
そして行動開始
散歩に出掛けます
7:55
五ヶ瀬川

宮崎県北部を流れる五ヶ瀬川水系の本流
延岡市から日向灘に注ぐ一級河川
朝日が川面に反射して煌めいてます
そんな河川の土手に公園が広がります
8:04
延岡花公園

天下一ひむか桜と菜の花が咲き乱れるコノハナロード
思いの外に二日酔いじゃないので片道四キロの土手を歩いてみる

菜の花は満開
桜はこれからだね♡
8:29
延岡花物語誕生之碑

コノハナロードの真ん中ら辺に五年前に設置された碑
・2008年、長井明子様ご出身の延岡高校13回生からふるさとへ恩返しがしたいと提案があり、2012年までに五ヶ瀬川岸堤防敷2.3kmに300本の河津桜を植栽
・植樹には市民の賛同、国土交通省の協力があり、桜の名所コノハナロードは誕生
・植樹後はこの13回生が中心となり、天下一ひむか桜の会を結成し、維持管理活動を行い、長井明子様が中心となって物心両面で応援される
・五瀬命縁の母なる五ヶ瀬川は市民のためにコノハナロードと延岡花物語の二つを誕生させた
等記載されている
へぇ〜(´・ω・`)
8:47
松山橋

1939年に建設された旧松山橋が老朽化し、幅員も四㍍で住民の要請と都市計画のもとに1991年に架替えられた新橋であり、旧橋の四十㍍上流に位置する一等橋
延岡市の西の玄関口として特徴あるデザインを有している
傍に竣工記念碑が建っている

そんな橋を渡って対岸へ渡り、真直ぐ進むと〜
8:56
本東寺

日蓮宗の寺院で山号は慧日山
日向之国七福神大黒天霊場の一つで御本尊は鬼子母神と大黒天
境内には有馬公一族の墓碑が建っている
また樹齢240年の見事な枝垂れ白梅がこの寺院の名物である

他にも白梅50本、紅梅5本が咲き誇る
たまたまこの日、慧日梅鑑賞の慧日会があるというので訪れてみた
山号より樹齢240年の梅の木は慧日梅と言われ、新富町の湯の宮座論梅、宮崎市高岡町の月知梅と共に宮崎県三梅の一つに数えられている
慧日会は十時からなので野点も頂くことなく、梅の鑑賞のみで本東寺を後にする
逆に人が多くなくて見放題で撮影も人が入らず、撮り放題だったので良しとする
さぁ〜また歩いて延岡駅方面へ歩いて帰りますか
9:17
南万古墳群

国指定古墳9基が点在し、丘陵北斜面には縄文時代早期に形成された県内最古級の貝塚、大貫貝塚が存在している
大貫貝塚は調査により最大0.6メートルに及ぶ貝層が確認され、様々な貝や獣鳥魚骨・石器・縄文土器等が出土しているらしい

延岡しろやま支援学校前に碑だけが建っているだけなので何処のどれが古墳なのか分からなかった(´・ω・`)
9:31
古川薬師堂

薬師堂の碑を見付けた
周りを見渡すと小高い丘に楠で覆われたそれらしき場所を発見する
調べてみると元々は松尾城西の丸にあったが城の拡張の為、1440年頃に現在地に移設
本尊の薬師如来座像は平安時代の作で国宝か重要文化財に指定される所だったが一部修理された跡が残っていた事で取り消されたと伝えられる
1936年に火災に遭い、現在は白い布で体を覆って安置されているとの事
9:35
安賀多神社

717年、今山に神明宮として創建された県北最古といわれる神社
1577年に大友氏の兵火に遭って焼失したが1624年に藩主有馬直純公が再興して現在地に移したとされる
1873年には県社に列され、現在の恒富・岡富・出北一帯は中世、県荘と称していた事から、その音をとって神明宮から現在の社号に改称
主祭神に天照皇大神を祀る
他に手力雄命・万幡姫命ら六祭神を合祭している
9:43
ローソン延岡古川町店

寺に着いた時点で済ませておくべきだった
途中で缶コーヒー買って飲むんじゃなかった
でもなんとか持ち堪えた
トイレに飛び込み、用を足す
ふぅ〜(*´ω`*)
此処で熊から連絡が入る
今日、墨付け祭りらしい
今から行ってもな〜
9:52
古川水天宮

久留米に総本社が座する天御中主神や壇 ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀っており、水と子供の守り神として知られる
古川水天宮は1955年、初代と第九代の延岡市長を務めた仲田又次郎氏が勧請寄進
旬鮮工房源太の三叉路の一画に祀られていた
此処で再び五ヶ瀬川に出る
10:04
今山恵比須神社

