弁護士 廣井雅治

法の理論と実践について、自分の問いの探究のために書いていきます。特に「法と言葉」「レト…

弁護士 廣井雅治

法の理論と実践について、自分の問いの探究のために書いていきます。特に「法と言葉」「レトリック論」「引照基準たる範型・範例」「個の創出、その基盤資源」「方法論的分節」「新生的な諸項との切り結び」「永遠の希望」などが探究テーマです。(icon写真 2021年10月撮影)

マガジン

  • メモ

    個人的メモ書き.

  • 探訪 言語哲学‐言語技術、知の技法. etc

    法律家の視点で、言語哲学・言語技術、知の技法などを自由に探訪。

  • 個人的音楽室

    汝が魔力は再び結び合わせる 時流が強く切り離したものを すべての人々は兄弟となる (歓喜に寄す) 言葉は分節であり結局は分断であろうか、それを再び結び合わせるのはやはり音楽の律動であろうか。 心から心へ、そして心の自由へ

  • シリーズ「判例分析 占有原理の鐘が鳴る」

    「占有原理」を視角として,法律学上の有名な判例を分析します。巨大に集積された判例群を,一つ一つテクストとして「読み」,そして「読み直す」試み。 「かくして法の根底には占有という原理が潜む。占有という価値理念が底を流れる。」(木庭顕『ローマ法案内-現代の法律家のために』61頁(羽鳥書店,2010).

  • 法律家 文学を読む

    広い意味での文学を,一法律家の視点で読んでいきます。 「このトータルな省察は文学に他ならない。少し後に歴史学や哲学等々が文学ジャンルとして分化していくが,文学は定義上教義ではない。トータルな省察の結果であってもそれが教義の体系のようなものであれば,その教義の体系が権威を持って批判の外に置かれるから,トータルな批判にはならない。つまり自分をも批判させる媒体が文学である。」木庭顕『誰のために法は生まれた』292頁(朝日出版社,2018 ).

最近の記事

  • 固定された記事

夏目漱石「行人」より/一郎の実証主義

〔夏目漱石「行人」『夏目漱石全集7』所収(ちくま文庫,1988)に対し、一郎の実証主義という視点から光をあててみます〕 夏目漱石『夏目漱石全集7』(ちくま文庫,1988) *作品紹介では「近代知識人の孤独と苦悩を描く」とされています。 1 長野一郎が抱く疑惑と彼の実証主義(1)疑惑 一郎は悩んでいる。疑っているからだ。彼の妻 直は弟の二郎に惚れているのではないか、というのです。しかし一郎は証拠はないと二郎に言う。恋文が出てきたとか接吻の現場を見たとかではない。「…実証か

    • ◆森鷗外の最高傑作ともいわれる「渋江抽斎」。鷗外の問題意識をつかめず読み終えなかった人もいるだろうから、 たとえば読前に 三谷太一郎「森鷗外の歴史認識」『人は時代といかに向き合うか』224頁 読後に 木庭顕「森鷗外と「クリチック」」『憲法9条へのカタバシス』128頁

      • ◆範型による事例比較 その基礎 アナロジーの推論をする前に異化がある。 カルロ・ギンズブルグ(竹山博英訳)「異化―ある文学的手法の起源」『ピノッキオの眼 距離についての九つの省察』12頁,せりか書房,2001.参照 現実を自明のものとして見ない眼と方法、遠接と近接の交錯。

        • ◆鋭利な分節をエンカレッジするのは何か。二極の範型による事例比較、また言葉による彫琢力の高度化がまずは考えられる。ではそれらは何がエンカレッジするか、逆に何がスポイルするか。その次は、と諸前提についての認識を深めていく。その探究素材は、広く文学に求めるべきであると思われる。

        • 固定された記事

        夏目漱石「行人」より/一郎の実証主義

        • ◆森鷗外の最高傑作ともいわれる「渋江抽斎」。鷗外の問題意識をつかめず読み終えなかった人もいるだろうから、 たとえば読前に 三谷太一郎「森鷗外の歴史認識」『人は時代といかに向き合うか』224頁 読後に 木庭顕「森鷗外と「クリチック」」『憲法9条へのカタバシス』128頁

        • ◆範型による事例比較 その基礎 アナロジーの推論をする前に異化がある。 カルロ・ギンズブルグ(竹山博英訳)「異化―ある文学的手法の起源」『ピノッキオの眼 距離についての九つの省察』12頁,せりか書房,2001.参照 現実を自明のものとして見ない眼と方法、遠接と近接の交錯。

