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ヤドカリ放浪記2013〜近江八幡-淡路路編〜

11月2日
AM6:45
道の駅あいとうマーガレットステーション

朝の散歩
裏に秋桜咲いてた
その間に何故か向日葵がチラホラ咲いてた
何気に左見たら向日葵畑あった
AM7:30
鯰江城址

鯰江氏・森氏によって自然地形である河岸段丘を利用して築城された中世の城郭
旧鯰江郷の豪族であった鯰江氏が荘園時代に興福寺領の被官となってこの地を治める
戦国時代となり佐々木六角氏の家臣として佐々木
六角義弼を奉じて織田信長の近江平定に対抗するが1573年に落城
この時空濠を増設し、遠見櫓を増築するなどの城の規模拡大
落城後、鯰江一族は全国各地に分散し、各大名に仕えたらしい
現地には石碑と案内板が建っているのみだ
AM7:56
石寺楽市会館

産地直売物産館
此処に日本100名城の一つである観音寺城址のスタンプがあるので捺しに来た

観音寺城址はまだ行った事のない城址だが、ルート的に先に捺す
AM8:15
瓢箪山古墳

滋賀県で最大規模を誇る古墳
古墳時代前期に造られた前方後円墳
当時大きな力を持っていた古代の豪族・狭々城山之君に関する古墳と考えられている
前方部に二基の石棺
後円部に三基の縦穴式石室を持つ
後円部中央の石室からは割竹形木棺が出土し銅鏡二面・鍬型石・刀等の多彩な遺物も出土
なんか頂上をグルッて周っただけ
AM8:50
桑實寺

滋賀で最も古い寺
比叡山延暦寺より百年も昔から創建されていた
俺は道を誤り登山者の如くリボンを目印に山道を登り辿り着く…

此処からが目的地である観音寺城址への入口
この寺は帰り道にゆっくりと参拝するとしよう
AM9:14
井戸跡

本丸のすぐ北に湧く井戸
大夫井戸伝承地とあり意味はよく分からん
井戸には今も綺麗な水が湧いている



すごく浸かり頃の井戸でしたw
AM9:16
観音寺城

1468年、六角高頼が観音寺山に築城
近江源氏の佐々木氏
後に近江守護六角氏の居城で小脇館・金剛寺城を経て六角氏の本拠となった
1568年、織田信長は足利義昭を奉じ上洛の為、近江に進軍す
六角承禎・義直弼父子が城に篭って抵抗するも支城の箕作城が落とされると城を捨て逃げ以後廃城となった

国指定史跡であり日本100名城の一つである
後で知るのだが観音正寺側から登った方が色んな史跡が見れるらしい…
こんなに苦労したのに本丸跡と井戸だけだったたもんな💦
次回はそっち方面から攻めてみよう
AM9:43
桑實寺

天智天皇の四女・阿閉皇女の病気回復を僧に祈らせたところ琵琶湖から薬師如来が降臨し阿閉皇女の病気を治して去り、それに感激した天智天皇の勅願により藤原鎌足の長男・定恵が677年に創建したと伝えられている寺
唐から持ち帰った桑の実をこの地の農家にて栽培し日本で最初に養蚕を始めた事が寺名の由来
本尊は薬師如来
AM9:44
大師堂

織田信長により建立された経堂
天台・伝教大師像が安置されていたが明治末期の風水害の為に大破
大正二年に再建
現在は三体の像が安置さはる大蔵経四百拾八巻が輪蔵に収納されている
AM9:48
影清の背くらべ石
平安時代の武将・平影清は晩年薬師如来を信仰し京都より桑實寺へ眼病平癒のため日参したと伝わり、その時に背丈を留めた石
AM9:51
鎮守三社
今宮大権現・祇園社ともう一社の三社
それぞれ大黒天・櫛名田比売・須佐之男命を祀っている
1661年建立
右脇の石垣に祠があるなぁ〜と思ったら小さな井戸だった
左の本堂横にも小さな社が…
弁財天でも祀っている社かな?
紅葉が綺麗♪

AM9:58
桑實寺本堂

国の重要文化財
室町時代初期に再建
桁行五間梁間六間一重入母屋造皮葺き
本堂内にも無料で入られ、御本尊を間近で拝観出来る
脇を護る月光如来に日光如来
更に不動明王・釈迦如来・大日如来と素晴らしい仏像が見放題♪
苦労して登って来た甲斐あったわ〜
寺務所のおばちゃんとも話が弾み良いスポットだ♪
AM10:33
安土城址

