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プリコラージュ

既に存在するモノを集めて元々の用途とは異なる使い方を発想するのは以前から創業者に求められる能力です。横に跳ぶ感覚です。

横跳びの発想

ソニー創業者の井深大さんがウォークマンをどのようにして思いついたかというと工場でジーンズをはいた若い社員が手作りのテープレコーダーをポケットに入れて音楽を聴きながら働く姿を見たからだと言います。

井深さんが見た若者は自分なりに自分の需要を満たすべく手作りで工夫したのでしょうがそうした若者の本質的要求を考えてそれを製品化したのは井深さんが経営者として横に跳んだという事です。私が新入社員の頃、ステレオ工場の開発の人に初めて紹介されて、録音できないテープレコーダーという事でこれが売れていると聞かされ驚いたものです。

日露戦争の時の満州軍総参謀長の児玉源太郎は203高地の戦いで、観音崎にある要塞砲をバラして旅順まで運び、あの山の頂上に据えてそこから旅順港内のロシアの軍艦を撃つ発想をしました。

専門バカという言葉があるくらい専門家は結局自分の固定知識に閉じこもって金縛りになり、そこから踏み出す事がなかなかできません。

動物行動学者の竹内久美子さんが本の中で『発想を変えて思い切って跳びなさいと言われたら皆、前に跳ぶ事しか考えない。前に跳ぶ事は誰にもできる事で、横に跳ぶ事が必要なのだ』と言っています。

横に跳ぼうと思って跳んだわけではないけれど、恐らくふと思いついた事が横に跳んでいるのではないでしょうか。そういう発想が出来る人が創業者にふさわしいのではないかと思います。

楽市楽座

楽市楽座は天才的武将の織田信長が作った経済形態です。15世紀末までの日本は言わば各村落の自給体制の基にありました。塩や一部の薬品以外は長い距離をまたいで交易される事はありませんでした。

商人たちは古い座や株仲間達の規制に縛られ寺社や一部の公家の配下に属していました。商人の保守性は農民よりも徹底していて、足利幕府や畿内の寺社が中央の荘園や領地からの収入がなくなった後も、かろうじて命脈を保つ事ができたのは商人からの座の収入があったからです。

しかし16世紀に入り余剰農産物と工業製品が急増し、流通市場に出される物品の種類や量が共に増大してかつての古い座の商人の取り扱い能力をはるかに上回る製品が出回るようになった事です。

その結果、古い座に属さない新規の商人たちが、非合法に商いをするようになり、この歴史的必然から派生した非合法とも言える商活動を制度として公認し、促進したのが織田信長です。これは生活用品に高い関税をかけて庶民に無駄に高い商品を買わせる発展途上国の関税制度や日本のガソリン税によく似ています。

旧来の座に属さない物でも何を売っても良いという楽市楽座の制度は当時として画期的なモノでした。信長の狙いは商業流通の拡大による経済発展よりも僧兵を養う寺社の財源を断つという軍事上の目的があったそうです。

比叡山


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