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皆さん、こんばんは。
株式会社廣起の代表の廣木です。

前回、noteを書いてからあっという間に3ヶ月が経ちました。日常生活でよくあることですが、「昨日、何をしていましたか?」と聞かれても、すぐに思い出せないことが多い廣木です。「記憶力が低下しているんじゃないですか?」と気にかけてくださる方々もいますが、至って元気です。

11月末に2泊3日で、鹿児島県に旅行に行きました。鹿児島出身の仲間が最高のおもてなしをしてくれて、尊敬できる仲間と一緒に旅ができて、とても幸せでした。今回、鹿児島に行くにあたり、2024年に一番行きたかった「知覧特攻平和会館」にも行くことができました。

第二次世界大戦の終盤で、日本が最後の逆転を賭けて行った「神風特攻作戦」。平均年齢21歳という若さで、日本国のために、大切な命を犠牲に敵陣へ体当たりする作戦です。

その特攻作戦に向かう直前に、大切な両親や家族や友人に、手紙を書いた若者たちの記録が残されていました。78年前に書かれた、死を決意した若者の数多くの手紙がそこにはあったのですが、どの手紙も共通していたことは、自分以外の大切な誰かのことを想って書かれたものということでした。そして、その想いに触れ、自分の生き方を見直すきっかけになりました。もっとチャレンジしよう、もっとみんなのために命を燃やそうと。

そんなことを考えながら、「人生の最後に自分がこの世に残したいもの」とは、一体なんだろうと考えました。人によって、答えは様々だと思いますが、

僕は、
「僕と出会ったみんなの心に僕と共に生きて、幸せだったと思える記憶が残せたら本望なのかもしれない。今時のSNS的な言い方をすると、みんなの心に、僕の足跡を残したい。」と思いました。

だいぶ真面目な話なのですが、冒頭の昨日のことすら思い出せないことがあるという話に少し戻ると、先日、実家に帰省したタイミングで、実家の屋根裏部屋に置いてあった小学生の時から書いていたサッカー日記を見つけ、読み返していると、当時の記憶が鮮明に蘇りました。

今から約20年以上も前の記憶なのに、当時の気持ちや状況をビデオテープで巻き戻しをして、再生して見ているような感覚になりました。そして、その当時の気持ちに立ちかえると、沢山の方々に支えられて、今の自分があることに感謝の気持ちが生まれたり、後悔のない選択をするために、自分の心に正直に生きる、そして、これだと決めたことは、全力で挑戦しようと再認識する機会になりました。

たった1日前のことすら思い出せないこともあるのに、自分の過去の記録を見て、20年の月日が経ったとしても、当時の自分の記憶(映像や感情)を思い出すこともできると思うと、記憶のメカニズムが不思議で調べ始めていました。

記憶(忘却)に関して、有名な話で、エビングハウスの忘却曲線というものがあります。エビングハウスの忘却曲線とは、ドイツの心理学者であるヘルマン・エビングハウスが、人間の長期記憶について研究した結果、提唱された考え方です。

この研究では、意味のないアルファベットを記憶させた後、どれだけ記憶を保持できているかを実験したもので、20分後には42%を忘れている(58%を記憶している)という結果が出ています。実験では、人間は学んだことを案外忘れやすいため、反復して復習したり振り返ることの大切さが研究データで提唱されました。

ある情報をはじめて覚えるのに10分かかったが、1時間後再度覚えるときには5、6分で覚えられるように、反復して復習することで、覚える時間を節約し早く記憶できるようになります。一夜漬けで覚えようとしても記憶が定着しないのは、覚えた瞬間から忘れていくのが理由で、だからこそ記憶するためには繰り返し学習することが重要です。

そもそも、人間は忘れやすい生き物で、20分後に42%も忘れているならば、僕みたいに、昨日の記憶が思い出せないことも理解できます。

また、記憶の科学によると、忘却は、「劣化」および「干渉」という2つの理由で生じるみたいです。劣化とは、いったん記憶したことを後から使わないと、時間とともに薄れていくことを意味します。もう1つの干渉とは、類似の情報が記憶されているときに、類似情報が邪魔をして、呼び起こしたい記憶にアクセスしづらくなることを意味するようです。

