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価値観・劇的ビフォーアフター

人は価値観が転じたときに、転じ先の価値観を盲信して凶暴化しがちだよね、という話。

わかりやすいのが、禁煙

僕が小さい頃、親戚のおじさんたちは宴会でばこばこタバコを吸っていた。しかし僕が大人になってタバコ吸う頃にはみんな禁煙してた。で、僕が宴会でタバコ吸ってるとみんな「広樹、タバコは体によくないぞー」と。まぁ僕は「おじさんたち、自分がやめたからってーもうー」と笑うくらいの、なんてことないことだけど。

しかし一般的には、禁煙に成功した元・喫煙者は、ネイティブ嫌煙家よりも積極的に「タバコはよくないぞー」と言う、ような気がする。

昔、ヘビースモーカーだった舘ひろしさんが禁煙に成功して、今度はCMで「禁煙しよう」と言ってるのを見て、びっくらこいた。いや、舘ひろしさんは全然悪くないです。わざわざ元・ヘビースモーカーの舘ひろしさんに言わせてるのがなんかやだなと思った記憶が。
(舘ひろしさん、すいません)

で、自分で最近やっちゃってるのが、朝方生活について。
僕は仕事柄3年くらい前までは完全に夜中型、徹夜型、過労型の働き方だった。朝まで仕事するし、朝まで飲むし、朝まで遊んだ。3年前に髄膜炎でぶっ倒れてから徹夜はひかえがちになって、最近はついに朝5時半起きの生活に切り替えた。

夜型から朝方に、価値観が転じたわけである。

で、最近めちゃくちゃ人に言っちゃってる。
「朝方最高っすよー」
「朝がいちばん仕事はかどるんすー」
「早寝早起きしたほうがいいっすよー」

あげくには部署のミーティングにも朝開催を提案して、採用してもらっちまった。部のみんな、すんません。

朝方のいいわるいは別にして、これで舘ひろしさんの禁煙CMにびっくらこいたとかどの口が言ってんだ、という話だ。

とはいえ、いままでヘビースモーカーだった舘ひろしさんが禁煙広告に出演するこの感じを、仮に"舘ひろし現象"と名付けて考えてみる。

『ダークナイト』のジョーカーはこれをわかってんだろうな。
正義の塊のようなハーヴィー・デントだからこそ、いちど価値観が憎悪ドリブンに転じると、強力な悪になることを。

逆に元・超不良のおじさんの価値観が転じると、もともと真面目に生きてきた人よりも目立つ超・更生活動家になったりする。

"いままで信じていたことよりも、まさか逆の価値観のほうが、自分にしっくり来るなんて!"

という体験はたぶん、麻薬的快感だ。大げさに言えば、自分がパワーアップしたような、超サイヤ人になったような、興奮がある。

それに人間は「自分の選択は正しかった」と思いたいという認知的なんちゃらとかいうバイアスもある。

もっと簡単にたとえると、壊れてると思ってた懐中電灯、電池のプラスマイナスが間違ってたのに気づき、電池を逆に入れたら、ついた!うおー!!明るい!こうなると、他の"壊れてるかもしれない懐中電灯"を持ってる人たちに、「電池、逆にしてみ!」と言いたくなる。で、聞く耳を持たない人がいたら「あいつは電池逆に入れてるんだ。バカだ」と思い、あげくのはてに…「お前らバカだ!」と叫び始める。

価値観の逆転が、自分の中でドラマチック(劇的)だったからこそ、人にオススメしたくなる。根本的には、喜びをシェアしたいポジティブな感情だ。

そう、舘ひろし現象は、ドラマチックなのだ。


だから映画にもなる。

いわゆる"先住民モノ"の物語だ。

喫煙→禁煙 の転換を当てはめてみると、以下の映画では主人公が舘ひろし現象を発症することで、ドラマチックな展開が生まれている。

『もののけ姫』
文明→自然

『アバター』
地球人→ナヴィ

『ダンス・ウィズ・ウルブス』とかもそうみたいだし(未見)、実はいまやってる『マスカレード・ホテル』もこの"先住民モノ"だと思った。やっぱり舘ひろし現象を起こすシーンはけっこうグッときた。詳しくは劇場でお確かめあれ。

ちなみにこの"先住民モノ"に舘ひろしさんを代入すると…

20XX年、日本は喫煙者国と非喫煙者国に別れ、日々激しく争っていた。
舘ひろしは喫煙者国軍の戦士で、バリバリのヘビースモーカーだ。ある日舘ひろしは、非喫煙者軍の情報を盗むために、禁煙薬を使用して非喫煙者軍にスパイとして潜入する。
タバコが吸いたい…!禁断症状に襲われながらも、非喫煙者軍に取り入っていく舘ひろし。タバコを吸わない日々が続き、だんだんとニコチンも抜けてきた頃─舘ひろしは非喫煙者軍の女性と恋に落ちる。一緒に運動して、深呼吸。空気がおいしい。
まもなく舘ひろしは、状況報告のため一時的に喫煙者軍に呼び戻される。喫煙者軍は、近く非喫煙者国に攻撃をしかけるらしい。スパイとして攻撃のアシストをまかされる舘ひろし。しかしどうだろう…なんだこの部屋は。煙たい、臭い、息苦しい…!タバコって、最悪じゃないか。しかも煙を吐き散らして、非喫煙者国の人たちを苦しめている喫煙者軍…許せない!「すまんな、もう少しの辛抱だ」と上官に励まされ、タバコを吸わないまま非喫煙国に戻っていく舘ひろし。
そして攻撃の日。喫煙者軍は思わぬ苦戦を強いられる。猛烈に抵抗する非喫煙者軍を率いているのは…舘ひろしであった。彼は最前線で叫ぶ。「タバコ吸ってるやつは、しねーーー!!!」

