見出し画像

日の当たらない時こそ成長のチャンス ~ 奥田碩(トヨタ自動車元会長)~

 幕末に江戸城無血開城を成し遂げた勝海舟は、以下の言葉を残しました。
  その人がどれだけの人かは、
  人生に日が当たってない時に
  どのように過ごしているかで図れる。
  日が当たっている時は、何をやってもうまくいく。

 我々は、人の価値を、その人の成功実績を羅列して図る癖があります。しかし、本当の人の価値とは、その人に日が当たっていない時の過ごし方で図るべきではないでしょうか。
 実は、勝海舟だけでなく、名経営者といわれる人や、多くの功績を残した偉人といわれる人でも、意外と日の当たらない時代を過ごした経験はあるものなのです。
 例えば、サラリーマンの世界であれば、左遷ほど厳しい局面はないでしょう。毎日出社するのが苦痛であると考えられます。
 今回は、ハイブリッドカー「プリウス」を発売し、トヨタ自動車株式会社の業績を大きく拡大させた同社元会長の奥田碩氏の左遷時代にスポットを当ててみました。

 奥田氏は1932年に三重県で生まれ、一橋大学を卒業後、トヨタ自動車販売株式会社(現・トヨタ自動車株式会社)に入社すると経理部に配属されました。入社から3年後、総勘定元帳の管理を任されました。各種取引や経費、幹部の交際費などの伝票を管理する仕事で、その伝票に目を通すと、社内の人やモノ、カネの流れが全て判ったそうです。
 奥田氏は、取引が判りにくい伝票を見つけると、相手が役員だろうが上司だろうが本人へ詰め寄って問い正したそうです。こうした姿勢が社内で生意気な社員という悪評判を生みました。

 1972年(昭和47年)、奥田氏はマニラの現地法人へ赴任することになりました。これは事実上の左遷でした。
 しかし奥田氏は、この異動を「駐在員が少ない分、日本の本社から幹部が来たときには全部自分たちで応対しないといけないので、幹部たちの目に留まるチャンスが多くある」と前向きに考えたのです。
 これはあくまでも筆者の推測ですが、こうした人事異動にあうと、奥田氏には元々同氏のことをよく思わない人間がいたことから、そうした人間から「もう、お前は終わりだ」などという言葉を投げかけられたことでしょう。しかし、忘れてはならないのは、それは他人の評価なのです。自分で自分の評価を貶める必要はないのです。
 当時、フィリピンのマニラにあった現地法人は、日本人エンジニアが二人しかいないような小さな事業所でした。奥田氏は、この日本から遠く離れたオフィスでの仕事に前向きに取り組みました。この環境に対して落ち込むのではなく、この企業人としてのピンチをチャンスに変えようと必死に仕事に取り組んだのです。
 奥田氏の仕事の一つは、当時トヨタ車組立工場を経営していた現地政府の息がかかった企業から未回収になっている代金を回収することで、それは前任者の誰もが成功しなかった仕事でした。この企業のオーナーは現地政府の影響力をバックになかなかトヨタ側の支払い要求に応じませんでした。奥田氏は「それならバックにいるマルコス大統領と仲良くなればいい」と考えました。そこで奥田氏は、マルコス政権との人脈を築き上げ、その人脈により逆に圧力をかけ、未回収の代金回収に成功したのです。また、この会社が当初の計画から大幅に遅れて完成させたエンジンの契約に対し、交渉力によってフィリピン政府から巨額の賠償金を支払わせることに成功しました。

 そのような中、奥田氏は、当時のトヨタ自動車工業の副社長であり、創業家一族の豊田章一郎氏と出会いました。当時、章一郎氏は、娘婿で大蔵省(現・財務省)官僚の藤本進氏がアジア開発銀行に出向していた縁で、孫に会うためマニラを定期的に訪れていたのです。
 奥田氏と初めて話をした豊田章一郎氏は、奥田氏のマルコス政権への人脈や仕事ぶりに驚いたそうです。
 章一郎氏は「こんな逸材がマニラにくすぶっているのか。本社の人事は何をしているのか!」と言ったそうです。
 その後、奥田氏に帰国命令が下りました。
 奥田氏は、6年半の左遷生活を終えて本社勤務に復帰するとともに、豪亜部長に栄転しました。ここから奥田氏はトヨタ社内での出世街道を走り出したのです。

 奥田氏はこう言います。
 「これまでを振り返ると、つくづく自分は『運』がいいなと思います。ただ、運は何もしないでついてくるものではない。いろいろな場所に出向き、様々な人に出会い、多くの体験をするなかで巡り合うものでしょう。」

 どのような状況であっても、努力を惜しまなければ、必ず事態を改善することはできます。この時の努力が自らの人間としての実力を成長させ人間的魅力を磨いてくれるのです。
 現代のような何が起こるか分からない不確実性の高い時代においては、こうした日の当たらない時を前向きに過ごした人物こそが求められるといえます。

<参考情報>
■日本経済新聞2013年4月2日「『運は努力する者に来る』国際協力銀行の奥田碩総裁」より
■【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】2010年12月14日「第147回_奥田碩_左遷は飛躍のチャンス」より


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?