八幡宮内に建つ商売繁盛の御利益がある神社
この日、九州三大えびすの一つに数えられるえべっさん開催日
境内には多くの延岡市民が参拝に訪れていた

俺も本殿にお参りする為、行列に並ぶ
そして宇佐神宮式である二礼四拍手一礼

少し境内を見て周り、上を目指す
10:18
日本一の御影石石段

今山恵比須神社から今山八幡宮へとつながる石段は全て御影石の一本造りでで出来ている
全部で137段
御影石の一本造りの階段としては日本一の規模を誇る
そんな石段の両脇には88基の照鑑燈籠が並ぶ
そして見廻りに来ていた警官とスレ違う瞬間、階段を踏み外し転けそうになる俺
警官と遭遇して動揺していた訳ではない💦
10:20
今山八幡宮

今山は750年に豊前国宇佐八幡宮を勧請したもので社領を加増せられた758年、当山最も興隆を極め、今最も栄える山という意味で社号を今山と改め、今山八幡宮と号したと伝わる
祭神に誉田別尊・応神天皇・息長足日売尊・神功皇后・玉依姫命・姫神の六柱を祀る
此方はえべっさん関係なく、祭りムードはゼロ
10:24
日西成家電


現在は廃業されている元家電店
店内にネコが居たので少し相手する
近づいて来てくれないけど…

てか、ネコ小屋なの?
10:26
今山大師寺

疾病が猛威を振るった1839年
高野山金剛峰寺から弘法大師座像を勧請
大師庵を建立したのが縁起
現在では九州四十九院薬師霊場の一つになっている
本堂であると思われる大子堂で参拝
天井画が実に素晴らしい

お参りした後は裏の七羅漢と七福神が祀られているエリアへ
10:33
今山大師像

今山大師銅像会館
この寺の象徴である弘法大師像が建つ建物
銅像としては日本一の弘法大師像らしい
そんな像の足元にあるお大師さんヒストリー会館

壁一面には弘法大師について書かれてる
又、床には四国八十八ヵ所が砂を埋めており一つずつ踏むとお遍路の御利益がある
山上のこの銅像は、その大きさ日本一と称せられ、台座を含む高さ一七㍍、重さニー㌧あり、昭和三二年四月一八日に開眼

山上にはこの他にも延岡近鄉各町村の守護仏として四国八八ヶ所霊場の御分身が山内一円にまつられている
毎年四月第三日曜日を中心に行われる春の大祭は近郷はもちろん、四国・九州各地からの参詣者一〇数万人で賑わい、お大師さんの呼び名で親しまれている
また琴恵光関の幕内通算100勝達成記念に作られた金剛力鉄砲柱がある
琴恵光関…前回、彼の実家で寿司食ったっけ
さて降りますか
10:50
縁日

恵比須神社を出ると正面の通りは歩行者天国
屋台が並び、縁日が開催されている
ちょいと祭りを楽しむ
10:56
ちゅーちゅープリン

雰囲気を楽しみつつ、出口付近に差し掛かると一軒の屋台に惹かれる
ちゅーちゅープリン
まるでマヨネーズの様な容器に詰められたプリン
抹茶にイチゴ・チョコレート
ノーマルはまさに見た目マヨネーズ

購入したけど冷凍されていて、直ぐには食べれませんでした
ちゃんちゃん┐(´д`)┌
11:04
丸玄

旬菜食事処
営業中の札出てるけど外出中
準備中で良くね
腹減った(´+ω+`)
11:09
あさひ食堂

朝の散歩を終えて、結局此処で少し遅い朝食
カレーも好き
うどんも好き
セットで頼むしかないじゃない♡

うん、食堂の味♪
はぁ〜腹一杯(*´ω`*)
11:31
きよすえ商店

寝床だった駐車場前にある沖縄そばの店
開いてた
限定十食なんだって
まだ入れそうだったけどもう腹一杯なので次回の楽しみにしておく
11:33
米蔵跡・武具蔵跡

かつて延岡藩内の物資集散地として機能していた倉庫群があった場所
延岡城は明治時代に入ると廃城となり、内藤家が経営する日平銅山の従業員の自家用として味噌・醤油の製造工場が設置され、1944年頃までかどうしていた
第二次大戦後は戦災復興に伴う個人宅地となり、現在は公園駐車場になっている
さて、出発しますか
11:53
クローバー延岡給油所

