ホラーマンと呼ばれた中学生
中学生に入り、学校が終わるとダッシュで帰宅。着替えを済ませ、母が作ってくれた軽食を猛烈なスピードでかきこむと、駅に向かった。
自宅からガンバ大阪門真Jrユースの練習までは、
片道1時間程かかる。
しかし、サッカーの為なら
1時間の移動は全く苦ではなかった。
中学生時代、もっとも苦しんだのは怪我だった。
怪我というのもそのほんどが骨折だ。
普通の人からすると、
骨が折れる事はそう無いだろう。
しかし、この時は自分でも恐ろしいほどに
骨折を繰り返していた。
その数なんと、、、8回。
ホラーマン、ポッキー、ポキポキ君など、
そんな数々のあだ名をつけられた。笑
骨折→完治→サッカーを始めると骨折
この繰り返しだった。
病院で骨密度の検査をした所、
骨粗しょう症の一歩手前と診断され
「激しいスポーツは勧めない。」
そう医者に言われる程だった。
結局、3年間の中で1年は怪我をしていた。
そんな中学生時代だった。
(写真右)
(写真左、ガイナーレ鳥取時代チームメイト原口拓人)
〜 思考と身体の関係性〜
骨折を繰り返す要因は、、、
・小学生の頃からのオーバーワーク
・ストレッチや湯船に浸かるなどのケア不足
・好き嫌いが多く、食が細い事での栄養不足
・怪我をして復帰する時のリハビリ不足
など、様々な要因があったと思う。
しかし、今振り返った時に
1番大きな要因となっていたのは"思考"だったのではないかと思う。
人間は、思考が身体にも大きく影響する。
この時期の自分の思考は、
「僕の骨は弱い。」
「またすぐ骨折する。」
「骨が細く、脆い。」
そういう思い込みや、自分自身に対するイメージを常に持っていた。
僕の好きな自己啓発本に
「ザ・シークレット」 "引き寄せの法則"
という本がある。
思考は現実化する。
今、目の前で起きている事は、
全て自分の思考が引き寄せている。
そのような話が書かれている。
この本を読んだ時、当時の自分は、
自分で弱い自分を作り上げていのだと思った。
「ポジティブな思考をした方が良い。」
この言葉がよく言われ、
実践した方が良いとされるのは、
この事が一つ関係していると僕は思う。
よく「ポジティブだね!」と言われるのは、
この経験と知識、考えがあるからこそ
常にポジティブに生きられているのだと思う。
〜 全国の壁 〜
中学1年生の時は、
主にサイドハーフを主戦場にしていた。
だが、2年生の夏、
怪我の影響で身体能力がほとんど成長せず、
その頃まで得意であったドリブル突破は
武器ではなくなっていた。
それを見兼ねた監督に、
「サイドバックをやってみろ!
出来なかったらスタメンでは使えない!」
そう言われサイドバックをした。
その時から今までずっと
自分の得意なポジションは
サイドバックになったのであった。
怪我で離脱ばかりだったが、
復帰する度にスタメンで使ってくれていた。
中学3年生春、
大阪府予選を突破し、関西大会まで来ていた。
そんな時にまたも、
腕2本の骨折で手術する事になり、
怪我で出場出来なかった。
チームもベスト8で敗退し、
全国大会出場を逃した。(4位以内が全国大会出場)
悔しさのあまり、病室で1人泣いた事を覚えている。
そして、中学最後の大会、
関西大会ベスト8まで辿り着いていた。
全国大会まであと1勝。
しかし、京都サンガJrユースに0ー7で敗退した。
目標を断たれただけでは無く、
まざまざと実力の差を見せつけられ、
悲しいという感情よりも、唖然としていた。
(写真中央)
(写真4番、元G大阪、元ガイナーレ鳥取 稲森克尚)
〜 進路決定 〜
「高校では、必ず全国大会へ出場したい!」
そう思い、全国大会へ出場する可能性が高い高校を探した。
最初は大阪で探していたが、
強豪校が何チームも拮抗している事もあり、
毎年全国大会へ出場するチームが変わる。
そんな時、
姉が通っていた 和歌山県" 初芝橋本高校 "が、
全国大会へ行く可能性が高い事を知った。
夏の全国大会で、自分が中学生3年生の時に、全国大会準優勝。
毎年、近畿大学附属和歌山高校との2強で
全国大会を争う、全国常連校。
姉の友達でサッカー部の人や、
地元チームで先輩のサッカー部の人に
話を聞いて、入学を決意した。
セレクションを受け、、、合格。
初芝橋本高校への入学が決まり、
「高校時代で全国大会に出場する!」
そんな期待が膨らんでいた、、、
だが、この時は中学時代の1年の怪我の影響が、
高校時代も続く事になるとは思いもしなかった。
次回、体力がチームワースト1位、地獄の走りTRに苦しむ初芝橋本高校編へと続く。
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