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私の芸術運動181本物

今日は炎天下の中1人文京区にある白山神社へ参拝に出かけました、上野に住んでいた頃1人でよく湯島、根津、千駄木、辺りを散策しましたが、白山神社は初めてだったと思います。

東大脇を通る暗闇坂を登り、懐かしい景色を眺めながら進んでゆくと、白山神社に向かう道が当時お金がなくよく水道局に呼ばれてお金を払いに歩いて行った道なのを思い出しました。笑

東大の周辺は街並みと雰囲気が良く今でもいずれ住みたいと思っている街の一つです、そんな街を通り抜け、私はついに白山へと辿り着きました、脇道に入り、2度ほど曲がった正面に鳥居と、白山神社と彫られた石碑が見えました、ここに来るまでにもいくつもの石碑を見ました、画家の高畠華宵、竹久夢二、長谷川利行、文豪森鴎外、芸術の街といっても過言じゃ無いでしょう、他にもたけくらべ、にごりえ、などを書いた樋口一葉や、今でも手彫りの額を制作している額縁屋の店主に話を聞いた時には少年時代に実際に棟方志功が額欲しさに店に来ていたのを見ていたと言います。

他にもこのエリアには今となってはかの有名な方々、つまり私の先輩方が人生の一幕をここで過ごされていたのです、同じこの町で息をして、今私は絵を描いて生きているという事実だけでも息が詰まりそうなほど興奮いたします。

そんな思いを馳せながら鳥居の前で一礼し、鳥居をくぐるととても清涼な空気が立ち込めていました、私はパワースポットなどは全く詳しくありませんしそう言う概念で神社に行くわけじゃありません、ただ物心ついた頃から好きだったのです、絵もそうです、私は昔っから好きなものが変わらず、ずっと同じ様な心で生きているのです、彼女には少年の様だとよく言われますが間違いないです。笑

他にも読書や、映画鑑賞、散歩、本当に子供の頃から何も変わらない自分に記事を書いていてびっくりするほどです。

そんな自分のこれまでの人生に感謝を込めて二礼二拍手一礼をして私はその場を後にしました、鳥居を出て振り返り一礼し私はまた街を見ながら上野方面へと向かって行きました。

家を出て二時間ほどのささやかな旅でしたが、二時間とは思えないほどいろんなことを考えながら歩きました、時計を見た時にまだ四時だったのを見て時計がずれているのでは?と疑うほどに。

懐かしい土地の探訪と、今後の絵の構想、自分が画家としてどう言う人生を歩むか?人間としてどう生きて行くか?人生の岐路に差し掛かった今の自分とこれからの自分、新しい生活の種、今回の散歩で焦らず時を待ちながらもゆっくり自分のペースでしっかり歩いて行く事が大切だなと感じています、自分が自分に掛けた制約を改めて自分がほぐしていく事の大切さを学びました。

こう生きてゆかなきゃならないと自分で自分の事を律するのも大切な過程です、しかし、それがただ一つの答えというわけでも無いのです、もっと柔軟に、その時その時の自分の判断に委ねる、そのためには!今この瞬間を自分がしっかり生きる事です、そうすれば未来の自分もしっかりやってくれるはずですから。

私はあまり人に好かれる様な人間じゃありませんが、私は自分が好きです。

お金も無いし、社会的な地位も底辺です、社会的に今後の自分の人生に見込みはあまり無いかもしれませんが、私はそれでもどうにかして生きていくのです、むしろ生かされているとさえ感じてます。

だから私は神社に感謝を置きに行くのかもしれません。

会ったことはありませんが、画家の先輩方も絵を描きながら感動して、感謝していたと思います、社会的には辛かったかもしれません、それでも自分の筋は曲げなかった、むしろ曲げる事ができなかった人達でしょう、私もそんな数多の芸術家の内の1人です。

私の絵画は正直今の芸術の業界には見向きもされないでしょう、お金も生み出せないし、人を呼び込む力もありません

しかし芸術としては本物です。

何をもって本物か?と言われるとちょっと困りますけども、一つ理由を挙げるとするならそれは、純粋だからです。

私の幼少時代に感じていた事を、大人になった今もより深く感じ取れています、子供に嘘が無いのと同じです、つまり本物なのですよ。

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