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Varanasi ガンジス河で太陽礼拝を

このnoteが載る頃、僕は新宿の居酒屋にいるんじゃないかな。

人生の先輩がまた、新たな旅に出るとの事なので皆で門出を祝います。

僕は最近お酒は飲まないのですが、前職の皆と会えるのが嬉しいんです。

僕達も新型の影響をもろに受けてて、以前仕事が活休(活動休止)した時に、家にあった本を再度全部読んで、勉強たくさんして、『光の中を旅してた』を書き続けました。今年になってSNSチャレンジに挑戦していたら、少しずつ僕の旅の話が皆へ届く様になってきました。

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今日の話はヨーロッパ編のクライマックスを抜いてくるかもしれない。

ちょっと長いから早速本編いっちゃいます。青年、ムケてこい。

India インド

Varanasi ガンジス河で太陽礼拝を

インドに入ってもあまり変わらない印象を受けた。国境の町だからだろうか。顔もネパール人と似ているし、僕にはさっぱり区別がつかない。言葉だって最初っからわからないし、雰囲気も似ている。

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バスが出るまで30分くらい物思いにふけりながらイスに座ってた。

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道中停まったバスターミナルでバスを何度か乗り換えた。
「ヴァラナシヴァラナシ」と言って首をかしげていたら、「君はネパール人?」と聞かれるので、「YES」と言ってまた首をかしげる。
目を見あって、向こうの人が笑う。そう、俺は日本人だよって感じではにかむ。あっちも察して笑う。そんなんで、何とか人に導かれてヴァラナシまでのバスに乗れたんだ。どんだけバカみたいになれるか試してる。

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移動中にすごく貧しいエリアも通った。そこはトイレもなくて外で用を足すような所。足のない人、手のない人、道にうずくまっている人。それが日常の世界がある。

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陽も沈みそうな頃、ようやくバスがヴァラナシに着いた。さて、こっからどうする。
今日僕はジャパニーズバックパッカーズハウスに泊まることにした。

そろそろ日本が恋しいし、日本人の方々がいた方が安全だろとも思った。

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頭にカラフルなハチマキを巻いた自転車のおっさんを捕まえてと言うか、捕まえられて街に向かってもらった。

ここはやたらと人がいるけど、カオスだ。道路に牛も人も一緒になって歩いている。歩道じゃなくて、道路だよ、どうかしてるぜ。

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なんとなく近い場所で降ろしてもらいお腹も減っていたのでせっかくだからインドカレーを食べることにした。味はまあまあ、ご飯はぱさぱさ。うまいってもんじゃない、良い経験が出来たって事で前向きに済ます。チャイで胃袋へ流し込んだ。

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僕はマップ通りに細い道を通ってバッパーを目指した。きっと日本人誰かしらいるだろう。汚い路地裏は牛の糞とかゴミだらけで足の踏み場に困った。なんなら牛の寝床になっている。インドでは牛は「神様」だから誰もが大切に扱う。でも、臭い。

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僕は迷路のような裏路地を経て宿に着きチェックインをした。

一番最上階の個室でも安いもんだった。ゆっくりくつろげそうだ。

リビングではやっぱり日本人の子達がいた。その人たちと情報交換しながら街歩きの事を話していた。

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早朝、まだ日が昇る前。ガンジス川が見たくて歩いて出掛けた。5分くらいで行ける川の畔にその宿はあった。何かが少し変わりそうだ。

朝早くからおっさん達も犬もばたばた商売をしている。この国には落ち着きってもんがない。ずっとスイッチオンだ。

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物乞いなのか、商売しているのかよくわからない人が道のはじっこで座って動かない。座り込んでなにやら唱えてるおっさん。髪の毛の長さから察するに乞食の偉くなったバージョンの人だ。もう何か悟ってるってのを何周かしているくらい毛むくじゃらだ。

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ここを死に場所にしてこの街に来る人が多いのだと言う。ヴァラナシには火葬場が2つあるらしい、街で息絶えた人はそこに運ばれて燃やされる。その灰が流れていくガンジス川。何かの病気をもらってしまうことがあるらしいから、特に日本人は絶対に入ってはいけないとネットに書いてあった。