はい、ほぼ『アバター』な話が出来上がりました。

僕はジェームズ・キャメロン大好き人間だけど、こうしてあらためて考えると同じ"先住民モノ"もしくは舘ひろし現象を扱った物語でも、いかに『もののけ姫』が『アバター』より深いかがわかる。

この「価値観が劇的ビフォーアフターすると、アフターの方を盲信してビフォー集団に対して凶暴化しがち」という人間の傾向。

喫煙禁煙くらいなら、自分の意思でコントロールできなくもないことだから、まだかわいいもので…たとえば、

・独身を謳歌してた人が、結婚したとたん「結婚いいよーはやくしなよー」とか言い始める

・金に困ってた人が超稼いで、稼いでない人をバカにしはじめる

・サラリーマンからフリーランスになった人が、サラリーマンをバカにする(最近話題のやつ)

・街の妊婦に冷たかった人が、自分の親しい人が妊婦になると、妊婦に冷たい人を過剰に責める

といった、必ずしも自力で解決できるとは限らないデリケートな価値観における、暴力的な押し付けはとても危険だ。

本当はビフォーの価値観にずっと納得してなくて、なにかしらの負い目があって、それから開放された場合に、こういうことは起きやすい。

そしてやがて、アフターの価値観を肯定していればいいものを、ビフォーの価値観を否定しはじめる。なにかへのアンチのほうが、オリジナルでいるよりも思考負荷が少なくて、楽だからだ。否定したいのは、納得できないことを我慢してた自分、やましいことをしていた自分だったりする。そうして過去の自分を責めるうちに凶暴化し、気づかぬうちに人間関係が殺伐としていき、孤立していくこともある。


ところで、このような相反する価値観のぶつかりあいや、それにもとづく"もめごと"のことを、脚本用語で「コンフリクト」と言う。

「コンフリクト」の一般的な直訳は"葛藤"だが、僕の師匠は"葛藤"だと個人の内面で完結する印象があるので”もめごと”と訳すべきだ、と言っていて、僕も賛成だ。ウジウジひとりで悩む主人公の物語でも、"葛藤"してるからいい脚本、ということになってしまう。

映画ではコンフリクトが大きいほど、それが転じて解決する瞬間…クライマックスが劇的になる。

恋愛映画で最終的に結ばれるふたりは、序盤はいがみ合うというコンフリクト、中盤は嫉妬や会えないというコンフリクトを経て結ばれるから、劇的なカタルシスがある。

コンフリクトは、スクリーンの中なら楽しい。
他人の"もめごと"は我々の大好物だ。

しかし現実はどうか。

舘ひろしさんが「タバコ吸ってるやつは家畜!バカ!」と喫煙所に殴り込んで来たら…コントなら楽しいけど、現実では勘弁してほしい (もちろん舘ひろしさんはそんな人じゃない)。

価値観が転じるような劇的な出来事や決断をしたときこそ、客観的に、冷静に。気をつけようと思った。

低予算インディーズ映画の大成功を止めるな!と言うのはいいが、「大予算の大作メジャー映画なんか止めろ!」と主張しだしたら、危ない。

ちなみに僕は、じゃっかんこの状態におかされている。僕はふだんはCMなどを監督する広告映像ディレクター(しかもサラリーマン)だが、社外活動として念願の映画『東京彗星』を撮ったあと、闇落ちしかけた。
「おれは映画を撮った!おれが正しい!これからは映画つくれなきゃだめだ!CMばっか撮ってるなんてだめだ!」という悪魔のささやきがいまも完全に消せてない。たぶんていねいに抑え込まないとすぐ凶暴化してしまうので、ほんとに気をつけないと…。


あと、最後に。

ハリウッド脚本論ベースで言うと映画ってつまるところ「コンフリクトとその気持ちいい解決工程」という面もあるので、現実を生き抜くためのヒントは意外と映画にあるかもよ。

みんなもっと映画を観に行こう。
映画はいいよ。素晴らしいよ。
現実を生き抜くためのヒントに溢れてるんですよ。

……え?あなた映画あんまり観ないんですか?

信じられない。映画観ないなんて終わってる!それで人生何が楽しいわけ?バカでしょ。映画観ない人ってバカだよ。まじ。はやくこっち来たほうがいいですよ。映画観る人生に。価値観変わりますよ。これでもまだ、映画観に行かないの?

…うそです。あー、あぶないあぶない。落ち着こう。タバコ吸ってきます。

また映画つくりたいですなぁ。夢の途中です。