ちょいと南下して給油
162.8円/㍑だったので迷わず満タン
これにて延岡脱出
さてどこへ行こうかね♪
12:24
道の駅北方よっちみろ屋

国道218号線沿いに2015年には開業した道の駅
情報収集及び厠休憩に寄る
大した情報は得られなかった…
12:41
元気村

これまた国道218号線沿いにあるひのかげ古里市場
テナントが並ぶ複合施設だ
この施設の存在を知らなかったので寄ってみるとパン屋やお食事処、珈琲屋等が入っている
此処で食事でも良かったな
12:50
青雲橋
日之影川を跨ぐ峡谷に架設された鋼製のアーチ橋
完成迄10年4ヶ月の歳月を要した鉄橋である
道の駅青雲橋からr6に入り、初めて下から橋を眺めた
それから日之影川沿いを北上する
川綺麗だな〜♡
13:02
戸川村

歴史に生きる石垣の村
標高九五四㍍、雄大な戸川岳麓に点在する農林業の村の一つ
農村景観百選 石垣の村だ
日之影川沿いの山間にヒッソリと佇む戸数七戸の静かな集落である

連休で人が来なさそうな所を求めて、あてもなく車を走らせてたのに俺好みのスポットに出てくるとは予想外
せっかくなので散策に出ます♪
それにしても素晴しい石垣だ
石垣の村は宅地や耕地の殆どが石垣で築かれており、石垣の村・戸川と呼ばれているらしい
13:05
河川広場

先ずは河原を見学
やっぱり綺麗な川だよ日之影川
飛込みたいけど、今は川より石垣
さて石垣美を堪能しに行きますか♪
13:10
坂本長太翁像

観光拠点である石垣茶屋前の石垣を眺めながら坂を登るとある像
大正14年に完成した七折用水路の開削にあたり、献身的な協力を惜しまず、その功績を讃え建立された像
現在の美しい棚田づくりの先導者でもある
13:17
水車小屋

昭和初期に対岸の松の内集落から導水に使用された時期もある水車を平成九年に復元
上段の水車路は今でも残り、当時の生活の様子を垣間見る事ができる
13:19
戸川神社

創立年月日は不詳
毎年十二月に例祭が開催
以前は織田神社と称されていたこともあり元禄年間の雨乞いの神事の言い伝えがあります
との事
石垣の村散策のスポットの一つだったので寄ってみた
思っていたより立派な神社でした
13:23
石垣の棚田

農山村の美しい原風景の形成、伝統・文化の継承など多くの活動が認められ、平成11年に日本の棚田百選に認定された棚田
先祖伝来受け継がれた貴重な棚田は現在も後継へと受け継がれている
また棚田を守る石垣の一番高い所は11mに達し、国内最高を誇る日本一の石垣である
特に自然石で の石垣は独特の雰囲気を醸している
13:30
日本一の石垣

棚田を守る石垣の一番高い場所は11mに達し、国内最高を誇る
特に自然石での石垣は独特の雰囲気を醸している
一番古い石垣は嘉永から安政年間に築かれたと伝わる
ちなみに多分だけど棚田を守る石垣としてはだと日本一なんだと思う
だってもったと高い石垣を観た事あると思うもん
でも立派だ…立派な石垣だ♪
13:33
石垣茶屋

ぐるっと村を一周して観光拠点
車を停めていた施設に戻ってきた
流石に腹減ったので食事をと思い、中に入ったが食べる物は無かった
せめて戸川米を買って帰ろうと思ったが売っても無かった…
何の為の施設ですか?
ちゅーちゅープリンが程よく溶けてたので此で飢えを凌ぐ…
13:40
石棚

戸川集落より約300m上流の日之影川に花崗斑岩の巨石が棚状に重なりあい美観を呈している事から石棚と呼ばれ、遡上する鮎もここが上限と言われているスポット
ロッククライミングスポットでもあるらしい
それはそうと川の美しさにテンション上がる
メッチャ飛び込みたかったけど我慢した
はぁ〜まだこんな素晴しいスポットがあったのね♪
因みにちゃんとしたと石垣の村散策のスポットの一つである
13:48
上戸川橋

上戸川
此処の石垣もまた美しい
惹かれました
こう云う田舎に住むのが夢でもあるんだよね
自給自足仕手みたい(*´ω`*)
13:59
西南戦争西郷隆盛通過の地

可愛岳で敗れた西郷隆盛は祝子川を経て、鹿川から新町に出て、高千穂街道を三田井に進む計画があった
併し延岡の官軍の進軍路と同路線となる可能性が強いので進路が変更になり、鹿川から山裏峠に向う