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朝からガンジス川沿いは地元の人々で賑わっている。みんなまだ寝ている時間じゃないんだろうか。みんな何故そんなに息巻いているんだろう。

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朝日が昇ってくる。そうだ、みんなここで沐浴をするんだ。

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ガンジス川には入っちゃいけないって言われているのは日本人に対してだけなのだろうか、地元の人達は慣れていて抗体でもあるのか、プールにでも入るように気軽に入って楽しそうに遊んでいる。口から水を「ぴゅー」ってはき出している子供もいる。絶対に飲んじゃいけないって言われているのに、飲んだらお腹壊して大変な目に合うらしいのに。そんなの地元の人には関係ないんだろうか。

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ガンジス川沿いをゆるい風が吹いていく。うん、いい気持ち。時はすでに5月下旬。トルコ、ネパールと良い時を過ごした。神聖なものがここにはある。誰もがそれを信じている。無茶苦茶楽しそうにはしゃいでる地元の人達をみて、俺も沐浴したいなぁって思えてきた。

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昨日一緒になった日本人の友達と一緒に来ていたし、もう海パン履いて準備も万端だから俺も沐浴することにしたんだ。ドキドキ、やめとけなかった。一生に一回の経験だし、きっと俺はたくさんの国に行ってきたわけだし、抗体もたくさん持っている。旅の間は何度も腹を下してきた。それでも生きてきた。今回も行けるって踏んだ。

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写真は宿で会った、東京でカメラマンとして活動している、あっくんに撮ってもらった。

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沐浴のやり方はそこらにいるおっさんに聞いて一緒にやった。ゴーグルもしていたから、絶対に目に水が入らないようにして頭まで潜った。そして太陽に向かって拝む、「太陽礼拝」のやり方を教えてもらった。

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上半身裸の髪の毛ぼさぼさの男が階段の所で瞑想しているのか、もう人生を諦めたのか目を瞑って動かないでいた。その脇では、座り込んでいる牛の額に赤い丸を付けてなにやらまぶしだすインドの人達。気付けばその周りを囲むようにして数人で回りだした。何かのお祈りをしているみたいだ。

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そう言えば、俺もガンジス川から上がって額にオレンジ色の丸印付けたなぁ。あれは一体なんだったんだろう。

なんとなく幸せそうなら良いんじゃないかな。

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牛とか、マンゴージュース屋の子供達とか、楽しそうにしているよ。

その日は一日中、宿の近くと川沿いを散歩していた。ガンジス川の向こう岸には何もなくて不思議だった。インド面白いぞ。

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陽が落ちてくる。僕等はどこへ行ったっけ。ガンジス川の畔に人が集まりだす。ん、何か始まるのか。お祭りでも始まるのだろうか。通りを行く人達に聞いても笑って首をかしげてるだけ。雰囲気で感じ取った、何か催し物が始まるっぽい。みんなが陣取り始めたところに僕も行ってみる。

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ガンジス川を望む階段の上で何か儀式が始まる。5人組のかっこいいインディアン達がお立ち台に登って川に祈りを捧げだした。手元の煙がガンガーへ漂って行く。周りにいる人達もみんな一緒に手を合わせて祈っていた。

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川の風に乗って流れていく煙。川にもボートがいっぱいで、それを見ている人々がいた。ロン毛のイケメンインディアンが手を顔の前に持ってきて煙を夜風に乗せる。「ふわー」っと夜の中にそいつは漂っていく。

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何者なんだこの人達は、地元のアイドルなんだろうか。修行を散々積んだんだろうか。みんなその人たちの事を見ている。まさにアイドルのライブの様だ。チケットなんてなくて、その場に居合わせた人達みんな自由に見ることが出来る。どうやらこれが「プジャ」という儀式らしい。

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昼間ボートに乗った時に出会ったインド人の家族と偶然居合わせたので一緒にプジャを見ることにした。ずっとにこにこしていて可愛い子達。隣に座っていた顔に朱色のマークを付けた男たちとも写真を撮った。

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30分、一時間くらい経ったかな、儀式が終わって、何か清々しい気持ちになった僕は食堂へカレーを食べに向かった。そこでインドの子供たちと仲良くなった。

