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プロサッカー選手、農家の右腕になる。

題名は自分が経営を始める事を決意し、最初に勉強する為に買った本「東大卒、農家の右腕になる。」から頂きました。

全ての物語を話すと長くなりますので割愛しながら、現役プロサッカー選手である自分が、「希少種マンゴーパルメロ」を取り扱う株式会社OKUDAの代表取締役となった経緯を話させて頂きます。

     〜経営者の父への憧れ〜

父は大手の電力会社の下請けの、電気工事を専門とする、社員、外注の方を含め6人程の会社を30年以上経営していました。
6年前に父が肺がんで他界し、お通夜に喪主として参列した時、そこには300人程の方が参列し、父の偉大さを実感しました。
お通夜の食事の席でどの席に挨拶に行っても言われた言葉が2つあります。
「お前が息子か。いつもうちの息子はJリーガーだと嬉しそうに自慢していたぞ」
「お前のお父さんは最高の職人だった」と。

そんな言葉と沢山の方に惜しまれるお通夜を経験し、こんな事を僕は思いました。
「これからも精一杯努力してプロサッカー選手を続ける事、そしていつかは経営者になり、父のような沢山の方に慕われ、尊敬される男になりたい」と。

そんな想いを胸にその年に入団が決まった現J3のテゲバジャーロ宮崎に加入する為に、宮崎に行きました。

   〜マンゴー農家との出会い〜

自分が実の父と母の他に唯一お母さんとお父さんと呼ぶ方が宮崎に出来ました。
それがパルメロを栽培するマンゴー農家の黒木さんご夫婦です。
最初は知り合いの方から黒木さんを紹介して頂き、農園に伺いました。
最初お会いした時は「お前は誰や?何しにきたんだ」そう言わんばかりの仏頂面で愛想もよくありませんでしたが(笑)、農園を案内して頂き、黒木さんの職人としての姿勢と黒木さんの作るマンゴーに魅了されました。

そこから可愛がって貰い、何度も農園に伺ったり、食事に連れて行ってもらい、僕の誕生日当日も黒木さんの家族が祝ってくれました。

本当はお父さんが他界した最初の頃は、サッカーを無我夢中でしてる時以外は毎日辛かった。
苦しかった。
大学から県外で一人暮らししていた自分は、年に父に数回しか会えなかった。
もっと一緒にいれば良かった。
お酒は好きじゃないしプロ選手なのでお父さんとのお酒も断ってたけど、たまには一緒に飲めばよかった。
そんな後悔を持っていた自分は、黒木さんと過ごす日々がかけがえないものになっていました。
そしていつしか黒木さんの事を第二の父、だと想い、「お父さん」、「お母さん」と呼んでいました。

      〜パルメロとの出会い〜

ある日農園に遊びに行った時に黒木さんからこう言われます。
「おくだー!びっくりするくらいあもーて(甘い)てげ(すごく)美味しいマンゴーがあるけど食ってみるか?」と。
自分は「はい!」と即答し、そのマンゴーを初めて食べた時、芳醇な完熟マンゴーの香りと、濃厚な甘み、口の中でとろける味わいに驚き、自分はそのマンゴーの虜になりました。

「これはなんですか?!」と驚きながら聞くと、
黒木さんは「日本で作られるほとんど全てのマンゴーが、アーウィン種っていう品種が作られてて、太陽のタマゴもその品種やけど、それとは全く別の品種で、パルメロって言うやつじゃ」と。
それが現在取り扱っている希少種マンゴー「パルメロ」との初めての出会いでした。

     〜お父さんの悩み〜

僕は聞きました。
「なんでパルメロは有名じゃないんですか?」
そうすると黒木さんは言いました。
「じゃっとよ(そうなんだ)!せっかく良い物が出来たのに、値段もつかんし、認知も広がらんくて困っとるんよ〜」と。

詳しく話を聞くと、約20年の研究、栽培を経てようやく納得する物が誕生したが、このマンゴーを生産してるのは今6人しかおらず、数も1000玉程しかない事から現在の市場流通では、こんなにも美味しいマンゴーが数の少なさや知名度の低さによって、正しい価値で取引されず、認知が広まらない現状がありました。

  〜農家のお父さんからの唐突な誘い〜

正直この話を聞いて憤りを感じました。
マンゴーの栽培は本当に過酷です。ハウスの中の温度は非常に高く、夏場に関しては40℃になる事もあります。
サッカー選手の僕ですら数分いるだけで苦しい環境で、60代の農家のお父さんやお母さんは、過酷なマンゴー栽培を行い、お父さんはいつもシーズンになると足を引きづり、肩も上がらなくなり、お母さんは首を痛め、自分が治療院を紹介する程です。

「このままでは、農家の方々が多くの時間と愛情をかけて作り上げたこのパルメロが、どういった想いで作られ、どれだけ素晴らしいものなのか、誰にも知られないまま消えて行くのではないか。」

そう思った自分は明治大学商学部を卒業しマーケティングなども多少学んでましたので、お父さんに自分の考えを伝えました。

するとお父さんは真顔であっさりとこんな言葉を僕に言いました。

「なんかよくわからんけど、お前がやれ!このパルメロお前が売れ!」

?!?!?!?!?!?!?!?!?!
僕はびっくりして何も言えず一瞬時が止まります。そして僕は言いました。
「いやいや僕はプロサッカー選手でサッカー以外した事ないんで無理ですよ!」
と笑いながら言いました。

するとお父さんはまた真剣な顔で言います。
「色んなやつや業者が来たけど信用できんやつには預けられん。お前なら信用できる。やってみたらええんや。」

そんな真剣な眼差しと信頼されている言葉に対して僕はこう言います。
「一旦真剣に考えさせて下さい。色々な人にも相談してみます。」

〜プロサッカー選手、農家の右腕になる決意〜

誰も知らない宮崎に1人で来て、父が他界した事でプライベートで喪失感に苛まれる中、自分を助けてもらった農家のお父さん達が困っている。
自分にできる事ならなんとかしてあげたい!