        • ◆鋭利な分節をエンカレッジするのは何か。二極の範型による事例比較、また言葉による彫琢力の高度化がまずは考えられる。ではそれらは何がエンカレッジするか、逆に何がスポイルするか。その次は、と諸前提についての認識を深めていく。その探究素材は、広く文学に求めるべきであると思われる。

        マガジン

        • メモ
          242本
        • 探訪 言語哲学‐言語技術、知の技法. etc
          12本
        • 個人的音楽室
          8本
        • シリーズ「判例分析 占有原理の鐘が鳴る」
          9本
        • 法律家 文学を読む
          18本
        • 反効率的学習のための法律学入門
          11本

        記事

          ◆危機の本質は「分節不全」にある。分節が区別と連結を含む以上、不全の意味は、区別できない(しない)こと、正しく区別しないことであり、連結できない(しない)、正しく連結しないことを含む。防御たる自由を攻撃と区別できない、知識創造たる学問が経済社会から直に役立つことを求められる等。

          ◆危機の本質は「分節不全」にある。分節が区別と連結を含む以上、不全の意味は、区別できない(しない)こと、正しく区別しないことであり、連結できない(しない)、正しく連結しないことを含む。防御たる自由を攻撃と区別できない、知識創造たる学問が経済社会から直に役立つことを求められる等。

          ◆「目的なき準備」が本当の準備である(結果、何の意味もなく何の役にも立たなくても(しかしそれをいつどの視点から判断する?))。逆のように思えるが、目的のための準備は外部内部の声と視線・利害等に影響されて広さと深さ、つまり精度を欠く。精度が核である文学・学問・芸術、人との連携等々。

          ◆「目的なき準備」が本当の準備である(結果、何の意味もなく何の役にも立たなくても(しかしそれをいつどの視点から判断する?))。逆のように思えるが、目的のための準備は外部内部の声と視線・利害等に影響されて広さと深さ、つまり精度を欠く。精度が核である文学・学問・芸術、人との連携等々。

          ◆R・エスポジト イタリア哲学の回帰 こうした外への径路が必要になるのは、いずれの著作家の場合でも、抽象的な思考、あるいは形而上学的な論理の思考から出発してしまうと、生を捉えきれないためなのです。なぜなら、生の具体的な姿は、そうした思考から必然的にこぼれ落ちてしまうからです。

          ◆R・エスポジト イタリア哲学の回帰 こうした外への径路が必要になるのは、いずれの著作家の場合でも、抽象的な思考、あるいは形而上学的な論理の思考から出発してしまうと、生を捉えきれないためなのです。なぜなら、生の具体的な姿は、そうした思考から必然的にこぼれ落ちてしまうからです。

          ◆以前投稿した記事について、加筆修正しました。 「彼のメスは何を切ったのか? /手塚治虫,ブラック・ジャック「医者はどこだ!」 https://note.com/hiroimasaharu/n/n37a948a8a46b

          ◆以前投稿した記事について、加筆修正しました。 「彼のメスは何を切ったのか? /手塚治虫,ブラック・ジャック「医者はどこだ!」 https://note.com/hiroimasaharu/n/n37a948a8a46b

          ◆森鷗外の五条秀麿シリーズ「かのように」「吃逆」「藤棚」「鎚一下」(「秀麿もの」四編).ちくま文庫で読んだが、同文庫は頁を繰らずに脚注を確認できるのでとてもよい。鷗外が創り出す最高峰の日本語の連なりを、時代を越えて読むことができるのは素晴らしいことだ。

          ◆森鷗外の五条秀麿シリーズ「かのように」「吃逆」「藤棚」「鎚一下」(「秀麿もの」四編).ちくま文庫で読んだが、同文庫は頁を繰らずに脚注を確認できるのでとてもよい。鷗外が創り出す最高峰の日本語の連なりを、時代を越えて読むことができるのは素晴らしいことだ。

          ◆個別性の深度を強めれば強めるほど、泉が沸き出でるように内包はどんどん豊饒化する。知性作用はこれに逆行し違うものを同じとみなす方向をとる。抽象度の階梯を上下に移動し、その都度レンズを使い分けているのが私たちの日常である。同メカニズムを見抜き、賢しらな知性主義者に流されないように。

