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老いた桑の木の役目

 近所の小学校では3年生が学習の一環として蚕(かいこ)を、飼っているという。蚕たちの餌となる桑の葉は、地元の農家からもらっているそうだ。なるほど、近所の畑では道路の境界になる場所に桑の木が残っている。

 明治維新での開国とともに、蚕による絹布は日本の輸出産業の主力でもあった。いまでも、テレビの紀行番組で地方が紹介されるとき、天井裏で蚕を飼っていた痕跡などが紹介される。“女工哀史”にまつわる話は、かぎりなく語られてきた。哀しい話は日本中にある。

 いま、昔ながらに蚕の繭から糸を紡ぎ、絹織物にしているのがどれほどあるかは知らない。この小学校では蚕を育て、桑の葉を与え、あのサクサクという、蚕たちが桑の葉を食べるときの音を聞いているらしい。

 きっと、「いまさらなぜ蚕なのだ?」と不思議に思う人たちも少なくないだろう。終戦の年に生まれたぼくでさえ、蚕から絹織物ができる過程はほとんど知らない。蚕を見たことはあるし、蚕が桑の葉を食べているようすを見た記憶はわずかながらある。

 きっと地方の山村に生まれ育った同世代なら、子供のころ、身近に蚕がいたかもしれない。桑の木もたくさんあったろう。その家の収入のひとつであったかもしれない。それも遠い昔の記憶である。

新芽に感動してしまった

 このあたりの桑の木はいずれも老木ばかりである。道端の桑の木たちが早春のころに激しく刈られ、枯れてしまうのではないかと心配した。だが、よほど強靭な生命力があるらしく、春とともに初々しい新芽をまたたくまに見せてくれた。その前に、残酷なほど刈ってしまわないと始末に困ったかもしれない。

 ついこの間までの、今年は小学生たちが蚕を飼えないかもしれないとの心配が杞憂だったのを知る。しかし、桑の木はまちがいなく老木ばかりである。立っているのさえ痛々しいほどだ。いつ、倒れ、命脈を絶たれてもおかしくない。しかし、まだ大切な役目がある。

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