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初めての挫折


〜 意識の変化 〜

小学5年生に入り、そこからサッカー漬けの日々に変わっていく。

まずは、
セレッソ大阪のサッカースクールに入った。

狙いとしては、

①6年生でセレッソ大阪U12スクール選抜に入る。
②中学生でセレッソ大阪U15に入る。

上記の目標があったからだ。

それにより5年生からは、
地元のサッカーチームの練習を終えた後、
セレッソ大阪のサッカースクールの練習に行く事になり、週4回程の練習から週6.7回の練習になった。

休日も一人で公園に行き、ドリブルやリフティング、壁に向かってのキックの練習をするなど、
変わっていった。

(写真左)
(写真右、高知時代の監督西村昭宏さん)


〜 初めての大怪我 〜

運動能力が急速に発達すると言われるこの時期に
(ゴールデンエイジと呼ばれる)練習量が劇的に増えた事で、サッカーの実力はとても上達した。

そんな順調な頃、
地元のサッカーチームで大阪府の大会へ
後2勝すれば出場できるチャンスが訪れる。

(それまでは地区の大会止まり、大阪市の大会へ行けてもすぐに負けてしまっていた。)

大阪市ベスト16をかけて試合が行われた。

前半に先制点を自分が取り、
1-0で迎えた後半だった。

相手選手の振り下ろした肘が
鼻を直撃したのだ。

蛇口をひねったように鼻血が止まらない、、、

感じた事のない激痛が走り、
涙が止まらなかった。

止血の為にベンチに戻った自分に
「大丈夫か?行けるか?」と、
監督に言われ、こう答えた。

「行かれへん!!無理!!」

そう泣き叫けんだ。笑
弱音を吐いてる間に、1点を決められる。

1ー1、大阪府の大会まで後2勝。
こんなチャンス、小学生時代でもう来ない。

無理やり止血をされ、
監督に「行ってこい!」と、送り出させる。

痛みを堪えながら、懸命に走り、
そのまま1ー1で後半が終了。

そこから、PK戦が始まった。

「後は、仲間のキッカーとキーパーに任せて休もう。」
そう安堵した時に監督がこう言った。

「キッカー1番ひろき!キーパーひろき!」

「!?!?!?」

驚きが止まらない。笑

両鼻に詰めたティッシュが赤く染まり、
何度も何度も交換する中、、、

今、冷静に考えると無茶苦茶だと思う。笑

しかし、負けん気が強い自分は
なぜか「やってやる!!」と、スイッチが入った。

そして先行、キッカー1番目は奥田裕貴。

盛大なホームランで枠外。
失敗だ。

そして監督からこう叫ばれる。
「全部お前が止めたらええねん!!」

当時、単純な自分は、
「あっ!そっか。」と、思い
その後4本全てを止め、ベスト16進出を果たす。

だが、止血はできたものの鼻は腫れたままだった。

「明日、朝起きて腫れてたら病院へ行こう。」
そう母に言われ、その日は就寝した。

朝起きた時、いつものルーティン通り
寝ぼけながら洗顔をしていた時だった、
鼻に手があたると激痛が走る。

「えっ!?」
恐る恐る鏡を見ると、、、

鼻が異常なほど腫れ上がり、

まるでマリオだった。笑

それを見た母も発狂し、直ぐに病院へ。

診断は、"鼻骨陥没骨折"。

腫れでわからないが、鼻の骨は完全に倒れ、
ぺちゃんこになっている状態だった。

数日後に手術をした。

当然、次週の大阪市ベスト8をかけた試合
(勝てば大阪府大会への出場)を欠場。

チームも敗れ、手術後の痛みと悔しさで
泣いたのを覚えている。

(写真中央)
(抱きついてるキーパーは全日本プロレスの岡田佑介選手)


〜 目標達成 〜

小学6年生になる直前、
一本の電話がかかってくる。

「セレッソ大阪U12スクール選抜に選ばれました。」

嬉しすぎて飛び跳ねた。

思い返すと6年生までで
1番嬉しかった事かもしれない。

そして、さらに6年生から
サッカー漬けの毎日が始まる。

地元のチームの練習・試合・遠征
セレッソの選抜の練習・試合・遠征

そして、
セレッソのスクールの地元の長居校の練習では、
飛び級で中学生の部に入る。

選抜の選手が多くいたので、
兵庫県の尼崎校まで週2日通うようになった。

練習量も増え、
レベルの高い中で練習するようになり、
刺激的で、実力も上がり毎日が楽しかった。

ただ、今考えると
完全にオーバーワークであっただろう。

自分の身体がついて行けてない事に
この頃は気づかなかった、、、

(写真右から2番目下側)


〜 初めての挫折 〜

中学生も近づいて進路を決める頃、

・セレッソ大阪U15
・セレッソ大阪U15西
2つの練習参加と、

・ガンバ大阪U15
・ヴィッセル神戸U15
にもセレクション参加を申し込んでいた。

その時は、
「その内のどこかのチームに行ける。」
勝手にそう思っていた。

しかし、
練習参加・セレクションが始まる大切な時期に
足の疲労骨折をしてしまった。

全ての練習参加・セレクションの日に間に合わない事になったのだが、
コーチや両親が各チームに事情を伝えてくれ、
治り次第すぐ練習参加・セレクションの最終選考まで免除と考慮してもらった。

1ヶ月程で骨折が治り、
すぐに全てのチームに練習参加・セレクションを受けた。

結果は、、、全て不合格。

"絶望"この言葉に一番近い感情だった。

サッカー選手でいる事は、
常に人に評価され、選別される。

初めてのこの経験が、
サッカー選手として必要とされていない。

まるで今までのサッカー人生を
否定されたかのように感じた。


〜 進路決定 〜

落ち込む自分を他所目に、
コーチや両親はチームを探してくれた。

そこで、ガンバ大阪門真Jrユースを紹介してもらい、セレクションに参加。

そして、無事に合格する事ができ、
中学生時代のチームが決まったのだった。


次回、
ホラーマンと呼ばれるほど骨折を繰り返す
大怪我だらけの中学生時代へと続く。

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