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虐待の後遺症

『全部お前のせいだ』


あの記憶は、あの日の暴力は、あの言葉は、

全部私のせいなの?



私の家庭では、身体的・心理的・性的虐待・経済的DVが蔓延していた。


殴る・蹴るは当たり前。首を絞められたり、外に引っ張り出されたり、冷酷な言葉をかけられたり。


そんな環境に20年間置かれ

私の思考パターンは完全に捻じ曲げられてしまった。

どれだけいい子を繕うとも
どれだけ可愛い子を演じようとも

普通の愛情は、求めても一生手に入らないし、受け取ることは出来ない。

私がわがままなだけなのだろうか。

“普通に愛されたい”などと、私の分際で思ってはいけないのだろうか。

愛されれば、私の何かが今と違っていたのだろうか。

愛されれば、複雑性PTSDになど、なっていなかったのだろうか。

自殺未遂はしなかったのだろうか。
病院通いにもならなかったのだろうか。

自分のことを認められていたのだろうか。



今の環境を

親は、私のせいだと言う。
親以外は、親のせいだと言う。

そんな単純な問題か?

どちらかが100%悪いと言い切れるものなのか?

なんて言っているが、現実の私は白黒思考で、
『全て私が悪い』としか考えられない。

私の中では、

『上手くナイフを使えなった』
『学校を休んだ』
『父の要望に応えられなかった』

そんな理由があれば十分、私の責任になり得る。

0-100ではなく、グレーゾーンが持てたら、
もう少し生きやすくなるのだろうか。

頭では分かっていても、なかなかそれが出来ないのが複雑性PTSDの症状の1つなのだろうか。

いくら殴られようと蹴られようと
私は親を悪者にする事に罪悪感を感じる。

『親のせいにする私なんて子供として最低だ』
『親は私の事を今まで育ててくれたのに私から親を捨てるなんて無慈悲だ』

そう本心で思っている。


だから今までも自己否定の上に生きていたのだ。

それがきっと“虐待の後遺症”なのだと思う。



だが、そろそろ私は変わらなければならない。
不必要な程に『自分が全て悪い』と責任を背負い込まないように、新たな思考パターンを身につけなければならない。

心を成長させなければ。
私はもう子供ではないのだ。
あの父親の元には居ないのだから。

もう大人になれ、私よ。


何のために精神科に通っているのか。
何のために心理療法を受けているのか。


今こそ、私は変わる時なのだ。


虐待の後遺症になんか負けてられるか。

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