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Kathmandu 2 いざ、インドへ

こんばんは。本日は大雪、熊もそろそろ冬眠しだす頃なんですって。

寒くなってきましたので、体に気を付けて過ごしましょうね。

僕は今、この前実家に帰った時に兄の本棚から持ってきた『人生論ノート』三木 清 著 を読んでいるのですが、所々文章にえんぴつで線が引いてあって、当時の親父の怒りを直に受けてきた兄の苦悩が垣間見えます。

大分処分したらしいけど、まだ1,000冊以上はあると思う。とにかく難しい本だらけ、哲学書とか、様々な小説、俺もわからないなりによく読んでた。

兄がえんぴつで引いた線の跡に影響を受けた言葉も混ぜてここで放ってる。

そういえば親父の怒りをこの前帰った時にはあまり感じなかったなぁ。

時は、ガンガーに流れ続けるのか、はたまた雪の様に降り積もるのか、旅の青年はネパールの避暑地ポカラからカトマンドゥに戻ってきました。

ここから一気にインドのガンジス河の街、ヴァラナシまで旅に出ます。

応援よろしくお願いします。

Kathmandu 2 いざ、インドへ

震度4くらいの地震が起こったら全部壊れてしまいそうな強度の建物にカトマンドゥのみんなは住んでいるような気がする。

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路上店では本当にたくさんの商品が売られている。サンダルとか、スパイスとか、野菜。民族衣装を纏ったおばさんがモノを売っている。
この人達はここで一生を終えるんだろうか。街から外れてもどこにでも小さな祠がある。

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ラジのいとこと僕は、ラジ家の裏の川を渡り、少し離れたところにあるモンキーテンプルへ向かって歩いている。野生の猿がまるで人間みたいに生活しているエリアがある。顔とか性格も人間と似ている。正確な名前はスワヤンブナート寺院と言うらしい。

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急勾配の階段を登っていくと、街が開けて見えてきた。カトマンドゥの街だ。空気は巻き上げられるホコリの為に汚れて見える。

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モンキーテンプルの頂上から遠く山々が見える。神聖な場所っていうのを肌で感じている。イルマの家のベランダにもあった七色の小さい旗が頭上で揺らめく。ここでも寺院の上部に「ブッダアイ」と言われる目が書かれていた。

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地面には犬が横たわって眠っている。モンキーテンプルのサルは人間が来ても驚かない。

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落ち着いて、そのままで素晴らしいってことを忘れないで。

台湾で買っていたマスクをしてにっこり笑う俺と猿の目が合う。

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ネパールで買っただぼだぼの緩パンツ。ジースターロゥのアリススプリングスで手に入れた白いシャツ。風に揺れる七色の三角マーク。モンキーテンプルの頂上で三人で写真を撮った。

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ある日、髪を切りに行った時、頼んでもないのに肩を揉まれて髭もそられて、その分の金額も余計に取られたこともあった。合計800円くらいになっちゃったんだけど、額の問題じゃなくて、だましっぽいのが嫌で、納得してからお金を払いたかった。

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観光もずいぶんしたし、インドへ入国する前にタミル地区のカフェでまたゆっくり『光の中を旅してた』を書き進めていた。

何かの縁で孤児を支援している人と会って、自分には何も手助けは出来なかったけれど、遠くまでバスを乗り継いで学校を観に行ったこともあった。

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ラジの家からは遠くの山がとても綺麗に見えた。カトマンドゥの街はどこもかしこもゴミだらけな事は少し悲しかったけれど、人がいないところは自然に溢れていて好きだった。

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そろそろインドへと旅立つ時間が迫ってきている。ラジの家で嫁さんと娘二人も交えてご飯を食べたことも何度かあって、ブラックプール滞在時にパワーポイントで作成した日本を簡単に紹介する資料をみんなでみて、一緒に日本についての話をした。

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バスステーションは早朝だというのに、人とバスでごった返していた。またこれか。僕は案の定早く着いていたので、脇にある雑に営業しているカフェで安いコーヒーを飲む。どのバスに乗れば目的地に着くか、何もわからず変なバスに乗っちゃったら後悔するだろうな。まぁ時間まで待つか。

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電気も付いてない店で、日本で言うシュウマイとか、餃子みたいな「モモ」って言うのを食べてバスを待つ。

もうビザは手に入れていたから、インドへ行こうとしていたんだ。

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バスステーションもバスの中も汚い。しかもぎゅうぎゅうに人が乗ってくる。そんなの嫌だ、でもしょうがないから、ゆっくり進みだしたバスの中から外の景色を写真で撮って気を紛らわしていた。朝から肩組んで道の端っこを歩いているおっさん達。

