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noteの更新頻度と自分が在るべき形

僕の場合、noteの更新が増えると
周りの人たちからは、
悩んでる?生き詰まってる?
メンタルやられてる?ってよく言われる。

たぶんポジティブに書こうと思って、
作ったnoteでもその言葉の端々には弱さや
不安、悩みが見え隠れしているのだろう。

だからnoteの更新頻度が増えると心配される。

これまでは自分もそれで納得してきたが、
でもよく考えたら違うんだと今は思う。

おそらくその逆。

noteの投稿頻度が多いほどに自分が在る。
noteの投稿頻度が少ないほどに自分はない。

2024年は昨年に比べると
たくさんのnoteを投稿をしている。

5月12日時点で36本。
1週間に3本のnoteを投稿することもある。

ただ、これがハイペースだとは思わない。
無理をしているわけでもないし、
書きたいことは毎日毎日増えていく。

こうしてnoteを
投稿し続けていると見えてくるものがある。

自分が在るべき形を保っていられる時は
noteの投稿ができている時。
(少なくとも1週間に1本は書いてる)
その逆でnoteの投稿が全くできていない時。
これは自分がない状態の時。

この自分がない状態を
2024年は、数回経験している。

何かに苦しんでいたり、悩んでいたり、
メンタルが落ちている時になる。

分かりやすいと言えば分かりやすいが、
その時はnoteを書いて、投稿する余裕がないからあとになって「そういえば、最近note書いてないな」と気がつく。

自分が「在るとき」と「無いとき」

それは「noteを書くこと」が自分の在り方を左右するほどに自分にとって大きさ存在になっているということ。

noteを書く時は、書きたいことがある時。
毎日のなかに気づきや学びがある時。
過去を振り返り、未来を見据えながら
ちゃんと自分と今と向き合えてるということ。

これも毎日挑戦してるから。
毎日自分を生きてるから。
だからこそできること。

そしてなによりもnoteを書いてるのは
noteを書くことそれ自体が楽しいから。

最近はnoteを書きすぎていて、
誰かと話してる時やLINEをしてる時でも
note書いてる時みたいな言葉を使ってることがよくある。ちょっと恥ずかしくなる(笑)

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