織田信長が天下統一を目標に1576年、重臣・丹羽長秀を総普請奉行に据え標高199mの安土山に築城させた平山城
岐阜城よりも京に近い便利性があり、北陸・東海の要所であった
現在は四方とも干拓により陸地となっているが当時は琵琶湖の内湖に囲まれ南のみが開けた地形であった
1579年、築城から僅か三年に日本で初めて天守閣を持つ城が一応の完成をみせた
併し天守完成から僅か三年の1582年、明智光秀の謀反により織田信長は京都本能寺で自刃
混乱の中、天守等を焼失
一夜にして落城した幻の城
城マニアにも人気の高い城址で日本百名城の一つである
AM10:35
大手道

安土城の正面玄関
天主・本丸に至る城内では最も重要な道
直線部分・横道七曲がり状・主郭外周路部分の三つによって構成されている
AM10:40
伝前田利家邸跡

大手道に面したこの屋敷は大手道正面の守りを固める重要な位置に占めしている
急な傾斜面を造成して造られた屋敷地は数段の郭に分かれた複雑な構成になっていた

大手道を防備する隅櫓も建っていたらしい
AM10:42
木樋
多聞櫓の床下から発見された木樋
両側を石垣で挟まれ水路にはめられたこの施設は上下二段からなるもので上段の箱樋で水を一端拾い更に下段の一木造りの樋を通して水を野外に排水
出土した木製箸や瓜・桃の種子・烏貝の殻などの遺物と埋まっていた土の分析からこの木樋は洗い場の水を排水する為の物と考えられる
AM10:49
摠見寺本堂

臨済宗妙心寺派の寺・遠景山と称す
安土城築城の際、織田信長が他所より移築した安土城本丸の西の峰に自らの菩提寺にしたと伝わる
1582年の天守焼失の大火災の時でも焼け残ったが1854年の火災により本堂など、ほとんどを焼失
現在は礎石のみが残っているのみ
その後、1932年に伝徳川家康邸跡に仮本堂を建てる
此処だけ別料金で特別拝観となっている
AM11:01
大手道の石仏

築城時に大手道石材に使われた
城普請に使用する多くの石材は近郊の山々から採取してたが石仏や墓石も含まれていた
至る所に石段に使われている…
こんなの初めて観たわ
AM11:05
武井夕庵邸跡

信長の右筆であった武井夕庵が暮らしていた屋敷跡
大手門から直線で上がってきた大手道は、この付近から七曲と呼ばれる曲線が連続する区間に差し掛かるポイント
AM11:08
織田信忠邸跡

織田信長の嫡男で信長の生前に家督を譲られた信忠住んでいた屋敷跡
大手道は百々橋口から上がってきた道と合流するポイント
AM11:11
森蘭丸邸跡・織田信澄邸跡

向かって左側が織田信澄邸跡
右側が信長が最も寵愛した小姓・森蘭丸の屋敷跡
AM11:12
黒金門跡

安土城中枢部への主要な入口の門の一つ
周囲の石垣をこれまで見てきた石塁や郭の石垣と比べるとかなり大きい石が使われている
門には菊紋・桐紋など金箔瓦などで施されていた立派な門だった
AM11:14
織田家四代の墓

信雄・高長・長頼・信武の墓が並び建つ
AM11:17
仏足石

大手道等に見られる石仏と同様に築城時に石材として集められ石垣に使われていた
昭和初期の整備で崩れた石垣から発見
中世の仏足石としてはかなり貴重なものらしい
AM11:21
護国駄都塔
1842年建立
信長公本廟の修復工事をした記念碑ではないかと言われている碑
AM11:22
二ノ丸跡

羽柴秀吉が二の丸に建てた廟・織田信長公廟がある
中には信長が着用した武具類が納められていると言われている

また一説には摠見寺に安置されていた盆山が埋められていると言われている
此処に安土城の日本100名城スタンプが設置されている
AM11:27
本丸跡

天主台を眼前に仰ぐこの場所は千畳敷と呼ばれ安土城本丸御殿の跡
天主台・本丸・帯郭・三ノ丸の各石垣に囲まれ南に向かって展望が開けていた
礎石上の柱痕からこの建物が高床式であった事
周囲の三ノ丸跡や天主取付台との渡り廊下で繋がっていた
当時の武家住宅に比べて本丸建物の規模と構造は特異性が伺える
また京都御所内の天皇住居である清涼殿と酷似した構造らしい
AM11:29
天主閣址

安土城の天主は1579年の完成から僅か三年で火災により焼失
その後は永い間、瓦礫と草木の下に埋もれていた
1935年に行われた発掘調査により厚い堆積土の下から往時そのままの礎石が発見される
天主は記録より地上六階地下一階の建物であることが判明しているが現在立ち入ることが出来るのは礎石がある地下1階の部分のみ
石垣上部に登り景色を一望