          ◆個別性の深度を強めれば強めるほど、泉が沸き出でるように内包はどんどん豊饒化する。知性作用はこれに逆行し違うものを同じとみなす方向をとる。抽象度の階梯を上下に移動し、その都度レンズを使い分けているのが私たちの日常である。同メカニズムを見抜き、賢しらな知性主義者に流されないように。

          ◆「人間」の自由や「人」の自由を言うひとも、決して「個人」の自由とは言わない。なぜなら自身が集団・団体に従属的に属し、自身の「個」を埋没させているからである。メンバーの個(つまり個別性に潜む無限の内包)を尊重できず面罵しておきながら、「人間の自由」を講義するなど滑稽である。

          ◆「人間」の自由や「人」の自由を言うひとも、決して「個人」の自由とは言わない。なぜなら自身が集団・団体に従属的に属し、自身の「個」を埋没させているからである。メンバーの個(つまり個別性に潜む無限の内包)を尊重できず面罵しておきながら、「人間の自由」を講義するなど滑稽である。

          ◆法律の実務家としては「方法論的分節(主義?)」といういき方が最もしっくりくるようだ。無限の内包を有する流動する現実のなかで、区別と連結を踏まえた分節を前提に、外部の諸項の接続秩序に内部のそれで対峙する。そのため、「かのように」「みなす」やレトリック論とも親和的となる。

          ◆法律の実務家としては「方法論的分節(主義?)」といういき方が最もしっくりくるようだ。無限の内包を有する流動する現実のなかで、区別と連結を踏まえた分節を前提に、外部の諸項の接続秩序に内部のそれで対峙する。そのため、「かのように」「みなす」やレトリック論とも親和的となる。

          ◆クリプトメモリア(criptomemoria)無意識のうちに潜在している記憶.暗示攻撃・防御、分からなくても何度も読む理由、何かがあると直感しその方向へ行こうと思う理由等のベースにあるのだろう。*カルロ・ギンズブルグ「わたしはアルナルド・モミリアーノから何を学んできたか」参照

          ◆クリプトメモリア(criptomemoria)無意識のうちに潜在している記憶.暗示攻撃・防御、分からなくても何度も読む理由、何かがあると直感しその方向へ行こうと思う理由等のベースにあるのだろう。*カルロ・ギンズブルグ「わたしはアルナルド・モミリアーノから何を学んできたか」参照

          ◆分節という営為の上で、行き詰まりを踏破する新生的な自由のためには、諸項の接続秩序を静的固定的に仮定したうえで、現実の実相(無限の内包、生成変動する流動性)に対応し、ダイナミクスを打ち込む必要があり、その点に永遠の希望という光が見い出されていく原理的根拠があるように思われる。

          ◆分節という営為の上で、行き詰まりを踏破する新生的な自由のためには、諸項の接続秩序を静的固定的に仮定したうえで、現実の実相(無限の内包、生成変動する流動性)に対応し、ダイナミクスを打ち込む必要があり、その点に永遠の希望という光が見い出されていく原理的根拠があるように思われる。

          ◆二つに分節(区別したうえで連結)する、ということが自由確立の基礎にある。事実(事実認識、存在)と規範(価値判断、当為)に分節する。主体と客体を分節する。主体はさらに精神と身体に分節する。現実原則と構成的解釈に分節する。記号と指向対象に分節し、記号はSaとSéに分節する等々。

          ◆二つに分節(区別したうえで連結)する、ということが自由確立の基礎にある。事実(事実認識、存在)と規範(価値判断、当為)に分節する。主体と客体を分節する。主体はさらに精神と身体に分節する。現実原則と構成的解釈に分節する。記号と指向対象に分節し、記号はSaとSéに分節する等々。

          ◆今の法学部生(広く学生)が羨ましいのは、木庭顕『法学再入門 秘密の扉―民事法篇』(有斐閣,2016)を読めることである。じっくり何度も読み、何かを感知し無数の問いが自らの中に立ち上がるのを感じ、諸方面に探究作業をすることができること、その発火点を得られることは素晴らしいことだ。

          ◆今の法学部生(広く学生)が羨ましいのは、木庭顕『法学再入門 秘密の扉―民事法篇』(有斐閣,2016)を読めることである。じっくり何度も読み、何かを感知し無数の問いが自らの中に立ち上がるのを感じ、諸方面に探究作業をすることができること、その発火点を得られることは素晴らしいことだ。