記憶について、もう少し調べてみると、「どんな記憶が残りやすいか」という記事や論文も出てきました。どうやら、大きく分けると4つの記憶に分けられるみたいです。

①意味記憶
②エピソード記憶
③手続き記憶
④感情記憶

そして、これらの記憶は密接に繋がっていて、たとえば、中学生のときの試験勉強のために何かを覚えるときに、単に事実を覚える(①意味記憶に留める)だけでなく、それを先生が教えてくれたときに話してくれた面白い出来事(②エピソード記憶)と繋げて思い出したり、その事実を何度もノートに書いて覚えたり(③手続き記憶)、教わった時に褒められてとても嬉しかったり、逆にすごく叱られて辛かったりしたことと一緒に覚えていたり(④感情記憶)するのが、一例です。

冒頭での僕が20年前の記憶を思い出せた理由は、4つの記憶の観点からすると、サッカー日記を書いて何度も見返していたことで、記憶が定着しやすい状態(手続き記憶)であったのに、加えて、その当時のサッカーの試合での出来事(エピソード記憶)やそのときに自分が心で感じたことも書いていた(感情記憶)ことが、記憶を鮮明に蘇らせることに繋がっていたと納得できました。

人間は、五感を使って、脳に記憶を残しているとも言えますが、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚のなかで、最も記憶に定着しやすいのは、嗅覚つまり匂いです。たとえば、昔付き合っていた恋人の香水の香りを嗅ぐと、その人との記憶が鮮明に蘇るというのを聞いたことがありますが、嗅覚は記憶と密接に繋がっているようです。

僕自身は、畳の部屋の匂いを嗅いだり、芝生の匂いを嗅ぐと、祖父母との記憶を思い出したり、サッカーで遊んでいた頃の記憶が急に蘇ってくる体験をしたことが何度もあります。

また、最近は、様々な研究が進む中で、企業のコミュニケーションやマーケティングにおいて、「匂い」や「音」を活用し、お客様に「体験」を提供する中で、「感情」に働きかけ、記憶に残るサービスを仕掛けている企業も多々あります。少し話が逸れて、「匂い」や「香り」とマーケティングの話になりましたが、つまり、僕らの記憶に残るものとは、様々な要因が重なり合っているということです。

「人生の最後に自分がこの世に残したいもの」とは、「僕と出会ったみんなの心に僕と共に生きて、幸せだったと思える記憶が残せたら本望」という話に戻すと、

みんなの心に、僕と共に生きて幸せだったと思える記憶を残すには、「僕とともに経験したこと」、「僕とともに体験したこと」、「僕とともに感じたこと」、「僕とともに生きたみんなのこと」を、僕が記録していくことが大事だということに気付きました。

神風特攻隊のことも、あの手紙が残っていなければ、あの平和会館をつくらなければ、あっという間に忘れ去られてしまう。僕らは、たった1日でほとんどのことを忘れることができてしまうから。

最近、3回忌を迎えた、僕の母方の祖父も亡くなる数年前から、自分の生きた証、足跡を残そうと、必死にパソコンを使って、宮澤家の歴史を作って、なくなる数ヶ月前に、家族にプレゼントしてくれました。祖父の作った宮澤家の歴史を見返すと、祖父との思い出が蘇ります。

僕らは、すべての記録を残すことはできないけれど、

みんなと行った旅行
みんなと食べた美味しいご飯
みんなと観て泣いた映画
みんなと必死になってカタチにした仕事
みんなと眺めた星空

少しでも、幸せを感じた出来事をきちんと記録しておくことで、僕がもし亡くなったとしても、みんなが僕とその記憶を思い出すことができる。

旅行に行くと、ご当地のキーホルダーとかお土産をなんで買うのかなと思っていたけど、一緒に過ごした大切な旅行の記憶を思い出せるものだと思うと、お土産って少し尊いなと思えました。

誕生日に、欲しいプレゼントをもらうより、手紙をもらうほうがなぜか嬉しいのは、その人の気持ちと僕の気持ちが重なり合って、僕の記憶や心に深く残るからなんだとも思えました。

誰かと共有した大切な出来事や経験は、足跡を残すことで思い出せる。足跡を残すことで、とても忘れやすい僕らに、もう一度、幸せな気持ちを届けてくれる。

僕は、みなさんの記憶に少しでも足跡を残せる生き方をしていきたい。
「あのとき、廣木と出会ったから、今がある。」
「あのとき、廣木と一緒に仕事をして、幸せだった。」
「廣木と一緒に、こんな経験をできたことが財産だ。」
そう思っていただけるような生き方をこれからもしていこう。

この記録も、僕の足跡。


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