絶景かな絶景かな♪
AM11:56
元摠見寺

織田信長によって安土城内に創建された寺院
天主と城下町を結ぶ百々橋口の途中にある為、城内を訪れる人々の多くがこの境内を横切って信長のところへ参上した
本能寺の変直後に天主付近が炎上した際には類焼は免れるが江戸時代末期の火災に焼失
現在は大手道脇の伝徳川家康邸跡に寺地を移している
PM0:04
三重塔

山の中腹に見える三間三重の塔で屋根は本瓦葺き
室町時代の建物で棟柱に享徳三年建立・天文二十四年修理の墨書きがある
天正三〜四年に織田信長が甲賀の長寿寺から移建したものらしい
1604年豊臣秀吉の次男・秀頼が一部修理しており大正三年、突然三層目の屋根と一・二層の軒が崩落したので修復された
この先、楼門があるのだが何故か立入禁止
仕方ないのでUターンする

PM0:11
豊臣秀吉邸跡
伝羽柴秀吉邸主殿
秀吉が接客や主生活を行われていた建物
手前には式台・遠侍
奥には内台所等を設けていた
PM0:15
伝羽柴秀吉邸跡
大手道に面した屋敷で上下二段に別れている郭
此方の秀吉邸は下段になり櫓門が建っていた
一階を門、二階を渡櫓とする櫓門は近世の城郭に多く見られるが秀吉邸の櫓門はその最古たる門である
PM0:31
西側上段郭と竈跡

北西隅の上がり框と北東隅の虎口により東西の郭へ南虎口は石塁沿いの武者走りの西端にある石段を経て大手石塁西虎口にそれぞれ連絡できる様になっていた
竈は何度も作り替えがあったとみられ古い竈を壊して整地した後、新たな竈を作っている
二回目に作られた竈は壁を支える馬蹄形に並べられた根石と焚き口、堅く叩き締められた土間が残っていた
PM0:38
東側石塁北上段郭と虎口
一段高い郭が間近に迫りこの郭の南を画する石垣により遮られていた
石塁との間は約6m
石垣に沿って側溝が設けていた事から大手道に通じる通路であった事が分かる
大手道から東へ25mの地点に上段郭へあがる虎口が設けられ石段で上る様になっていた
東虎口から入った賓客をこの虎口から上段郭にたる建物へ招き入れたと思われる
PM0:44
石塁と大手三門
安土城の南口の石垣
この石塁が設けられた部分は東西約110mあり、その間に四ヶ所の出入口が設けられてた
PM0:50
安土城址ガイダンス休憩所

安土城址に入る前に立ち寄るべきだったスポット
マップとか資料が置かれていた
しかし天主閣を復元した模型は立派過ぎる
内装まで復元されており襖の絵等が特に素晴らしい
さてこれにてこの日の日本100名城巡り終了
移動に移る
PM2:28
京都府突入
いつも通り国道1号から京都入り
この道を使うって事は〜
PM2:42
MKボウリング山科

毎度お馴染みの500円バイキング〜♪
と思ったら50円値上げしての550円
それでも安い♪
ビックリしたのは主体のボウリング場は休業していたって事w
とにかくヘルシーに腹一杯食べる♪
PM4:47
navi亀岡SS
燃料給油
レギュラー149円/㍑だったので満タンにする
PM5:04
大阪府突入
難波付近に呑みに行きたいけど週末は駐車料金ハネ上がるんだよな〜あの辺り…
それに余りユックリと出来ないし…
今回は諦めるか〜等と考えながらの大阪入り
PM5:15
高槻樫田温泉

高槻森林観光センター槻の郷荘でひとっ風呂
脱衣所に入ってすぐ塩素臭が鼻に付く…
まぁ〜循環ろ過は覚悟していたので仕方ない

とりあえず昨日今日と100名城巡りで歩きに歩いて疲れ切った体を癒す為にジックリと浸かる
塩素の溜まり湯に仕方ないので浸かる
露天風呂で仕方なく一時間浸かる
PM7:41
兵庫県突入
でもやっぱり難波付近で呑みたいなぁ〜と思いつつもバイキングで腹一杯出し…
と後ろ髪引かれる思いで兵庫入り
PM8:33
ライフ春日野道店
喉、カラッカラなので胃腸に優しい乳酸ドリンクを購入
移動しながらグビグビいく!!
PM9:21
垂水IC
神戸淡路鳴門自動車道に乗り込む
明石海峡大橋を渡り淡路島入り
PM9:33
淡路ハイウェイオアシス

神戸淡路鳴門自動車にあるSA
広々とした展望台からは光輝く明石海峡大橋が一望
もう疲れ切ったので寝る
そんな日本百名城巡りな一日
歩き過ぎて足が筋肉痛です(。´Д⊂)

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