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夜飯も食べたし。今日も個室でゆっくり体を休める。明日以降、インドの何処へ向かおう。タージマハルは見ておきたい。「カウチサーフィン」でメッセージを送ってくれたケタンという男の所に行くことにした。

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夜が明けて、朝が来る。ガンジス川は今日も賑わっている。宿で出会ったジャパニーズの面々と一緒に船に乗って反対岸まで行くことになった。

みんないい顔をしている30前後の青年。

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今日もガンジス川に入っている地元の人々。額に朱色の模様を付けて、僕は地元の人気取りでボートに乗る。海パン姿でボートに乗り込んでくる地元の人達。岸からだんだん遠ざかっていく僕等。

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ガンジス川の反対岸には特に何もない。一つの朝があるだけだ。

みんなもボートから出るには川に入らなければいけない。

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川の上流下流には火葬場があって、死体は焼かれて骨は川に流される。死体も重りを付けて川の真ん中で流される。川底にはたくさんの死体が沈んでいるとの事だ。噂で聞いた聖なる川のお話。

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その後、僕等は街のマーケットの散策へと乗り出した。ハエにたかられている川魚。ナマズの仲間みたいにみえる。鼻がひん曲がりそうなくらい臭いにおいを発する市場を抜けて僕等は歩く。

この街の人口密集度は尋常じゃない。ガンジスは今日も生きている。

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昨日の夜、プジャが行われていたステージに座り込んで楽しそうにしている地元の人々。今夜もイケメン達は何かをお祈りするんだろうか。

歴史を感じる街で牛が路地裏を闊歩する。牛の臭そうなおしりを何度も見た。こうなるともうおとなしい住人だ。

僕等は街の火葬場まで見学に行くことにした。

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どうして、僕はこれを随分書けなかったんだろう。最初は書けていた、でも次第に「熱」はどこかへ行ってしまったんだった。このコロナ騒動が来なければ、この「熱」は何処に行ってしまっていたんだろう。
向き合ってこなかった時期がしばらく続いていた。こいつをどういう風に世に出してあげたらいいのかまだわかってない。その内、時が来た時の為に書いている。

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僕等は火葬場へ向かった。並んで座るヤギの群れ。

人の群れはボートの上、ガンジス川へ流れて行く。

壁に書かれた落書は誰かを見ている。

プジャの時にあった家族に偶然また会った。僕は両手を広げてガンジス川の上で深呼吸をした。

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今日も火葬場はもくもく煙を出して燃えているのを川から見ている。

ヤギも牛も、犬も人も死んだら焼かれる。骨も粉になって川に流れてく。いつだって生きているのは今だけなのに、僕達は何を待っているんだろう。

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あぁ今日もプジャの儀式だ。明日もそう、だんだん慣れてきて、感動が薄れてく。一番最初に見た時程の感動はやってこない。

僕等は慣れてく生き物だ。

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夜が来て、また街を出ていく朝が来る。自転車のおじさんを捕まえてって言うか、捕まえられて駅まで。道に座っている男と目が合った。

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ヴァラナシ駅から、カンプールという街へ。そこに俺を泊めてくれる男、ケタンは住んでいる。電車で一路向かう為、チケットも無事手に入れた。これから移動をする駅のプラットフォームに座り込んで電車を待つ人々。

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くたくたの電車のイスに腰を下ろし、汗ばむ体に開け放った窓から風が吹き込む。チャイを売りに来る売り子。窓の外に広がる荒野。何があるってわけでもない土地が広がっていた。4人座りボックスに寝そべるインドの若者。僕は次の街カンプールへ向かっていた。

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編集後記

こんな旅、若い時にしたかった。って、いつか年を重ねた時に思うってわかってたんだ。だから自分で自分のケツひっぱたいて旅に出た。

旅を散々していたら、やっぱり旅の思い出を表現したくなってきて書き出してくれていたんだよね。

今もガンガーはとどまること無く流れてる。

スキ、フォロー、コメント、遡りありがとうございます。

編集後記も短めに上がります。次回の話も短いので、お付き合いいただけると嬉しいです。よろしくお願いします!!

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