鹿川で日が暮れた為、前軍は鹿川峠を越え山裏側に野営、中軍に居た西郷は鹿川峠の八合目の山腹の崖の下に野営した
西郷が可愛岳突破以来、鹿児島到着まで野営したのは明治十年八月十八日祝子川の曲蔵谷と同年八月二十日のこの鹿川峠の二ヶ所だけである
西郷は二十一日の朝に野営地を出発し、鹿川峠を越えて山裏村小河内に出た
ここで土地の住民若者である高見高治に案内を頼み、急坂を下ること一里、この地に着いた
これが西郷隆盛が立ち寄った日之影町最後の地である
との事
14:03
天の古道

西南戦争西郷隆盛通過の地から再び坂にかかり、湾洞越の峻瞼をよじて赤水を経て、岩戸村の永の内に出た
案内の高見の生前の供述によると西郷は洋服を着ており、鹿川から此処まで徒歩や腰輿に乗せられ、険しい難所は兵が帯で引っ張ったり、後から押したりして進んだと云う事である
そんなスポット
14:09
名女石滝

岩肌を滑らかに滑り流れる斜瀑らしい
地図の案内通りに行ってみたら名女石川に架かる名女石橋に着いた
此処からは見れない模様…
14:18
大吹鉱山

1582年に武田勝頼の家臣高見但馬守安利が見立の五葉岳山麓大福山に銅の鉱脈を発見開山した鉱山
直接に鉱脈を発見したのは加賀津兵庫助と言われ、兵庫助が野宿した岩屋がある
当時の坑道を示す舗も豊後舗など四ケ所、神社・寺屋敷・酒屋跡・女郎の墓と言われるもの等がある
1583年から約三百年余り一盛一衰を繰り返し操業したが明治の初期ごろに閉山したと思われる
特に見所はない
14:26
神太郎水神

五ヶ瀬川の五つの水系に神武天皇の兄・五瀬命は部下を配置させた
守護を任せられた神太郎はじめ、太古国防の第一線に任ぜられていた命達を祀った社で、その建立の時代は不明であるが由緒は古く同時に各水系に配された水神様の内でも霊験あらたかな事でも知られる高千穂郷五水神社の一座である神社
14:27
水神の滝(仮)

三毛野命が鬼八退治に向かう途中大雨が降り、神に祈ると不思議なことに雨が止み「日の影(雲間の日射し)」が射し『なんと有難い日の影か』と語ったという事からその土地に名称の由来となる
そんな緑に囲まれた土地の真ん中に流れるのが、宮崎県の五大河川のひとつ、五ヶ瀬川がの支流として県北部に流れているのが日之影川
此処は神太郎水神の裏に流れるエリア
実に美しく透き通った川なんでしょう(*´ω`*)
14:35
神太郎岩

神太郎水神の祠の隣に鎮座する大岩
しめ縄が〆られているが詳細は不明
俺は神太郎が降り立った岩なんではないかと推測する
14:37
見立の滝(仮)

見立渓谷に向かう途中に見付けた滝
滝壺は透き通っている
惹かれる〜
惹かれるけど、こう云う神聖な感じがする滝には入らないと決めたのだ
観るだけで満足しておく
14:44
見立金刀比羅宮

八戸上では三王寺権現神社に合祀されていたものを八戸小学校下に移転した
大正五年四月一日付のお札がある事からそれ以前から祀られたものと思われる
上日之影には金刀比羅様を祀り始めた木札に大正六年八月吉日・金刀比羅宮奉二夜三日祈祷家内安全守護攸と記されている
大正初期頃、日之影から木材等を筏に組んで盛んに延岡方面に運んでいた
当時運送業をしていた国弘耕作氏が中心になり、筏師や舟乗りの安全を祈願する為に大正六年に金刀比羅宮より勧請し御社を造営した
波瀬の斉藤文夫氏宅の裏山は金毘羅山と呼ばれ、金毘羅様二体が祀られている
大楠の金比羅様は高い場所に祀られ、石の祠の中に木札が納められているだけである
14:50
黒谷の滝(仮)

黒谷橋傍に流れていたのでこう呼ぶことにした
段瀑である
15:00
見立渓谷

祖母・傾国定公園に源を発する日之影川上流部に広がる渓谷
思ってた様な所じゃ無かった
昼には到着してた予定だったのに十五時に着いちゃった
相変わらず寄り道ばっかりです💦
15:16
大分県突入

