奥田裕貴

大阪府出身31歳のプロサッカー選手。 プロサッカー選手が経営者になった理由、子供の頃か…

奥田裕貴

大阪府出身31歳のプロサッカー選手。 プロサッカー選手が経営者になった理由、子供の頃からのルーツや、自身の考えについてnoteに書いていこうと思います。よろしくお願いします。http://Instagram.com/hirokiokudaofficial

最近の記事

プロサッカー選手、農家の右腕になる。

題名は自分が経営を始める事を決意し、最初に勉強する為に買った本「東大卒、農家の右腕になる。」から頂きました。 全ての物語を話すと長くなりますので割愛しながら、現役プロサッカー選手である自分が、「希少種マンゴーパルメロ」を取り扱う株式会社OKUDAの代表取締役となった経緯を話させて頂きます。      〜経営者の父への憧れ〜 父は大手の電力会社の下請けの、電気工事を専門とする、社員、外注の方を含め6人程の会社を30年以上経営していました。 6年前に父が肺がんで他界し、お通

    • 挫折。努力。絶望。辿り着いた全国の舞台

      〜 入学 〜高校は和歌山県にある 初芝橋本高校の体育科に入学をした。 クラスは様々なスポーツに取り組む 47人の男子と女子2人の49人。 ゴリゴリのスポーツ男子で埋め尽くされた教室は とにかく暑苦しかった。笑 高校生活といえば、カップルで仲良く登下校をする。そんな青春をイメージすると思うが 現実は、、、 日が昇る前に家を出て、20時〜21時に帰宅。 電車とバスを乗り継ぎ、 往復3時間30分の距離を通う サッカー漬けの高校生活が始まった。 〜 1年生のやるべき事 〜

      • ホラーマンと呼ばれた中学生

        中学生に入り、学校が終わるとダッシュで帰宅。着替えを済ませ、母が作ってくれた軽食を猛烈なスピードでかきこむと、駅に向かった。 自宅からガンバ大阪門真Jrユースの練習までは、 片道1時間程かかる。 しかし、サッカーの為なら 1時間の移動は全く苦ではなかった。 中学生時代、もっとも苦しんだのは怪我だった。 怪我というのもそのほんどが骨折だ。 普通の人からすると、 骨が折れる事はそう無いだろう。 しかし、この時は自分でも恐ろしいほどに 骨折を繰り返していた。 その数なん

        • 初めての挫折

          〜 意識の変化 〜小学5年生に入り、そこからサッカー漬けの日々に変わっていく。 まずは、 セレッソ大阪のサッカースクールに入った。 狙いとしては、 ①6年生でセレッソ大阪U12スクール選抜に入る。 ②中学生でセレッソ大阪U15に入る。 上記の目標があったからだ。 それにより5年生からは、 地元のサッカーチームの練習を終えた後、 セレッソ大阪のサッカースクールの練習に行く事になり、週4回程の練習から週6.7回の練習になった。 休日も一人で公園に行き、ドリブルやリフテ

        プロサッカー選手、農家の右腕になる。

          プロになると決めた日

          〜 小学校生活 〜小学生に入学すると、 病弱な幼少期とは打って変わり、 休みの日には友達と鬼ごっこや警泥、 缶蹴りなどを楽しみ、 学校の休み時間にはドッチボールをチャイムがなっても楽しんでいた。 光過敏性発作の影響はまだあり、 映画館などには行けず、学校での年3.4回ほどの全校生徒での映画鑑賞の日には、1人観る事は出来なかった。 しかし、悲しむどころかむしろ喜んでいた。 なぜならその時間に、、、 校庭を1人貸し切り、 サッカーボールを蹴る事が出来るからだ。 本来は職員

          プロになると決めた日

          サッカー人生の始まり

          1992年10月5日、 大阪府大阪市住吉区の病院で生まれた。 生まれてから小学生になるまでの自分を一言で表すと、「病弱」この言葉になるだろう。 生まれて直ぐに肺炎になり、気管が弱く、 季節の変わり目と冬は、肺炎から直ぐに気管支炎になったり、それが悪化し熱性痙攣を起こす事も何度もあった。 その事が原因で光過敏症発作になり、 幼い頃から中学生まで2.3ヶ月に1度脳波の検査を行なっていた。 それに加えて喘息発作も持ち合わせていた為、 4歳まではほとんど入院していた。 そん

          サッカー人生の始まり

          note始めます。

          きっかけは武岡優斗選手とのインスタライブ。 優斗さんに勧めてもらった事です。 ライブを見て下さってる方の書き込みやインスタライブが終わってからのメッセージで、 noteをやって欲しい、見たい、ルーツを知りたいと言ってくれる方がいたのでやってみようと思いました。 noteを始める意味としては ○自分の事を応援してくれている人に、より自分の事を深く知ってもらいたい。 ○自分の事をあまり知らない人がこのnoteを見て、奥田裕貴という人間を応援してくれるきっかけに

          note始めます。