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またねラジ、君達家族が日本に旅行に来ることがあったら俺が街を案内するよ。そうして、僕はぎゅうぎゅうのバスの中、インドへの国境の町まで向かった。

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座り心地の悪いバスに揺られて何時間が経っただろうか。いい加減ヤンキーのバイクが鳴らすような「パラリラパラリラ」ってクラクション音やめて欲しい。ただただうるさいだけじゃん。

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バスには運転手と切符もぎりみたいな役割の男もいた。乗る人から運賃をもらって、それが終わったら車体をバンバンって叩いて、それが合図となってバスを走らせる。ネパールに入国してからもう何十回も見た。インドの国境までは遠いんだ。

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朝出発してから一回バスを乗り継ぎ、国境付近に辿り着いた頃にはもう日が暮れていた。途中の道路では車が横転しているところも見たし、バスにはどんどん地元の人乗ってくるし。ケツも痛いし、もう、いいや。

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何度かの休憩もはさんで、ようやくブッダが産まれたとされているルンビニと言う街から26Km離れた国境の町スノウリに着く。

もうインドまで歩いて渡れる距離だ。一日中移動してきたし、もう疲れていたから国境付近の安宿で一泊泊まることにしたって言っても周りには何もない。車は行きかっているけど、出掛けられるような気の利いた場所もない。

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宿にある小さなレストランでネパールカレーを食べた。味は正直覚えていない。お腹に入れば何でも良かった。

大きなベッドだけがある狭い部屋で、水の出るシャワーしかない。鍵は閉まるけど、力を入れれば壊れそうだ。

他の部屋には一人用の部屋に、インド人かネパール人が家族で泊まっていた。もう何でもありじゃないか。カレーの米はパサパサだったし、冴えない旅だぜ。
今日でネパールの旅も終わる。
二週間くらいお世話になっちゃったなぁ。優しかったなラジファミリーは。いとこもいい青年達だった。ポカラでもだいぶ落ち着けたし、また戻ってきたいところが増えたね。

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夜中、ご飯を食べ終わった後、食堂の前には牛が寝そべっていた。周りをハエがたかっていた。宿から歩いて100メートルくらいの所にインドへと入る為に通るパスポートコントロールがある。幸いこの旅ではこういったところで躓いたことは無い。無事になんのストレスもなく通過出来てきた。

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明日もきっと、上手くいく。近かったから、夜に下見で歩いてみたりしたけど、特別な事は何もなかった。

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僕の部屋は道路を見下ろすことのできる窓側だった。国境を通過して行く車の往来で喧騒が夜中まで続いていた。ぼろっちい部屋の中、僕はパソコンを開いて写真の整理をしていた。やっぱりどう考えても僕には旅をしながらこれを書く事は出来なかったと思う、だから今書いている。旅中は旅に集中しないと後悔が残る。部屋で「かたかた」書いている場合じゃなかった。

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汚い部屋に水で濡らして搾っただけのタオルと、よれよれのTシャツを干している。そっか、インドのヴァラナシという街にはガンジズ川があって神聖そうだ。そこまで向かうバスの大体の出発時間を教えてもらった。

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朝は外のうるささで起きた。インド入国に必要なビザを持っていたので、なんの問題もなくネパールを出国し、インドへ入った。

歩いて国を跨ぐのはやっぱり興奮する。

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雨は降っていなかったが、地面はぬかるんでいた。

もういいんだ、靴なんて汚れてなんぼなんだ。

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編集後記

良い時期!! ここ。ネパールからインドへ移動していた僕がいる。

カトマンドゥから一日かけて、国境の町まで移動してた。

宿取って、歩いて国境を渡った。

それ、全部書いてあるぞ。

助かった。書いていてくれてありがとう。

こういうの忘れちゃいたくない。

彼は旅の中、ロマンを追いかけていますね。

ブルーハーツが刺さってくるもっと前に、米米CLUBとか、たまの影響受けてる臭いな。

最高だったんだよなぁ。この雑な旅。Tシャツとか、下着は、飲んだらお腹壊すような水で流して、絞って、適当に乾かしとく。洗濯機も洗剤もない。

全然確かなものなんてなくて、整ってない。インドなんてもっと濃い。

明日のヴァラナシでのガンガー太陽礼拝、プジャ鑑賞、火葬場を眺める、ぜひnote読んで欲しい。

スキ、フォロー、コメント、ありがとうございます。

また明日お会いしましょう!! 生きててよかった。スキです。

あぁ追記。イルマの家のベランダ。ここだ。

おやすみなさい。またね。

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