杉越ヶ峠
宮崎県と大分県の県境になる峠
別名・日肥峠より大分入り
杉越隧道内にて豊後國入り
隧道を抜けると大分県佐伯市の表記あり

15:21
名無しの滝

西山川支流に流れる滝
第四日之影橋に流れていた滝
三段瀑である
15:41
木浦

かつて日本四大銀山と呼ばた木浦鉱山が栄えた地区
墨付け祭りの地だ
あれ…出てきちゃった
どうせ来るなら祭り実行中に来れば良いものを…
兎に角既に祭りは終り、静まっている
それはさておき前回観れなかった所でも観光するとするか
15:45
蓮光寺

1582年、天目山で敗れ、滅亡した武田一族は流浪の途中、この地に辿り着き、木浦山一帯に鉱脈を発見し、錫の採掘を行う様になった
ある日、湧き出る清水を発見し、この地に寺院を建立
コンコンと湧き出る湧水にその名も日蓮宗久遠寺末法水山蓮光寺と命名した
以来この湧水は江戸時代には木浦山の飲料水として又鉱石を砕く水車の水など多くに利用され、木浦山に欠く事のできない湧水となり現在に及んでいる


此処はそんな蓮光寺湧水 源泉
豊の国名水十五選の一つに指定されている名水である
15:49
木浦鉱山 山神社境内

建築様式は流れ造り又は一間社流造りともいう
この建築の特徴は屋根は前の方が後ろより長く延びて拝殿を覆い、丁度屋根が一つの曲線となり、同じ流れに葺いているのでこの名前がある
日本的な自然さと荘厳さを兼ねた様式なので全国的に普及し、大多数の神社に用いられ、この建築様式が圧倒的に多い
時代が下がると荘厳さに加え、優雅さを表し、特に彫刻は宮大工が工夫を凝らしており、芸術的価値が極めて高い

この山神社は木浦鉱山の開発に関連して造営されたものと思われるが建築様式から推測すると彫刻の方法・製作技術・迫力など荘厳さに加え、洗練された優雅さを表している事から江戸時代中期の造営と思われる
宮大工が誰であったかは不明だが大分市鶴崎方面の宮大工の作品に酷似している
小型ながら本格的な神殿で佐伯南郡では見ることのできない極めて貴重な神殿である
町指定有形文化である
15:56
木浦名水館

唄げんかの湯
蓮光寺湧水を利用した入浴施設
館内には木浦鉱山の鉱石などを展示されている
流石に墨つけ祭り後
若者で賑わっている
椎茸飯が売っていたので購入

食堂で食す
ふぅ〜少し落ち着きました(*´ω`*)
16:15
まささん遭遇
名水館を出て、町並みを撮影
熊野神社の前ですみつけ祭りに参加していたまささんに遭遇
「今頃来たんかえ〜」
峠下ったら木浦だった旨を伝える
丁度熊が帰る所だと云うので熊ちゃんにも挨拶
「飲める?」と聞かれたので、呑めると答えると祭りに参加してないにも関わらず打ち上げに参加させてもらう事になった
16:22
鎌手🅿
つっちの同級生の御宅
車移動して停めさせて貰う
そして再びまささんと合流して〜
16:24
木浦公民館

飲み会に参加する
そして早速一杯
呑みながら話を聞くと、なんでも担ぎ手が居なくて、来てほしかったとの事
それなら頼まれたら断れない俺だから無理でも来たのに〜
まだまだ俺を理解してないな〜熊ちゃん
そんなこんなで呑む!喰う!呑む!呑む!
特に耶馬美人が美味くてグビグビ呑む
そして今回も猫ちゃんモドキ居た
ちょっとふくよかになったんでないかい?
十八時に〆
一本締めと云いながら一丁締め
でも飲み会は続く
18:33
鎌手家

木浦の重鎮・鎌手さんの父親が帰ると云うので移動
そのまま鎌手家で二次会
鎌手パパと呑んでたら自分の父親を思い出してしまった
生きてたらこうやって呑めたんだろうな〜とちとしみじみ…

そんな最初は鎌手ファミリーと仲良く炬燵を囲んでワイワイと呑んでたけど、一次会で泥酔してきた若者がなだれ込んできたらカオス
特に猫ちゃんモドキが先輩風をふかして、ちょっと不穏な空気
でも皆、酔ってても大人です

猫ちゃんモドキが帰ると一気に和やかになりました
そんなこんな鎌手家での夜
そんな思いがけない木浦での夜
おかしいなぁ〜
今日中に別府に帰ってる筈だったのにな〜

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