でも…
「プロサッカー選手とパルメロの販売の両方を両立できるのか?」
「パルメロの販売をする事でプロサッカー選手が疎かにならないのか?」
「サッカーしかした事がない自分がパルメロを売り切る事ができるのか。」
沢山自問自答しました。

プロサッカー選手は基本的に、ほとんどの日が午前中の一部練習で、大体のチームが平均1時間30分以内で終わります。
午後は個人で筋トレなどの自主トレ、コンディションを整える為のケアをします。
しかしその時間も数時間で、毎日筋トレなどの自主練ができるわけではありません。(一般論です)

もちろんプロサッカー選手は過酷な環境であると思いますが、時間的な余裕は圧倒的に多いです。

なので休みの日やオフシーズン、そして午前以降の時間を有意義に使えば、なんとか両立出来るのではないか。
いや自分の甘えと非生産的な時間を無くせば両立出来る‼︎
農家さんの20年かけた想いを形にしてあげたい!
そう想い農家の右腕になる事を決意しました。

 〜株式会社OKUDA、奥田商店の設立〜

ちょうど黒木さんからの相談を受けた時、母からも相談を受けます。
母は父が亡くなった後、父の会社「有限会社奥田電気」を継ぎ社長になります。しかし会社は電気工事の専門職である為、資格のない母では出来ない事も多々あり、母からこう言われます。
「ひろ、もうしんどくて会社を畳みたい」

実は父が癌で入院し、そう長くはないかもしれないと知った時、サッカー選手を続けるか、辞めて父の会社を継ぐか迷いました。
しかし父のような電気工事の資格を取るには最低7年かかる事を知った事、さらに亡くなる前の年末にJ3のガイナーレ鳥取をクビなり、チームを探し、テゲバジャーロ宮崎からオファーが届き、プロサッカー選手が続けられる事を父に報告すると、
「あー良かったなぁ〜。お前はサッカー出来るとこまでやるんやぞ」
と痛みで苦しんでいた父の最後の安らかな笑顔を見てプロサッカー選手を続ける決意をしました。

そんな時に母からの相談を受け僕はこう思います。
「心残りだった電気工事の会社を継ぐ事は出来ないが、パルメロの事業で父の会社を残す事ができる。」

そうして父の会社を残し、電気工事部門は廃業、
新規事業としてパルメロの販売を目的とした会社に定款を変更しました。

いつも会社名を言うと知り合いの方に言われます。
名前適当すぎじゃない?!今時の名前じゃない!
(会社名:株式会社OKUDA、屋号:奥田商店)

僕はいつも笑って言います。
「考える時間ありませんでしたー!」と。

本当は父の名前を残したい。ただそれだけです。

亡くなる1年前の父とのツーショット

   〜今まで明かさなかった理由〜

自分が今まで4年間株式会社OKUDAを経営している事を公表しなかった理由は2つあります。

1つ目は、プロサッカー選手なんだからサッカーに集中しろと言われたり、自分自身もそれを言い訳にしたくなかった。

2つ目は、宮崎のレジェンド農家6人が、宮崎マンゴーのブランドを守る為に栽培・研究し、20年かけて誕生したパルメロを、自分が表に立ちスポットライトを浴びるのではなく、農家さんの黒子役に徹したかったからです。

そこで自分は母に代表取締役に就任して貰い、経理は任せましたが、その他の事はほとんど自分が行い、実質的な代表として活動をする事を選びました。

昨年の12月に正式に代表取締役に就任しましたが、なぜ今公表するかと言いますと、

一つ目は、3年間プロサッカー選手と経営者を両立し、もちろん怪我や実力不足で試合に出てない期間もありましたが、J3優勝争い時も多くの試合に出させて頂いたりするなど、3年間プロサッカー選手と経営者を両立できた実績が出来たのではないかと思った点。

2つ目は、農家さんだけを表に出しすぎて、心のないお言葉を農家さんが受ける事があると、農家さんからの相談を受けた点。

この2点を含め、なにより自分自身がこの3年間でどちらに支障を出す事なく、甘える事なく、プロサッカー選手、経営者、両方とも精一杯ベストを尽くす事が出来たと、誰に何を言われても自信を持って胸を張って言えるようになった事が、今日の公表に至りました。

       〜最後に〜

長くなりましたが最後に、、、

日頃よりご支援、応援してくださるスポンサー様、ファンやサポーターの皆様、いつも支えて下さり本当にありがとうございます。
今後もチームに所属させていただける限り、チームの発展の為、J2昇格という目標を達成する為に自分の全てを賭けてベストを尽くす事を誓います。

パルメロを購入して下さるお客様、毎年パルメロを楽しみにしてくださり、食べて頂き本当にありがとうございます。
今後も農家さんと協力し、パルメロを食べた皆様が少しでも笑顔になり、幸せなひと時を感じて頂けるように精一杯精進致します。


今後もプロサッカー選手として経営者として、一切の妥協する事なく精一杯やっていきますので、
今後も温かく見守り、応援して頂けると幸いです。

テゲバジャーロ宮崎プロサッカー選手 奥田裕貴
    株式会社OKUDA代表取締役 奥田裕貴

希少種マンゴーパルメロ公式HPはこちら↓

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